弥右衛門の暇つぶし

写真、動画での旅行記、ビックリ仰天記事など。

ハルピン、北京1249キロ汽車の旅

2019-06-29 22:17:14 | 気ままな一人旅

2013年の記事の再投稿です。

何時か、中国東北部、旧満州の諸都市を訪れてみたいと思っていたが、思いがけなくそのチャンスがきた。 所要で北京滞在し、そのまま帰るのももったいないので、いろいろ考えた挙句に、ハルピンまで飛んで2泊し、帰りを高速鉄道で長春、瀋陽を経由して北京に戻ることにした。 鉄道で駅を通過するだけだが、想像したとうり市、町の雰囲気を感じ、広大な東北部の大地を垣間見ることが出来た。

まず、北京空港、予約したフライトが突然キャンセルになり、別便に振られたのですが、その手続を自分でしなければならず、てんてこ舞い、やっと乗ったフライトは超満員でした。 北京を夕方に飛び立つと9時前にはハルピン空港に着く。 ビックリ、10月中旬だと言うのに外は雪景色です。 早速タクシーを探すが、まいりました一台もない。 あわてて行先も確認せずリムジンバスに乗る。 まぁ、そのうち市内に着くだろうと腹を決める。 駅と思しきところで降りて、タクシーを捕まえ、あらかじめ用意したホテル所在地を書いたメモを見せて連れて行ってもらう。 ホテルはホリデイーイン・ハルピン、Agoda.comで予約し支払い済みのバウチャーを持っているのにもかかわらず、デポジィットをカードで払えと言う。どーもバウチャーの意味が分からないようで、すったもんだした挙句、翌朝ホリデイインの本社に連絡して確認するまで、一時デポを預ける、とのことで解決、やっと11時前に部屋に入れた。当時は地方のホテルではそんなこともあったのです。

翌朝、早速見て歩きに出る。 最初は”中央大街”、ロシア語名”キタイスカヤ”、1900年代初めに建設された純ロシア風アールヌーボー様式の街並だ。 花崗岩が敷き詰められた道路が松花江岸まで約1.5キロほど続く。

建物が良く保存されていて、とても中国とは思えない欧風の街並だ。 河岸に着くと風が冷たい。そしてこの松花江の水量が多いのにビックリ。河川敷が無い。長白山系(白頭山)が源流で、アムール河最大の支流だそうですが大河です。早速、河岸のショツピングモールで保温用の耳あてを買う。 10月なのに大陸の風はとても冷たい。 中央大街を途中まで戻って“聖ソフィア大聖

 

 

堂”(ロシア正教寺院)に向かう。

この手前にも市場があり、ありとあらゆるものが手に入る。 外には露天商が並び、忙しい界隈だ。 それからアッチコッチと歩き回る。 今は地下鉄が開通したようだが、当時はなかったためとにかく歩き回った。 中国ではいつもビックリすることに出会うが、ここでも”焼玉エンジン”の荷車が町の中を”ポンポン”音を立てて走っていた。 まだ現役なのだ。  (写真はイメージ)

夜は”モスクワ大劇院”、ロシア人のお色気ショウと中國人の軽演劇上演館だ。 この日は台湾からの団体観光客が多く入っていて、司会者がしきりと機嫌を取っていたように聞こえた。(中国語が分からないけど、雰囲気で) ロシア人のショウが始まる前にヘルメットをかぶった警備員が出てきて舞台を囲む。 観客がダンサーを触るのを防止するためだ。 昔、渋谷の場末のストリップ劇場で”踊り子さんに触らないでください”とよくアナウスしてたのを思い出して思わず吹きだしてしまった。 

よく早朝、ハルピン駅に向かう。 昔、伊藤博文が朝鮮人、安重根に暗殺された場所だ。 今は記念になるものは何も無いもない。 早朝から駅構内は混雑している。 キップを駅員に見せ待合室に入る。 D28号、時速200キロで走る高速列車ですがどの列車がそれなのか見当がつかないので、列車が入る度に駅員に尋ね、やっと予約の列車に乗る。 それと言のも高速列車と在来線の軌道が同じ幅なので、当時はホームが別になってなかった。車両は新幹線300系の、まぁ、コピーでしょう。 座席からトイレまでそっくりです。 定刻にハルピン駅を出発一路南に向かう。 市街地を出ると田園風景になる。 トウモロコシかコウリャンの畑だろうが、何処までも何処までも地平線まで続き、そして畑には派手な色のマフラーでほっかぶりした女性が働いている。畑の区切りの道路にはアカシアの並木が続く。どこかで見た旧満州写真のイメージだ。 

北京まで長春、瀋陽、を経由、1249キロの旅です。車窓からの眺めは畑、畑、そして瀋陽を過ぎると水田が多くなる。 また、例外なく市街地に入ると高層ビル群が見えてくる。 そしてどこの町、市でも建築ラッシュが観察できた。 北京駅には定刻に到着。 まる8時間、まったく飽きずに車窓を眺めていた。 今の(当時の)中国を垣間見れた、良い旅でした。


福島、長野、群馬県の温泉巡りの旅

2019-06-06 20:42:29 | 小さな旅
福島、長野、群馬県の温泉巡りの旅

ここ数年5月は自転車旅行にに出てましたが、今年は天気予報を良く観察し、五月晴れになりそうな時期を選び、温泉巡りに出ました。 まず最初は福島県野地温泉、東北道を北上、二本松インターを出て走ること30分、大泉の外環入口から約3時間で野路温泉ホテルに着きました。入浴料800円を払いまず”鬼面の湯”露天風呂。乳白色の濁り湯かけ流しです。周りは新緑、先週まで山桜咲いていた由、最高です。他に天狗の湯、羽衣の湯がありますが、今回はここと千寿の湯につかりました。

