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弥右衛門の暇つぶし

写真、動画での旅行記、ビックリ仰天記事など。

茨城県ー長野県、ぶらぶら旅行、新潟県の巻

2020-09-04 15:28:00 | 小さな旅
l 27日、朝9時半に出発、ナビ任せで弥彦村へ向かう。此処でも郊外に出ると稲田が続く。11時少し過ぎに弥彦温泉「桜の湯」に到着。今回は弥彦神社はお詣りしませんでした。早速お風呂に。此処の泉質は無色透明、山梨の石和温泉の泉質に似ている。だけどこの温泉施設稲田の中に忽然と現れ、特大でビックリしました。







露天風呂から弥彦山が見えます。
小一時間桜湯に滞在、此処を後にして国道8号線に入り寺泊の魚市場へ。通称「魚のアメ横」で有名。一通りみてあるく。此処で底魚を仕入れて、海岸の松林で持参した蒸し鍋で中華料理の「清蒸全魚」を作り食べることを夢想し、鍋、柚ポン酢、にんにく醤油を用意して来たが、実現出来ず。残念です。最近は観光客向けの品揃えで、蟹や海老が多くあるが、ちょうど良いサイズの根魚がない。




食堂も沢山あるのだが、観光客向けでイマイチ、敬遠して国道8線を柏崎市へ向かう。途中「刈羽原子力発電所を右手に見て海岸線を進む。




「恋人岬」に到着。日本海の海の色は薄いブルーで綺麗、太平洋側と大分違う。空の色が違うからだろう。此処の駐車でソーセージを炒めて昼食。下手な食堂で食べるより美味しい。
また国道に戻り直江津方向へ、途中国道を左折して高田城公園へ、立て直した城郭を見学。戊辰戦争では当時の城主、榊原一族が長岡藩中心の奥羽越列藩同盟と西軍の間で翻弄された様子が説明されている。

4時過ぎに高田城公園を出て、急遽決めた上越市の西外れの民宿に向かう。海水浴客を含めて2組の滞在客です。宿泊料金は6500円、上越市からの補助があるので価格を下げてる。コロナのお陰です。手のひらサイズ石鯛の塩焼きが美味しかったです。

明日は富山県の黒部温泉 、黒部峡谷へ行きます。







茨城県ー長野県ぶらぶら旅行、福島県、新潟県の巻m

2020-09-03 22:01:00 | 小さな旅
今回の旅行は長年乗り慣れた車の助手席を外し、後部席を倒してフラットにして、そこにエアーマットをひいてベットを作り、さらに自動車用の冷蔵庫、携帯電源を積んで、車中泊をしながら、高速道路を使わず、のんびり旅する予定で出かけたのですが、那須高原の道の駅で宿泊した以外は残念ながら暑さの為、車中泊は断念、民宿、都市ホテルに泊まりました。それにしても日本海側各地の暑さ、これは凄いです。フエン現象とかで、とにかく気温が高く、夜になっても気温が下がらないのです。ビックリ、いい勉強になりました。
さて、明くる26日、朝6時起床、ソーセージを焼いてレタスと一緒にパンに入れて食べる。マヨネーズをかけるのがコツ。9時出発、寝汗をかいたので、また「鹿の湯」で一風呂浴びる。


ここは那須温泉の源泉で、洗い場は無く、檜の風呂か6ヶ所あり、それぞれ温度が違う。朝からお年寄りで賑わっている。乳白色の硫黄泉で、これまた最高です。そして那須岳、勇壮な山です。夏は雲がかかっていて、山全体を見ることが難しいのですがまだ早いので何とか見ることが出来た。
今日は「大内宿」を見て、猪苗代湖の西側から「喜多方」でラーメンを食べ、それから新潟県の「月岡温泉」を目指します。



大内宿に入る前に大欅がありました。


立派な大木です。
そして大内宿。平成の初めに来たことがありましたが、立派な駐車場ができ、すっかり観光地化してます。そして絵面白いことに街道に面した家は藁葺きの昔のものですが、裏はどこも白壁のモダンな造りの家で、若い世代の住居の様です。






大内宿を後にして山を降りると会津盆地、磐梯山を右手に見て走ること約1時間半で喜多方の町に着きました。ジリジリ照り付ける日が暑い。ラーメン店の当てもないので適当に入る。麺は太めですが、さっぱりした味で、まぁ、こんなもんでしょう。






喜多方を後にして国道49号線を阿賀野市に向け走る。途中県道を新発田方面へ。4時少し前に月岡温泉に到着。さっそく「美人の泉」なる共同浴場に入る。緑色の透明なお湯で、体がすべすべしてくる。これに毎日入っていれば、確かに肌はすべすべ、綺麗になるかも。納得です。




写真を撮り忘れたので、Google photoを借用。
あまり入れない、珍しい良い湯でした。
夕暮れの県道を新潟市へ向かう道の両側は何処までも稲田が続きます。ビックリです。成る程、新潟県は米どころ。あらためて認識できました。6時過ぎに市内のドーミーインに到着、今日はここに泊まります。コロナの影響で宿泊費がほぼ半額、ここは24時間入れる天然温泉があるので良い。






