yabanjin-soulのTシャツ魂

ロック魂を手描きで表現するyabanjin-soulのたわごと・ひとりごと

中原中也「骨」

2008年01月09日 | アートイラスト

Hone    「ホラホラ、これが僕の骨だ、
    生きていた時の苦労にみちた
    あのけがらはしい肉を破って、
    しらじらと雨に洗はれ
    ヌックと出た、骨の尖(さき)。

    それは光沢もない、
    ただいたづらにしらじらと、
    雨を吸収する、
    風に吹かれる、
    幾分空を反映する。

    生きていた時に、
    これが食堂の雑踏の中に、
    坐つていたこともある、
    みつばのおしたしを食つたこともある、
    と思へばなんとも可笑しい。

    ホラホラ、これが僕の骨ーーー
    見ているのは僕?可笑しなことだ。
    霊魂はあとに残つて、
    また骨の処にやつて来て、
    見ているのかしら?

    故郷の小川のへりに、
    半ばは枯れた草に立つて
    見ているのは、---僕?
    恰度立札ほどの高さに、
    骨はしらじらととんがつている。」

中也が病死する直前、

故郷に引き篭もることに決めて

友人の小林秀雄に出版を託した「在りし日の歌」のなかに収録されてる歌で

中也の研究家などは「自分の死を意識してた詩」だなんて言ってるけど

それはなんか、

ピントがずれてるような気がするなあ。

前に、「中也が何かを見出した」って書いたけど

この詩もやっぱり、その「何か」を表現してるんだと思う。

それは「美の真理」なのか、

「芸術の真理」なのか、

「宇宙との交感」なのか・・・。

言葉では表現しにくいんだけど・・・。

とにかく、

ここに出てくる「僕の骨」は

その、「詩の世界の一つの境地」を現してるんじゃないかって思うんだ。

んで、それは、自分の中に確かに存在してるんだってことが

言いたいんじゃないかな。

結局のところ、生前の彼は

まるっきり、他人と理解しあえなかったみたいなんだけど

それでも、「理解しあいたい!」って思ってたからこそ

こんな詩が歌えたんだと思うよ。

「詩人」が「普通の生活」を送るのが

実はすごく苦しいことなんだって

訴えてるというか・・・。

もうちょっと、生きていれば

うまく折り合えることもできたんだろうけど・・・。

結核性脳膜炎で亡くなったらしいから

ホント、無念だったろうね・・・。

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コメント
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