弥右衛門の暇つぶし

写真、動画での旅行記、ビックリ仰天記事など。

敦煌 9/9-10、2018

2018-10-25 22:54:46 | 河西回廊シルク・ロード
敦煌 9/9-10、2018

9月9日、郊外の遺跡見学に行くのをやめ、敦煌市内を見学、それと香港の”中国テレコム”発行のSIMカードが役立たずだったので、これを調べに街に出る。ここでも町を走る2輪車、3輪車は殆ど全て電動車で静かで排気ガスが無い。
そして、また夜、出直して”敦煌夜市”見学。中国の方は大勢集まって食事を楽しむ習慣で、ここでも観光客、地元の人達が楽しく食事を楽しんでいる様子は羨まし限りだ。
私はと言えば、鶏のスープそば、昼間に水餃子をたらふく食べたのでこれで充分です。


充分夜市見て歩きを楽しんで最終のホテルのシャトルバスで帰りました。
翌日、烏魯木斉行のフライトまで時間があるのでホテルの自転車を借り、町中を再度見て歩き。驚いたのは敦煌市では歩行者優先です。これは他の中国の街中では在りません。それと町中に立派なダム、水路がありました。敦煌はオアシスの街と思ってましたが、これは認識不足でした。それと町中のスローガン、これも印象的でした。
30分も車で走ると茫漠とした砂漠になる土地柄ですが、街は綺麗に整備され、目抜通りには散水車が水をまき、清掃係の人が常に箒で歩道を掃除、好感の持てる素晴らしい観光の町でした。

莫高窟、鳴砂山、月牙泉9月8日、2018

2018-10-19 19:48:07 | 河西回廊シルク・ロード
莫高窟、鳴砂山、月牙泉9月8日、2018


9月8日、早速、ホテルの車で莫高窟観光に出ました。まず、敦煌の街中にあるセンターにて入場料、220元を支払いセンター内の大型スクリーン映像館で莫高窟の歴史的背景の説明動画を観ます、続いて隣接する全天全周映画館で莫高窟内の彫刻、壁画など美術作品の説明を観ます。オーディオ機器で日本語の説明がされます。約一時間、これが終わるとこのセンターからシャトルバスで莫高窟に向かいます。 約20分の距離、更に日本語を話せるガイドさんを待ち、いよいよ莫高窟の見学です。その日によってどの洞窟に入るかは違う様で、私たちの日本人グループ7人が見学した洞窟は比較的新しい、保存状態の良いものでした。最後に高さ30メートルを超す、大仏を観て、約一時間のガイドツァーは終わりです。その後は自由に鍵の開いている洞窟は見学ができます。莫高窟は前秦年間(紀元366年)から約1000年彫り継がれ、492カ所の洞窟がある由、仏教石窟芸術の宝庫、世界遺産、中国民の誇りであることは間違いありません。ガイドさんの説明では1000年に渡って彫り継がれた動機は信心深い仏教徒の寄進によって成し遂げられたとのこと、ヨーロッパ各地にある大規模キリスト教寺院なども、ある意味、時の権力者、信心深い人達の寄進によって建てられた、と言えましようか。
洞窟内は撮影禁止ですのでパンフレットの写真を添付します。





さて、莫高窟センターに戻り、そこから鳴紗山、月牙泉に向かいます。約20分の距離です。私はホテル車で行きましたが、市内からも含めてタクシー移動が経済的です。入場料120元を払い中に入ります。以前は何もない砂漠で
在ったろうと想像しますが、今では立派な門、観光施設(博物館)を造り、中にはモーターグライダーの空からの観光、バギー車による砂漠サファリ、中でもラクダツァーは麓から頂上まで隊列が出来てました。 驚きです。私は電動車で月牙泉の近くまで行き、徒歩で少し離れた静かな所から月牙泉を眺めました。砂漠の中の枯れることのない泉、絶景で不思議な眺めでした。
それにしても現代中国国内は観光ブームと見受けられ、それはそれは大変な人出です。砂漠が観光ビジネスになったようです。 ゴビ砂漠の風力発電と言い、砂漠はもう不毛の地ではないようです。
私の年代はNHKのドキュメンタリープログラム、敦煌莫高窟・シルクロードなどの番組を観、また、井上靖先生の中国・河西回廊紀行記を読み、一度はこの地を訪れてみたいと動機ずけられましたが、現代の西域はその当時とは程遠い地になったようです。でも来てよかったです。 井上先生が現代の西域を観たら何て言うでしょうか。

