このブログを復活するといいながら全く更新していなかった。
いろんなことがあったが娘も成人したし自分の周りを取り巻く状況は変化していっている。
山に関してはクライミングは全くやってなくテント泊山行が最近は楽しい。
自分も50歳を越えたが中々大人になりきれてなく情けないかぎりだ。
このブログを復活するといいながら全く更新していなかった。
いろんなことがあったが娘も成人したし自分の周りを取り巻く状況は変化していっている。
山に関してはクライミングは全くやってなくテント泊山行が最近は楽しい。
自分も50歳を越えたが中々大人になりきれてなく情けないかぎりだ。
20年前お尻を立てて昼寝の息子
今日は息子の二十歳の誕生日であった。
初めて子を持ってはや20年が経った。子供が子供を作ったようなもので行き当たりばったりの子育てだったような気がする。
息子の為になるようなことはしてきただろうか?自問自答して反省や後悔してももう戻らない。
けど、思いやりを持った優しい人に育ってくれたことには間違いないと思っている。
先日成人式を終えたが親としては嬉しく思った。
多少、髪の毛がロンゲ?とかいう髪型で、切ればいいと思うが思っているだけでいわない。
息子の人生これからが本番である。身体には気をつけて楽しんでもらいたい。
悪いことすると名前でるからな!
淡墨桜が見事だった。
息子が我が家から巣立っていった。昨日、名古屋へ家族で送ってきた。名古屋までは車で4時間弱である。
成長して家から出て行くのは当たり前でどこの家庭も経験することだろう。
しかし、寂しいものである。
寮へ引越しの作業をみんなでやり終えてから買い物をし、いよいよ息子と駅でお別れである。
分かっていたが改札前で家族4人で泣いた。
カミさんも娘もまだ別れたくないようだったのでお腹は減ってないが予定変更で食事に行くことにした。
そこでも、やはり涙。
食事にきたお陰でいろいろ話すことができた。
息子は泣きながら今まで不自由なく育ててくれてありがとうと言ってくれた。そんなこと言うもんだから店員の目も気にしずまた皆で泣いた。
巣立っていくことは喜ばしいことなのにこの時は寂しさが勝っていた。
やんちゃな事もあった息子だが素直で気持ちの優しい男に育ってくれた。父親の自分が言うのもなんだが、いい子である。
現在コロナで世の中大変な時期なので正直心配な面もあるが、これから新しい人生が始まる。
次会ったときは成長している息子にあえるだろう。父は応援しているぞ!
独標を俯瞰する
コロナの影響で仕事がない。身体がなまってしまうのでいつものO森君と西穂へ体力作りへいってきた。
先日に結構な降雪があり山頂駅はフカフカの雪が積もっていた。始発で上がったのでまだ誰も歩いていなく若干のラッセルだがO森君は物ともせずガンガン登っていくので
付いていくのに必死だった。
あっという間に山荘に着いたが休憩もせずさっさと独標に向かった。
登り始めは快晴だったのに稜線に出たら風が強くガスで視界がきかなくなってきた。こんなはずじゃなかったのにと思ったが
厳しい条件のほうがよいトレーニングになる。
出発から2時間で独標着。引き返そうと思ったがピラミッドまで行くとにした。
固い雪の上に降ったばかりの軟らかい雪が乗っていて所々アイゼンが効きにくく厳しい条件だった。
カメラを向けると必ず変顔。
風も強く寒いのでさっさと下山。山荘で昼食をとってこれまたさっさと降りて1時45分のロープに乗った。
良いトレになりました。
空とウェアが青い
4月の進学まで時間がある息子とコロナの影響で暇な僕とで近場の西穂独標まで行ってきた。
息子は初めての冬山登山。アイゼン歩行は初めてだったが無事登頂し下山できた。
カチカチ山
前日、雪が降っていたようだったがこの日は朝から快晴。気温も低く気持ちいい。始発のロープウェイに乗り登山開始。
順調に登って1時間弱で山荘に着いた。ここからハーネス、ヘルメットなどを装備した。稜線に出ると風がでてくるが素晴らしい景色が広がって息子も喜んでいた。
眼下に故郷の山々
登りはじめてしばらくすると斜面が固くなってきた。アイゼンをしっかり効かせて登るが息子は少し緊張気味。
冬山の厳しさを感じてきているようだがロープで繋ぎ合っているので大丈夫だ。
独標ののぼりは凍っていて斜面は固い。しっかりピッケルを打ち込んで確実にのぼった。
親子で。
絶景を楽しんだら下山開始。息子はかなりビビッていたが僕がロープを張って確保してゆっくり降りた。
ピッケルを必死に握っていた息子は腕が疲れたようだった。
丸山まで降りればもう安心。緊張がとけた息子は腹が減ってきたと言っていたので山荘で西穂ラーメンとカミサンが作ってくれたおにぎりを食べた。
ロープウェイまで降りてきたとき息子は充実感で一杯と言っていた。多少怖かったが登ってよかったみたいだ。
青い空白い山。
4月からは家を出て都会で暮らす息子。知らない土地で暮らすと故郷のことも思い出すだろう。
そんな時自分の故郷にはこんなに素晴らしい山々があったと言うことを思い返してくれたら僕も嬉しい。
進学おめでとう。
一張羅のリクルートスーツでかっこつける
息子が高校を卒業した。コロナの影響で規模は縮小されたが無事卒業式が済んだ。
春からは専門学校に進学で就職活動の為のリクルートスーツなども新調した。
このブログでも度々子供達を紹介してきたが子育てもそろそろ終わりである。振り返ればこのブログで子育てなどについて記してきてよかった。
親バカであるが小さかった時の子供達も本当にかわいかった。4月からこの家を出て新しい生活が始まる。息子も家族も不安と期待で一杯である。
しかし大人になってからの人生のほうが遥かに長い。楽しいこと辛いことが毎日のように押し寄せてくるだろう。
卒業式が終わり帰宅後、息子が僕とカミさん宛てに手紙をくれた。息子なりに感謝の気持ちを伝えてくれ、とても嬉しかったが、親が子供を育てるのは当たり前である。
そんなに気を使ってくれなくても健康で普通に成長してくれればそれで充分である。
息子の人生、僕もとても楽しみだ。
卒業おめでとう!
