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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖レオ一世 キリスト者の知恵

2013-09-08 05:00:00 | 聖レオ一世
聖レオ一世 (400年~461年) ローマ司教
『真福八端についての説教』
 主はさらに、「義に飢え渇く人々は幸いである。その人たちは満たされる※1」と言われます。この飢えは物質的なものを何一つ求めず、この乾きは地上的なものを何一つ追い求めません。ただ義に満たされることを望み、あらゆる神秘の中に導き入れられて、そこで主そのものによって満たされることを望むだけです。

 このような食べ物を欲し、このような飲み物を渇望する人は幸いです。もちろん、もしこの人が、この食べ物と飲み物のおいしさを全く味わったことがなかったとすれば、彼はそれらを求めることはなかったでしょう。ところで、彼は霊に満たされた預言者が自分に向かって、「味わい、見よ、主の甘美さを※2」と言うのを聞き、天上の甘美さをいくらか味わって、全く清らかな快楽を望んで燃え上がりました。この人は、あらゆる現世的なものを蔑視し、義を飲み食いしようとして心の底から燃え立ち、「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい※3」という第一の掟の真の意味を理解しています。神を愛することは義を愛することにほかならないからです。

 それから、神に対する愛の掟に隣人への心遣いの掟が付け加えられる※5のと同じように、この義に対する渇望にあわれみの徳を結びつけて、「あわれみ深い人々は幸いである。その人たちはあわれみを受ける※6」と言われます。

 キリスト者よ、あなたの知恵の尊さを認め、どのような徳の実践によって、どのような報いを得るように招かれているのかを悟りなさい。あわれみである神は、あなたがあわれみ深い人であることを望み、義である神は、あなたが義人であることを望んでおられます。それは、創造主がその被造物のうちに現れ、人間の心という鏡に、模倣という輪郭で映し出された神の像が輝くためです。実践を伴う信仰こそ確かなものです。あなたの望みがあなたを助け、あなたは自分の愛しているものを終わり無く所有するようになるでしょう。

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年間第二十三主日 読書
第一朗読 エレミヤ37:21-38:28
第二朗読 聖レオ一世 『真福八端についての説教』

※1 マタイ5:6
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

※2 詩編34:9
味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。

※3 申命記6:5
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

※4 マタイ22:37
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

※5 マタイ22:39
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』

※6 マタイ5:7
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。


聖レオ一世
 440年にローマ司教に選ばれ、よき牧者として、また信者たちの救霊のために尽くす父として活躍しました。あらゆる手を尽くしてキリスト教の正しい教義を擁護し教会の一致を保つために尽くしました。
 レオ一世の時代、ネストリウス派は「イエスは人間であって、神ではない」という説をとなえました。異端とされたこの説を排斥するあまりに、修道院長エウティケなど「キリストは真の神であって、真の人間ではない」という説をとなえる者も現れました。レオ一世は、これらの説に対して、451年のカルケドンの公会議で、信仰宣言を読み「キリストは真の人間であり、真の神である」と述べました。これに司教たちは感動し、「これこそ使徒たちの信仰である。ペトロがローマ司教レオの口を借りて語った」と言ったと伝えられています。カトリック、正教会、聖公会などで聖人。

■聖人カレンダー レオ一世(女子パウロ会 Laudateへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=111001

■ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話で、聖レオ一世について解説しています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message293.htm

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