茨城県から長野県までのぶらぶら旅行ー茨城県、栃木県の巻

2020-09-02 15:55:00 | 小さな旅
8月の最終週、猛暑の日々が続いていたが、思い切って出かけることにした。今回は長年乗り慣れたハリヤーハイブリット車の助手席を外し、車内泊ができる様に冷蔵庫、携帯電源を積み準備万端で、快適に車中泊しながら旅行が出来るはずだったが、結局、那須高原友愛の森道の駅で一泊した以外は、暑さの為に車内泊は断念、民宿、都市ホテル泊に変更、そんな旅の旅行記です。
最初は「袋田の滝」。茨城県の有名な観光地、成る程、幾重にも水が段差をヘて流れ落ちる、高さもあり、見事な滝です。一時の涼を楽しみました。
 





どう言うわけか滝に抜けるトンネルの中に「不動明王」祀ってありました。


袋田の滝を後にし、那須高原に向かいます。4寺前に「友愛の森、道の駅」に到着。今日はここで車中泊です。


その前に乳白色の「小鹿の湯」で汗を流す。ここの温泉は最高です。
そして夕食は車の中で肉を焼き、野菜に挟んでサンドイッチにビールです。野外で食べるとなんでも美味しいです。


義人、本橋次郎左衛門政國

2020-09-02 12:19:00 | 小さな旅
前々から気になっていた、常陸大宮の生まれで小舟一揆の指導者、本橋次郎左衛門政國の碑を、一度は訪れなければと思ってましたが、この暑さを押して出かける事にしました。この事件は一地方に起こった小さな抵抗運動でしたが、後にこの事件がきっかけで大きく議会政治への道を開く契機に成りました。
以下は「義民顯彰の碑」からの抜粋です。




時は明治9年12月6日(1876年)、常陸大宮(茨城県常陸大宮市)上小瀬、小舟村の農民が愛宕山に集まり減租嘆願、納税延期の方策協議した。5年の洪水、6年の暴風、更に地租改正による負担加重は、この地方のみならず痛く農民を苦しめていた。この窮地を救おうと立上がったのが本橋次郎左衛門、大町甚左衛門、岡崎新八、小林彦衛門、その他の人たちであった。各村の同志を募っている矢先、農民たちが小舟村で巡査2名を殺害してしまう事件んが起こる。この突発事故で様相は一変、直接行動をとる事になる。各村に檄を飛ばし、同士を募り新政府県庁に強訴する事に衆議一決、10日未明33ヶ村の農民総勢2千余、「救万民」の大旗を立てて水戸の県庁を目指す。県庁側は急遽浪人、士族を雇いこれに対抗、農民側に多数の犠牲者が出る。更に県庁は殺人罪など重罪囚人を解き放し、これに対抗させる。大町甚左衛門は殺害され、本橋も負傷、ここに農民隊は壊滅離散、一揆は敗退した。この事件は明治政府に大きな衝撃を与えた。政府は翌10年1月、地租率の軽減を布告した。
しかし本橋始め首謀者は死罪、懲役刑24名、罰金刑を課せられた農民は1000名以上、尊い犠牲を払う。本橋次郎左衛門政國は明治11年8月12日に斬死で処刑される。39歳であった。
その後、明治30 年(1897年)有志により自宅前に「政國の碑」が建立される。
もともと水戸藩への帰属意識の高い土地柄、新政府以降就任した巡査は元西軍の下級武士、足軽が多く、高圧的な態度で農民を締め付け、鬱積した不満がこの気に及んで爆破、殺害してしまったのではと、察せられる。歴史の流れは民衆の力で決まる。


小瀬一揆の犠牲者の子孫、小森けん氏が行商で貯めたお金で昭和33年に建てた「慰霊堂」当初、殉職警官も名前は入れないつもりでしたが、村の有力者の横槍で全関係者37名を祀る慰霊堂になった。


「山の日」の奥日光

2020-08-12 17:53:17 | 小さな旅
「山の日」の奥日光
Go to キャンペーン補助を当て込んで《山の日》の連休に奥日光に避暑に行ってきました。連日の猛暑、奥日光は別天地、涼しく良い休養になりました。だけど東京の住人はキャンペーン対象外などと言ってますが、これは差別だね。
コロナはただの”風邪”だって言う話もあるし、いったいどうなっちゃうのかねぇ。確かに全人口の中の感染者数の比率は例年のインフルエンザと変わらないようだし、なんか腑に落ちない所がありますね。 余談ですけっどウイルスの微粒子サイズの比較表がありましたので参考に添付します。ちなみにマスクの網目がブロック出来るサイズは5マイクロmだそうです。だからマスクしていてもウイルスは通かしちゃうようです。
広大な自然林の中でマスクして、皆なさんハイキングしてましたが、これだけ毎日コロナ恐ろしいとマスコミが言うもんだから、皆さんもう恐怖心でいっぱいなのでしょうかね。不思議な光景でした。