桂浜
男6人で四国は高知 香川へ1泊旅行に行ってきた。
少人数なのでジャンボタクシーを2日間貸しきって色々廻ってもらった。皆四国上陸は初めてで思い出深いものとなった。
日本一の大杉
高知は坂本龍馬が有名で記念館や銅像を見物。昼食はひろめ市場というところで藁で炙ったカツオのたたきを食べた。さすがに美味しかった。僕は塩で食べるのが好きである。
夜食にはしじみラーメンを食べたがあっさりでコクがあり美味しかった。
銭形砂絵
2日目は朝八時行動開始。この日はジャンボタクシーで香川まで行く。
途中、日本一の大杉を見学。恐ろしいほど大きかった。パワースポットである。
銭形砂絵も素晴らしかった。これを見るとお金に不自由しないらしい。
栗林公園
まだ昼には時間があるので駆け足で栗林公園を見学した。
12時からカキ小屋を予約していてぴったりに付いた。
焼きガキ
初めてのカキ小屋。焼きガキ、カキフライ、牡蠣飯、カキの味噌汁。カキ三昧でとても美味しかった。
こんぴらさん
つぎは金刀比羅宮へ。785段の階段を登って参拝した。
香川に来て讃岐うどんを食べないわけにいかないのでつぎは山下うどんへ向かった。さすがにおいしいうどんでお土産を買った。
その次に善通寺で参拝。カタパンというものを食べた。
これで廻るところは終わったので高知空港へ向かった。8時フライトで9時前に名古屋に着き、12時ぴったりに自宅に着いた。
ハードスケジュールだったが楽しい旅行で皆喜んでくれホッとした。
四国、又行きたい。
このたび僕の所属する山岳救助隊が発足60周年を迎えた。前回50周年のときも盛大に式典を開催したがあれからはや10年経った。
僕も入隊させてもらって23年。10年前のこともこのブログに書いてあった。
あのころから比べると遭難現場に僕ら民間人が出動することはめっきり減った。警察の山岳警備隊が地道に訓練を重ね実力がかなり付いたのでほとんど警察だけで対応している。
しかし僕らも登山者に安全登山の啓蒙活動や山岳パトロールなどやることはたくさんあり地元の山を守るという役割はまだまだある。
この度、表彰をいただいたが、もちろんそのためなんかにやっている訳ではなく大好きな地元の山に来て登っている登山者が困っていることがあったときなど力になれればと思って頑張ってきた。
その頑張りが認められたことは素直に嬉しい。今後も登山者がいるかぎり遭難は必ず起きる。この救助隊を無くすことはならない。これからも悲惨な遭難を少しでも減らせるよう隊員一同頑張ってやっていく気概を再確認した日になった。
先日朝トレに久しぶりに焼岳に行ってきた。
夜が明ける
真っ暗なうちに出発。とても天気がよかったので素晴らしい夜明けを見ることができた。
朝陽が穂高を照らす。
それにしても寒い朝だった。足慣らしに冬靴を履いていったが指先が冷たく感じた。
朝陽が笠が岳を照らす
凛とした空気は気持ちよい。
ミニミニえびの尻尾
朝から好い運動になりました。
自分は平日休みなのでどこへ行っても空いている。今回も人は少なく天気はよくて3千メートルの稜線歩きを堪能できた。
穂先が迫る
朝3時過ぎに白出沢出会いについて出発。パートナーはいつもの悪友だ。真っ暗闇の中もくもくと登り続けた。
滝谷の一本橋は暗いと渡るのが少し怖かった。2時間で槍平着。ようやく明るくなってきてヘッドランプを仕舞った。
気温は低く霜柱が立っている。天気がいい証拠だ。
誰も居ない山頂
出発から5時間槍ヶ岳の山頂に立った。素晴らしい展望で誰も居ない。
山頂から穂高。
穂先から降りて山荘でコーヒータイムとした。まだまだ体力は余裕なのでこのまま飛騨沢を下りるにはあまりにも勿体無い。
3千メートルの稜線歩きをしたいので南岳から槍平へ降りることとした。
槍を振り返る。
大喰岳への登り返しは少々こたえるが振り返るとまた槍が素晴らしい。
ピラミダルな中岳。