西安ー敦煌 K367列車 9月7-8日 2018

2018-10-18 21:48:27 | 河西回廊シルク・ロード
西安ー敦煌 K367列車 9月7-8日 2018

9月7日、敦煌へ移動します。K367列車は10時27分発ですがホテルを2時間前に出ました。 タクシーはすぐにホテル前で捕まえましたが、駅前が工事で構内に入れず、だいぶ離れたところから歩きました。そして保安検査、これが厳しい。スーツケースの中にあった果物ナイフと小さいカッターは没収です。ナイフはドイツ製の高価な物だったのでがっかりです。やっと50分前に待合室に到着、蚊がいましたが気にしない、気にしない。ここソフトクラスの待合室は列車が入ると乗車案内があります。それで20分前にキャビンへ。上下左右4ベッドで窓側に固定のテーブルがあります。トイレも清潔で綺麗です。スーツケースはベッドの下に入れます。定刻、静かに列車は走り出しました。最初の停車駅、西安西駅でしょうか、敦煌へ帰るビジネスマン風の人が乗ってきました、二人だけです。車窓からは黄土と畑が見えます、木は少ない。そして18:50蘭州駅に着きました。この駅はこの路線の主要駅でここから列車はほぼ満員になりました。我がキャビンも満席です。カボチャの種をもらって一緒に食べるのですが、私だけ上手く食べられず殻ばっかりすててました。 そして30分も走ると右手に黄河が見えてきます、観ると大規模なつり橋がこの大河にかかってます。井上靖先生は旅行記の中で、蘭州を過ぎると山裾を走りやがて2000メートルを超す風光明媚な峠を越えるとありますが、残念、闇夜で何も見えません。あくる朝7時ごろには日が上ってきます。観るとそこはゴビ砂漠です。小石が多い砂漠の意味だそうですが、まさにその通りです。そして風力発電の風車が何百、いや何千機も見えます。中国はこの不毛の砂漠を発電所に変えてしまいました。これは驚きです。そして敦煌駅へは約30分遅れで到着、駅舎も新築、立派です。丸一日の汽車の旅でしたが、退屈もせず快適なものでした。

西安 2018年9月6日弥右衛門シルク・ロードの旅

2018-10-16 22:28:43 | 河西回廊シルク・ロード
西安 2018年9月6日

今年も9月5日より旅に出ました。成田から中国、西安市に飛び、そこから汽車で敦煌、飛行機で烏魯木斉、トルハン、更にアルマティー(カザフスタン)、タケシンド、汽車でサマルカント(ウズベギスタン)、一っ跳びでカッパトキア、イスタンブール(トルコ)、アテネ、ヴェネチアまで飛んで、ここでマルコ・ポーロの墓詣りで、一区切り。あとは適当にイタリア、スペインを周り、10月の中旬帰国予定の長旅です。まぁ、齢も考えず、よくこんな長旅を計画するものだと、自分でも呆れてます。
さて、それでは飛行機、空港情報、中国東方航空、MU522,16:55発、9/05 成田ー西安、上海経由で飛びます。機材はAirbus321,3席x2でかなり席のピッチがタイトです。上海で入国手続き、ここから国内線扱いで、再度煩わしい保安検査があります。そんなことで時間がかかり西安に着いたのが6日午前1時過ぎです。上海でトランジィットした乗客は通関検査があるため上海からの乗客とは別のターンテーブルで荷物を受け取ります。そこで検査、やっと中国時間午前2時頃空港を出でタクシーでホテルへ直行、深夜料金を含めて170元払いました。タクシーはメーター制ですので問題はありません。で、寝たのが3時過ぎになってしまいました。MUのこの便の他に北京経由の機がありますが、時間帯はほぼ同じようです。
さて翌朝6日、遅い朝飯を食べ西安城内の中心、鐘楼に向かいました。昼間も大変な交通量です、料金30元を払って鐘楼のに入れます。 そして次に地下鉄で西安駅に向かいますが、これが上手く繋がってなく、かなりの距離を歩いてやっと到着、敦煌行の寝台車の切符を駅で予約証明と交換に受け取るのですが、これも一苦労、受け取り窓口が分かりにくい、前日に行って良かったです。中国の列車の予約は一か月前から可能で、この予約証と交換で切符を受け取ります。現地の旅行社を介し、手数料を払い予約してもらいましたが、これ以外はソフトクラスの予約は難しいようです。このクラスは1輌しかなく発売と同時に予約が必要です。
駅の前の入城口から58元を払い城壁に登ります。自転車を借りて城壁を周るつもりでしたが、受付で60歳以上は自転車を貸さない規則だと断られる。若作りをしていても、どうやら60歳以下には見えなさそう。がっかり。仕方がないので電動車で西門まで移動、この西門から交易商人達がシルクロードへと旅立ちまた帰国していたんでしょうが、今はその当時の面影はない、が想像を豊かにしてしばし当時の情景を想像する。そしてこの西門から出て、バスで鐘楼まで戻り回族マーケットを見学、ホテルに戻り一休みしてから夜の賑わいを観て歩きに出る。ご覧の様に様変わり、夜の賑わいが本番です。こう言う情景を観るのが本当の旅です。ビックリ、興味が尽きません。