連休最終日の昨日、飛騨側の山岳遭難者の合同慰霊祭が執り行なわれ僕も救助隊員として参列してきた。
昨年も遭難して亡くなった方が何人かいて新たに合祀された。
この連休は天気も良く登山者もお盆より多かった。はやり遭難事故も何件か発生していずれもヘリで救助された。僕も朝早く要請がかかったが、さすがに本業が忙しく勘弁してもらったが警備隊が迅速に救助を終えてくれた。
夏から休みの度に県警ヘリがヘリポートで待機してくれているが今年はそのお陰で事故発生からレスキューまでが本当に早い。航空隊長の采配がズバリ的中している。
今年ほど遭難事故の多い年はあっただろうか。長野も今年は異常に遭難が多いらしい。
軽い怪我から痛ましい事故まで様々だがやはり中高年のかたの事故が圧倒的である。普段運動をしていなくて、いきなり登山すれば無理があるのは当然だ。疲労で動けなくなってしまう遭難は、トレーニングや自分に合った山を選ぶことで防げるはずである。美しいアルプスにはそれなりに覚悟して行く必要があると思う。あまりの遭難の多さにいろいろ考えてしまう。
県防災ヘリが墜落して今日で丁度一年となった。とても残念で悲しい惨事だったがそれを無駄にしないように各機関の連携など、色んな面で改善されたようである。
しかし山岳遭難は一向に減る兆しも無く、返って今年は増加してしまっている。
今日も遭難現場へ、ヘリで出動してきたがやはり現場はまだ雪渓が多く残るかなり険しい谷の中。内容は今日もヘヴィなので書けないが救助隊員も航空隊員も皆命懸けである。どんなに軽い怪我や疲労での救助要請でもこちらの危険度はほとんど変わらず、こちらも必死でレスキューしていることを多くの登山者に知ってもらいたい。楽なレスキューは無いのである。
山に行く前の綿密な登山計画を立て、自分に合った山を目指し決して無理のない登山をしていただきたいと、心の底から願ってしまう。
昼飯前の仕事中、救助隊長からレスキューの出動要請の電話がありバナナ1本食べて、ヘリポートに向かった。
瞬時に装備を装着し一息も入れるまもなく、ベテラン隊員と二人でヘリで現場に向かった。場所は「鳥もかよわぬ」と昔言われていた、かなり険しい場所。
雪渓の高さはまだ7mもあった。
詳細はヘヴィーなので書かないが大変だった。1時間後3人の隊員が応援にヘリで来てくれた。
当事者はギリギリピックアップできたが僕らは雨が酷くなってきたので土砂降りの中徒歩で下山。
忙しいこの時期、家族にも迷惑を掛けたがカミさんが僕の仕込みをかなりやってくれていたので助かった。
やれやれ。
6月初めから探している行方不明者の捜索に今日も行ってきた。
これで6回目だ。
いつものように1時間のウォーミングアップで山荘に到着。
山荘を基地にして今日の検索範囲をそれぞれ捜し出す。
「今日こそは、今日こそは。」という言葉が何度も頭の中を駆け巡る。
しかし、今日も何の手がかりも無い。これだけ探していると、もう何所を探していいか分からなくなってくる。
何度も見た所だがもう一度。もしかしたら見落としているかもしれない。
ひょっとしてあそこに。みんないろんな事を考える。ちょっとした物でいい。何か手掛かりが欲しい。
むなしく時間が過ぎていくだけだった。
考えられる事は全てやり尽くした。これでこの遭難事故の捜索は打ち切りである。
6月初めに捜し始めた時はまだ雪に辺りは埋まっていたが1ヶ月半ほどたち雪はほとんど溶け、夏の高山植物たちも咲き始めた。
これだけ出動し続けた事も珍しい。
僕と、班長のN畠君は計8日間の出動であった。彼も忙しかっただろうが、班長として頑張ったと思う。また僕の出動を支えてくれていたカミさんにも感謝である。いつも弁当ありやと。
来週16日からは夏山警備体制が始まる。登山指導センター、山岳パトロール、また事故があったら出動しなければならないかもしれない。
僕の本業もシーズンに入り忙しい日が続くが、何事にも精一杯取り組んでいくしかない。
日曜日に行ったレスキューの遭難者の関係者の方からこのブログにコメントが届いた。
病院での診断の結果などを教えていただき、重傷ではあるようだが笑顔が見られるようで少し安心した。
また、感謝までしていただき、頑張って本当に良かったと報われた気持ちになった。
自分が関わった救助活動はやはりその後が気になる。僕たちの仕事は山から一刻も早く救い出し救急車や病院に引き継ぐ事である。早ければ早いほど社会復帰への道も近くなるはずである。
怪我をされた方には早く回復される事を願い、またここの山に登りに来て欲しい。
連日の救助隊活動で今日は体が少し痛い。
しかし、昨日は久しぶりに充実感のあるレスキューだった。捜索を繰り返しても発見に至らないと虚しくなるばかりである。
昨日の夜は、今年四月で退任した前救助隊長の送別会が開かれた。あらゆる関係者が60人ほど集まり大宴会だった。
前隊長の38年間の救助隊人生はいろんなことがあっただろう。隊長になってからの数年間は全隊員の命を守らなければならない責任は相当なものだっただろう。
僕も沢山のことを教えていただきました。
大変お世話になりました。ありごとうございました。そしてお疲れ様でした。
新しい隊長の下でこれからもこの山岳救助隊は続いていく。
今日の救助活動は本当に大変だったが素晴らしい仲間たちの頑張りで無事遭難者を救助する事が出来た。
前夜からの雨は降り続いているが怪我をして一晩救助を待っている遭難者を救い出さなければならない。天気が好ければヘリであっという間にピックアップできるが、今日はガスが濃く飛べない。
内容は詳しく書かないが北アルプス三大急登の一つの現場はかなり厳しいものであった。しかもずっと雨が降り続いている。
みんなの力を合わせればすごいパワーが生まれることを、改めて知った日だった。皆も今日得たものは大きいであろう。登山口に運び終えてレスキューを終えたときは感動ものだった。
クタクタになったが今晩は、前救助隊長の送別会である。ビール1杯でコロコロになりそうだ。
今日は今までとは別件の捜索に行ってきた。
とんでもない藪で雨も降って大変だった。
明日は訓練だった予定を変更して検索の続きである。僕たちの班はまた新たに発生している遭難事故の救出に行かなければならなくなった。
このところ救助隊活動が多い。続く時は続くものだ。皆頑張っている。僕も頑張ろう。
「怖さを忘れて鈍感になる事はきわめて危険。」山野井語録より。