とにかくどこを見ても日本の山並みが一望である。こんな日はほかにあるのだろうか。富士山が大きく見えた。
日本て素晴らしい。
マンダムな景色。
中岳から南岳へのなだらかな稜線の景色は険しい穂高と比べ対照的だ。
まだ遠い南岳
信州側を見下ろすと天狗原周辺の紅葉が進んで秋の陽射しに照らされてなんとも良い雰囲気である。時間があれば行きたかった。
大キレットと北穂高岳。
槍から2時間で南岳小屋に着いた。僕は小学生の頃ここから見た北穂の姿が忘れられない。
はじめガスで何も見えなかったが夕方少しずつ見えてきた初めて見る北穂に感動した。それは強い印象で30年以上経った今も鮮明の覚えている。
悪友は結構疲れてきているので大休止とした。ここから下山の南岳新道もかなり急である。
南岳新道より。
南岳から槍平への下りは一気に降りるので急勾配だ。尾根で滑落すると奈落である。
細い尾根道
木道も整備されているが下部は荒れていた。しかし道が有るだけマシである。ロープを使って降りるとかは無いのでありがたい。
整備されている方々の苦労のお陰である。
2時間ほど下って槍平に戻ってきた。小屋のご主人にご挨拶して新穂高へ降りた。
13時間ほどの行動時間だったがまだ体力的には余裕があった。
素晴らしい日になった。付き合ってくれた悪友にも感謝である。いつもありがとう。
次回は南岳からキレット越えて穂高から新穂へ降りる日帰りをやってみたい。
2ヶ月ぶりの夏休み。やっとで山にいけるが天気が思わしくない。当初穂高へ行くつもりだったが新潟の八海山まで遠征することにした。
パートナーはいつものO森君。前日夕方に出発して夜登山口について車中泊。
朝4時起床。外に出てみると濃いガスと霧雨が降っているが行くしかない。登るにしたがい雨が強くなってきた。
霊泉小屋で雨宿りさせてもらう。とてもきれいでありがたい。心折れそうになるくらい降っているが体力作りと割り切って登った。
まだまだ遠くに見えるし雨と風で寒くなりマジ帰ろうかと思ったがそれでも行ってみる。
女人堂に着く頃には雨も止んできた。
千本槍小屋まで頑張ったら魚沼駒ケ岳の雄姿が姿を現し気持ちも高まってきた。
八ツ峰という細い稜線の縦走を1時間ほど歩いたら大日岳に着いた。雨で滑りやすいが鎖も使かえば何てことはない。
今日も頑張ってのぼってよかった。
下山は長くとても暑い。セミの鳴き声もうるさく勘弁して欲しいと思った頃大崎口に戻ってこれた。
初めての山域を知ることができてよかった。
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先日、青森からお越しのお客さん20名を2日間で西穂独標、乗鞍岳剣が峰をガイドさせてもらった。
お客さんはツアーで青森を出た初日に上高地散策、2日目西穂独標、三日目に乗鞍岳剣が峰を登って帰るというものである。
今回、息子は夏休みで部活ももう終わり暇そうだったので僕のアシスタントとしてお客さんのサポートをしてもらうことにした。
息子はどちらの山も何度も登っていてよく知っている。
イワギキョウ
お客さんは比較的年配の方が多かったが皆さんとても元気である。日頃から東北の山を登っている人が多く高山植物もよく知ってみえた。
独標を後に。
息子も日頃話すことのない年配の方々と色々話せたと思う。
2日目乗鞍。
何とか無事に2日間の登山の日程を終えることが出来た。手伝ってくれた息子のもお駄賃。
お客さんのも大変喜んでくれて頑張ってやってよかった。
こちらもよい思い出ができて感謝である。
霞むピラミッドピーク
毎年恒例、地元の小学生の親子登山のサポートで西穂独標まで行ってきた。
少子化でこの学年の子供達は6人しかいなかった。なんとも寂しい限りだが人数に関係なくこちらは全力でサポートするのみである。
やはり体力が子もいて一人は丸山までとした。
独標ではガスも晴れ穂高の姿を見ることができた。子供達の良い思い出つくりに協力できてよかった。