goo blog サービス終了のお知らせ 

この岳に生きる

「この岳に生きる」とは僕の所属する山岳救助隊の記念誌の題名です。 北アルプス飛騨側で山と共に生きている僕の見た風景です。

2006-12-10 20:04:10

2006年12月10日 | インポート

P1070847_2 自分で作ったサンタの衣装

12月に入って息子はクリスマスが待ち遠しくらしい。

クリスマスツリーを飾ったり、自分がサンタになってすっかり気分はクリスマスだ。

今年は雪がまだ積もっていなくて師走という雰囲気があまりない。

やっぱり冬は雪があったほうが、それなりの雰囲気になる。

道にはないほうがありがたいのだが。

P1070900_2 蒲田方面の夕焼け

夕方、悪友と鍋平へ写真を撮りに少し歩いた。

さすがに少しではあるが雪があったが、まだまだ山スキーができるほどではなかった。

早くべったりと雪が積もってほしい。


1万飛行時間

2006年12月09日 | インポート

P1070854_2_1 お祝いの席

今日は県警航空隊隊長が「無事故1万飛行時間」を達成されたのでそれの祝賀会が奥飛騨の某ホテルで開かれた。

警察、救助隊、サポート隊、山小屋関係者などから約40名程の出席だった。

全国の警察航空隊の220人いるパイロットの中で1万飛行時間を達成されているパイロットは3名だけだ。しかも北アルプスという厳しい気象条件の中の飛行が7割を占めるこの県での達成はさらに意味が深い。

熱血漢の隊長は「これはただの通過点、さらに上を目指す」と、妥協を許さないという意気込みだった。

これからも安全飛行で北アルプスを守ってほしい。


2006-12-06 21:56:53

2006年12月06日 | インポート

P1070800 いなか工芸館

先週河合村へ行って来たが、普通の民家の屋根が、なんかミョーな形をしてると思い、他の家を見てもどの家も屋根の上に屋根がのっかているのだ。

これは雪の多い地域ならではの物で、雪が屋根に積もっても一定方向だけに、滑り落ちるようになっているのだ。旧河合村が飛騨市となって、合併する前に村のお金を補助として出して、どの家も雪下ろしの手間を省く為、このようにしたのだという。

村のお金を有効に使って、住民の生活のためになるいい使い方だなと思った。

旧上宝村のお金はどこにいったのだろう・・・。


最近読んだ本3

2006年12月05日 | インポート

P1070834 グランドジョラス北壁 小西政継

また山の本を読んだ。

ヨーロッパには3大北壁と呼ばれる困難な壁がある。最も危険なのがアイガー北壁で、最も困難なのはグランドジョラス北壁と言われている。この本は小西政継という登山家が、6人で1971年の冬にこの北壁を登りにいきった時の実話を書いたものである。標高差1200mのこの壁を登攀中、20年ぶりの大寒波に襲われ、食料も尽き果て11日間かけて登りきった凄まじい話しだった。

4人凍傷に冒され、計27本の指が失われた。

この小西政継氏は平成8年にヒマラヤのマナスル峰で遭難し亡くなっている。

足の指を全部失くしても、ヒマラヤなどを登り続けた小西氏の精神力には恐れ入った。


河合町

2006年12月03日 | インポート

P1070799_2_1 紙漉きを体験

今日は僕達が作っている新穂高温泉新聞の取材で、旧河合村を訪ねた。

まず「山中和紙」を作っていて紙漉きを体験できる、いなか工芸館へ行った。そこでは最高級の和紙作りを体験する事ができる。一回500円と格安で、店主のおばさんが丁寧、親切に教えてくれる。

僕も始めての経験だったが、やってみるととても楽しく、押し花を貼り付けてなんとも味のある素晴らしい和紙ができあがった。この和紙の原材料は「こうぞ」という植物と、「とろろあおいという」のりの役目をする植物である。

P1070797_2 おばちゃんが教えてくれる

こうぞもとろろあおいも全ておばちゃんの所で作っていて天然素材100㌫の最高級の和紙である。

今日はとてもいい経験ができた。

P1070813_2 河ふぐ料理

そのあと河合特産というか名物の河ふぐ(なまず)料理の取材に行き、ご馳走になった。なまずのフルコースは初めて食べたが、食感がよく歯ごたえがある身はおいしかった。

飛騨市河合町、なかなかあなどれない楽しめる町である。


最近読んだ本2

2006年12月02日 | インポート

Hasegawa_1 長谷川恒夫 虚空の登攀者

最近読んだ本第二弾は「長谷川恒夫 虚空の登攀者 」という本で佐瀬稔という人が書いています。

長谷川恒夫という人は世界で初めてアルプス三大北壁単独登頂した人で、アコンカグア南壁、チョマランマにも足跡を残した有名な登山家だ。

しかし、43歳の時にパキスタンの未踏峰ウルタルⅡで、雪崩に遭い亡くなりました。

仲間達と登らず、単独登攀を選んだ波乱に満ちた稀有のクライマー長谷川恒夫の生涯が綴られています。