この日は会津若松市に泊まり、あくる日只見線に沿って国道252号線を只見駅に向け出発。この道は只見線の車両が只見川に架けられた鉄橋を渡るシーンを写真に撮ろうとする鉄道写真フアンに人気がある。移動が土曜日だったので街道のポイントには多数の写真家がスタンバイしていた。 またこの街道沿は、日本の里山の原型が点在する。特に柳津駅から只見駅は只見川、集落、田畑のコントラストが抜群に良い。 そして無数の温泉が点在する。まず、柳津温泉、10軒の温泉宿があり、湯めぐりが出来る。また、虚空蔵菩薩圓蔵寺があります。ぞくに東北の清水寺。見事です。ここから少し奥の西川温泉の”せいざん荘”で露天風呂をトライ。ここ西川温泉には地熱発電所があります。さらに只見川を上流に向かうと早戸温泉、鶴の湯で一休み。駐車場からエレベーターで受付けまで降りる。温泉は川岸に湧いているようです。只見川を見ながらの露天風呂を堪能。それからしばらくいくつかの温泉場を通り超し、大塩温泉で休息。ここは温度は低めですが、炭酸泉として有名です。炭酸飲料の様に炭酸が泡状に溶けているのかと、想像しましたが、炭酸成分含有量が多いと言うことです。入ると肌がさらさらしてきます。 面白い温泉です。
只見駅前の旅館に泊まり、翌朝、田子倉湖を周わり、魚沼、津南、飯山を経由して野沢温泉村に到着、早速、湯回りに出ました。村の外湯は全部で13ヶ所あるそうですが、全部回ることもできませんので、大湯通りに面してる浴場をトライしました。何処も湯温が熱い。街中に熱い温泉が噴き出してます。 汗をかきかき出入りしているのは観光客で、地元の人はリラックスして入浴してます。村の公衆浴場のようです。
この旅行の唯一のホテル宿泊、野沢温泉ホテル、ここの露天風呂は良い雰囲気です。今はシーズンオフですので、客も少なく貸切でした。
翌朝、朝市が6時からあると言うので早起きして観て回り、露店のおばさん手製の味噌と梅干を買いました。これは逸品です。 10時に野沢出発、志賀高原横手山越え、草津温泉経由して帰宅する計画でしたが、草津白根山火口付近のガス濃度が高くり、道路が通行止めになったため万座温泉におり、ここでホテル聚楽の露天風呂に浸かる。ここの露天風呂は野趣があり最高です。 更に中之条町の尻焼温泉に足を延ばして入浴、と言うより入河です。ここは長笹沢川の河床から温泉がわき出ていて、川のどこでも温泉なのですが、かなり熱く、適温の区域だけ仕切って、そこに入ります。女性の方は水着を着たり、タオルを巻いて入浴してますが、男性は素っ裸で入っている方が多いようです。何だかヌーディストキャンプみたいでなじめないですが、水着とビーチサンダル、川底が滑りますので必要です。むろん無料です。のんびり日光浴をしながら温泉三昧、いいのではないでしょうか。
3泊4日の温泉めぐり、何処も個性ある温泉で堪能できました。 
それにしても日本は何処にも温泉があり、美味しい水が飲めて、こんな国は世界広しといえど何処にもないでしょう。 日本人に生まれて本当に良かった。

白虎隊記念館と会津若松の旅

2019-06-06 11:16:28 | 小さな旅
白虎隊記念館と会津若松の旅

前々から一度、会津若松をゆっくり見て歩きたい、と思ってましたが、やっと実現。飯盛山,白虎隊19士の墓参鶴ヶ城を観てきました。 
圧倒的な数の西軍、軍備の上でもアームストロング砲など英国から入れた大砲などを持つ西軍に対しよくぞ戦い、一か月も籠城、持ちこたえたものだと感心。 記念館に展示されてる要人の肖像、写真画を観ると、各人現代日本人には覗われない凛々しい顔立ちで、強い信念に基ずく思想を持った人たちだと、感じました。
西 鋭夫、スタンフォード大学、フーヴァー研究所教授の ”新設、明治維新”によるとこの、明治維新、会津戦争は外国の援助を受けた勢力による、巧妙に仕掛けられた反体制革命、現在の中東のアラブの春、東欧で起きたカラー革命と一脈通じるところがあるそう。 西軍の軍備を見ると、それもありかなと感じます。
ところで、これは余談ですが、私がサラリーマンになったころ1960年代の後半ですが、同じ職場の同僚に土佐、会津、松本の出身の方々とチームを組んでました。 そして会議、打ち合わせをするのですが、なかなか結論に達しません。土佐と会津では合わないわけです。子供のころ受けた歴史の授業とか課外授業で訪れた記念館の記憶が心の隅に残っているのでしょうか。 また、松本の方は頑固で自分の意見を曲げない県民性があります。これはその時は気が付きませんでしたが、後に沢山の人々と会い、人は多かれ少なかれそれぞれ出身地の気風を持っていると理解して、初めて分かりました。 現在ではそのようなことは起こらないでしょうが、気候風土から育まれる郷土の気質、気風、私は大事だと思います。 金太郎あめみたいに何処を切っても同じで、個性のない人の集まりはいただけない。その意味で世界を究極的に世界を同一化しようとするグローバリゼーションの考えはいただけません。
もう一つ、飯盛山で出会った60歳代の人に”日本人なら白虎隊のことは知ってますね”と話したら、彼女知らない、初めて聞く話だとのこと。耳を疑いました。 そこまで日本人精神を排除する教育が徹底されているのでしょうか。ビックリしました。