今日の一枚は打ち上げ前の長岡花火会場。残念ながら今年は中止との事。夏祭りが何処も中止になり寂しい夏になりそう。コロナ感染拡大も止まりそうも無く、どうしてくれんだ、と言いたくなる。そのうち鬱積した不満が爆発するでしょう。強い指導力を持った政治家が出て来ないと、この未曾有の難関は越えられないかもネ。
令和2年3月初旬の野地温泉、裏磐梯、猪苗代湖
コロナウイルス感染に伴い日常生活行動が大分制限され、閉塞感がつのり,欲求不満気味になってきたので、思い切って福島まで出かけることにする。目的地は野路温泉と裏磐梯、猪苗代湖。しかし何と暖冬のために、思い描いた雪景色には出会えず、春の景色。特に檜原湖は夏と変わらぬ情景です。観光局の人は ”この時期結氷しない檜原湖は史上初めてではないかと思う” と言ってました。でもそれも絶景です。
福島、長野、群馬県の温泉巡りの旅
ここ数年5月は自転車旅行にに出てましたが、今年は天気予報を良く観察し、五月晴れになりそうな時期を選び、温泉巡りに出ました。 まず最初は福島県野地温泉、東北道を北上、二本松インターを出て走ること30分、大泉の外環入口から約3時間で野路温泉ホテルに着きました。入浴料800円を払いまず”鬼面の湯”露天風呂。乳白色の濁り湯かけ流しです。周りは新緑、先週まで山桜咲いていた由、最高です。他に天狗の湯、羽衣の湯がありますが、今回はここと千寿の湯につかりました。

この日は会津若松市に泊まり、あくる日只見線に沿って国道252号線を只見駅に向け出発。この道は只見線の車両が只見川に架けられた鉄橋を渡るシーンを写真に撮ろうとする鉄道写真フアンに人気がある。移動が土曜日だったので街道のポイントには多数の写真家がスタンバイしていた。 またこの街道沿は、日本の里山の原型が点在する。特に柳津駅から只見駅は只見川、集落、田畑のコントラストが抜群に良い。 そして無数の温泉が点在する。まず、柳津温泉、10軒の温泉宿があり、湯めぐりが出来る。また、虚空蔵菩薩圓蔵寺があります。ぞくに東北の清水寺。見事です。ここから少し奥の西川温泉の”せいざん荘”で露天風呂をトライ。ここ西川温泉には地熱発電所があります。さらに只見川を上流に向かうと早戸温泉、鶴の湯で一休み。駐車場からエレベーターで受付けまで降りる。温泉は川岸に湧いているようです。只見川を見ながらの露天風呂を堪能。それからしばらくいくつかの温泉場を通り超し、大塩温泉で休息。ここは温度は低めですが、炭酸泉として有名です。炭酸飲料の様に炭酸が泡状に溶けているのかと、想像しましたが、炭酸成分含有量が多いと言うことです。入ると肌がさらさらしてきます。 面白い温泉です。
只見駅前の旅館に泊まり、翌朝、田子倉湖を周わり、魚沼、津南、飯山を経由して野沢温泉村に到着、早速、湯回りに出ました。村の外湯は全部で13ヶ所あるそうですが、全部回ることもできませんので、大湯通りに面してる浴場をトライしました。何処も湯温が熱い。街中に熱い温泉が噴き出してます。 汗をかきかき出入りしているのは観光客で、地元の人はリラックスして入浴してます。村の公衆浴場のようです。
この旅行の唯一のホテル宿泊、野沢温泉ホテル、ここの露天風呂は良い雰囲気です。今はシーズンオフですので、客も少なく貸切でした。
翌朝、朝市が6時からあると言うので早起きして観て回り、露店のおばさん手製の味噌と梅干を買いました。これは逸品です。 10時に野沢出発、志賀高原横手山越え、草津温泉経由して帰宅する計画でしたが、草津白根山火口付近のガス濃度が高くり、道路が通行止めになったため万座温泉におり、ここでホテル聚楽の露天風呂に浸かる。ここの露天風呂は野趣があり最高です。 更に中之条町の尻焼温泉に足を延ばして入浴、と言うより入河です。ここは長笹沢川の河床から温泉がわき出ていて、川のどこでも温泉なのですが、かなり熱く、適温の区域だけ仕切って、そこに入ります。女性の方は水着を着たり、タオルを巻いて入浴してますが、男性は素っ裸で入っている方が多いようです。何だかヌーディストキャンプみたいでなじめないですが、水着とビーチサンダル、川底が滑りますので必要です。むろん無料です。のんびり日光浴をしながら温泉三昧、いいのではないでしょうか。
3泊4日の温泉めぐり、何処も個性ある温泉で堪能できました。
それにしても日本は何処にも温泉があり、美味しい水が飲めて、こんな国は世界広しといえど何処にもないでしょう。 日本人に生まれて本当に良かった。
ここ数年5月は自転車旅行にに出てましたが、今年は天気予報を良く観察し、五月晴れになりそうな時期を選び、温泉巡りに出ました。 まず最初は福島県野地温泉、東北道を北上、二本松インターを出て走ること30分、大泉の外環入口から約3時間で野路温泉ホテルに着きました。入浴料800円を払いまず”鬼面の湯”露天風呂。乳白色の濁り湯かけ流しです。周りは新緑、先週まで山桜咲いていた由、最高です。他に天狗の湯、羽衣の湯がありますが、今回はここと千寿の湯につかりました。

この日は会津若松市に泊まり、あくる日只見線に沿って国道252号線を只見駅に向け出発。この道は只見線の車両が只見川に架けられた鉄橋を渡るシーンを写真に撮ろうとする鉄道写真フアンに人気がある。移動が土曜日だったので街道のポイントには多数の写真家がスタンバイしていた。 またこの街道沿は、日本の里山の原型が点在する。特に柳津駅から只見駅は只見川、集落、田畑のコントラストが抜群に良い。 そして無数の温泉が点在する。まず、柳津温泉、10軒の温泉宿があり、湯めぐりが出来る。また、虚空蔵菩薩圓蔵寺があります。ぞくに東北の清水寺。見事です。ここから少し奥の西川温泉の”せいざん荘”で露天風呂をトライ。ここ西川温泉には地熱発電所があります。さらに只見川を上流に向かうと早戸温泉、鶴の湯で一休み。駐車場からエレベーターで受付けまで降りる。温泉は川岸に湧いているようです。只見川を見ながらの露天風呂を堪能。それからしばらくいくつかの温泉場を通り超し、大塩温泉で休息。ここは温度は低めですが、炭酸泉として有名です。炭酸飲料の様に炭酸が泡状に溶けているのかと、想像しましたが、炭酸成分含有量が多いと言うことです。入ると肌がさらさらしてきます。 面白い温泉です。
只見駅前の旅館に泊まり、翌朝、田子倉湖を周わり、魚沼、津南、飯山を経由して野沢温泉村に到着、早速、湯回りに出ました。村の外湯は全部で13ヶ所あるそうですが、全部回ることもできませんので、大湯通りに面してる浴場をトライしました。何処も湯温が熱い。街中に熱い温泉が噴き出してます。 汗をかきかき出入りしているのは観光客で、地元の人はリラックスして入浴してます。村の公衆浴場のようです。
この旅行の唯一のホテル宿泊、野沢温泉ホテル、ここの露天風呂は良い雰囲気です。今はシーズンオフですので、客も少なく貸切でした。
翌朝、朝市が6時からあると言うので早起きして観て回り、露店のおばさん手製の味噌と梅干を買いました。これは逸品です。 10時に野沢出発、志賀高原横手山越え、草津温泉経由して帰宅する計画でしたが、草津白根山火口付近のガス濃度が高くり、道路が通行止めになったため万座温泉におり、ここでホテル聚楽の露天風呂に浸かる。ここの露天風呂は野趣があり最高です。 更に中之条町の尻焼温泉に足を延ばして入浴、と言うより入河です。ここは長笹沢川の河床から温泉がわき出ていて、川のどこでも温泉なのですが、かなり熱く、適温の区域だけ仕切って、そこに入ります。女性の方は水着を着たり、タオルを巻いて入浴してますが、男性は素っ裸で入っている方が多いようです。何だかヌーディストキャンプみたいでなじめないですが、水着とビーチサンダル、川底が滑りますので必要です。むろん無料です。のんびり日光浴をしながら温泉三昧、いいのではないでしょうか。
3泊4日の温泉めぐり、何処も個性ある温泉で堪能できました。
それにしても日本は何処にも温泉があり、美味しい水が飲めて、こんな国は世界広しといえど何処にもないでしょう。 日本人に生まれて本当に良かった。
白虎隊記念館と会津若松の旅
前々から一度、会津若松をゆっくり見て歩きたい、と思ってましたが、やっと実現。飯盛山,白虎隊19士の墓参鶴ヶ城を観てきました。
圧倒的な数の西軍、軍備の上でもアームストロング砲など英国から入れた大砲などを持つ西軍に対しよくぞ戦い、一か月も籠城、持ちこたえたものだと感心。 記念館に展示されてる要人の肖像、写真画を観ると、各人現代日本人には覗われない凛々しい顔立ちで、強い信念に基ずく思想を持った人たちだと、感じました。
西 鋭夫、スタンフォード大学、フーヴァー研究所教授の ”新設、明治維新”によるとこの、明治維新、会津戦争は外国の援助を受けた勢力による、巧妙に仕掛けられた反体制革命、現在の中東のアラブの春、東欧で起きたカラー革命と一脈通じるところがあるそう。 西軍の軍備を見ると、それもありかなと感じます。
ところで、これは余談ですが、私がサラリーマンになったころ1960年代の後半ですが、同じ職場の同僚に土佐、会津、松本の出身の方々とチームを組んでました。 そして会議、打ち合わせをするのですが、なかなか結論に達しません。土佐と会津では合わないわけです。子供のころ受けた歴史の授業とか課外授業で訪れた記念館の記憶が心の隅に残っているのでしょうか。 また、松本の方は頑固で自分の意見を曲げない県民性があります。これはその時は気が付きませんでしたが、後に沢山の人々と会い、人は多かれ少なかれそれぞれ出身地の気風を持っていると理解して、初めて分かりました。 現在ではそのようなことは起こらないでしょうが、気候風土から育まれる郷土の気質、気風、私は大事だと思います。 金太郎あめみたいに何処を切っても同じで、個性のない人の集まりはいただけない。その意味で世界を究極的に世界を同一化しようとするグローバリゼーションの考えはいただけません。
もう一つ、飯盛山で出会った60歳代の人に”日本人なら白虎隊のことは知ってますね”と話したら、彼女知らない、初めて聞く話だとのこと。耳を疑いました。 そこまで日本人精神を排除する教育が徹底されているのでしょうか。ビックリしました。
前々から一度、会津若松をゆっくり見て歩きたい、と思ってましたが、やっと実現。飯盛山,白虎隊19士の墓参鶴ヶ城を観てきました。
圧倒的な数の西軍、軍備の上でもアームストロング砲など英国から入れた大砲などを持つ西軍に対しよくぞ戦い、一か月も籠城、持ちこたえたものだと感心。 記念館に展示されてる要人の肖像、写真画を観ると、各人現代日本人には覗われない凛々しい顔立ちで、強い信念に基ずく思想を持った人たちだと、感じました。
西 鋭夫、スタンフォード大学、フーヴァー研究所教授の ”新設、明治維新”によるとこの、明治維新、会津戦争は外国の援助を受けた勢力による、巧妙に仕掛けられた反体制革命、現在の中東のアラブの春、東欧で起きたカラー革命と一脈通じるところがあるそう。 西軍の軍備を見ると、それもありかなと感じます。
ところで、これは余談ですが、私がサラリーマンになったころ1960年代の後半ですが、同じ職場の同僚に土佐、会津、松本の出身の方々とチームを組んでました。 そして会議、打ち合わせをするのですが、なかなか結論に達しません。土佐と会津では合わないわけです。子供のころ受けた歴史の授業とか課外授業で訪れた記念館の記憶が心の隅に残っているのでしょうか。 また、松本の方は頑固で自分の意見を曲げない県民性があります。これはその時は気が付きませんでしたが、後に沢山の人々と会い、人は多かれ少なかれそれぞれ出身地の気風を持っていると理解して、初めて分かりました。 現在ではそのようなことは起こらないでしょうが、気候風土から育まれる郷土の気質、気風、私は大事だと思います。 金太郎あめみたいに何処を切っても同じで、個性のない人の集まりはいただけない。その意味で世界を究極的に世界を同一化しようとするグローバリゼーションの考えはいただけません。
もう一つ、飯盛山で出会った60歳代の人に”日本人なら白虎隊のことは知ってますね”と話したら、彼女知らない、初めて聞く話だとのこと。耳を疑いました。 そこまで日本人精神を排除する教育が徹底されているのでしょうか。ビックリしました。