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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖アンプロジオ 唯一の真の善である神に密着しよう

2012-03-10 00:00:00 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340-397) ミラノの司教、教会博士
『世からの逃亡について』
人の心がある所には、その人の宝もある。※1 主は願う人々には良い贈り物を与えることを拒まないのが普通だからである。

したがって、主は良い方であり、特に忍耐強く主を待ち望む者に対して良い方であるので、私たちは主に密着し、全霊、全身、全力をあげて主と共にあるように努めよう※2。そうすれば、私たちが主の光の中にとどまって、その栄光を眺め、天上の主の幸福の恵みにあずかるようになる。それゆえ、あらゆる考えと理解を超え、永久の平和と静寂の内におられるあの善に私たちの精神を向けて高め、その善のうちにとどまり、そのうち生き、それに密着しよう。その平和はあらゆる知識と理解を超えるものである。※3

それはすべてに行き渡る善であり、わたしたちは皆その中に生き、それに依存する。※4 それを超えるものは何もない。それは神という善である。「神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」※5からである。したがって善は神であり、神は善である。だから聖書は「み手を開かれれば、すべてはよいものに満ち足りる※6」と言っている。事実、すべてのよいものは当然、善である神からわたしたちに与えられている。これらのよいものには悪が混入されていないのである。



四旬節第二土曜日 読書
第一朗読 出エジプト 20:1-17 十戒
第二朗読 聖アンブロジオ司教の論述『世からの逃亡について』

※1 マタイ6:21参照
あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。

※2 マルコ12:30,ルカ 10:27 参照
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。

※3 フィリピ4:7参照
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
【そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。】

※4 使徒17:28参照
神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。
これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。
【皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』 『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。】

※5 マルコ10:18
イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。

※6 詩編104:28
あなたがお与えになるものを彼らは集め御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。



聖アンブロジオ
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ 神のことばにあなたの口を開け

2012-02-16 20:04:31 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ司教(340-397年)ミラノの司教、教会博士
『詩篇解説』
私たちは心と口で常に知恵を瞑想しよう。あなたの舌は正義を告げ、あなたの心に神の掟を抱くように※1。聖書はあなたに言う。「家に座っているときも、道を歩くときも、眠っている時も起きているときも、それらについて語りなさい※2。」したがって、主イエスについて語ろう。主は知恵であり、言葉であり、神のみ言葉であるから。

事実、「神の言葉にあなたの口を開け※3」とも記されている。主の話しを響かせ、主の言葉を黙想する者は、主を息吹く。いつも主について語ろう。

私たちが知恵について語るとき、それは主のことである。
徳について語るとき、それは主のことである。

正義について語るとき、それは主のことである。
平和について語るとき、それは主のことである。

真理といのちと贖いについて語るとき、
それは主のことである。

「神の言葉にあなたの口を開け」と書かれている。あなたは口を開け、主が話す。それためダビデは、「主がわたしのうちで言われることを、わたしは聞こう※4」と言い、神の御子ご自身は「口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう※5」と言われる。しかしながら、すべての人が、ソロモンやダニエルのように知恵を完全に獲得できるわけではない。けれども、すべての人に、それぞれの能力に応じて知恵の霊が吹き入れられる。これはもちろん、信者であるすべての人について言われることである。信じるならば、あなたは知恵の霊をもつのである。
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年間第六木曜日

※1 詩編37:30-31参照
主に従う人は、口に知恵の言葉があり、その舌は正義を語る。神の教えを心に抱き、よろめくことなく歩む。

※2 申命記6:4~7 より
聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、「家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。」

※3 詩篇81:11 参照
わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。

※4 詩編85:9(本文は、古ラテン語訳)
わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます ご自分の民に、主の慈しみに生きる人々に、彼らが愚かなふるまいに戻らないように。

※5 詩編81:11
わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。

聖アンブロジオ 私たちは神の相続人

2012-02-08 06:28:15 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340-397) ミラノの司教、教会博士
手紙
使徒パウロは、霊によって体の仕業を絶つ人は生きると言っています。その人が生きるとしても不思議ではありません。神の霊を持つ人は、神の子となるからです。その人は奴隷としての霊ではなく、神の子とする霊を受けるほどに、神の子となったのです。それは、私たちが神の子供であることを、聖霊が私たちの霊に対して証してくださるほどです。ガラテヤの信徒の手紙に記されているように、聖霊ご自身が私たちの心の中で、「アッバ、父よ」と叫んでおられることは聖霊の証です。また、私たちが神の子であることの他の一つの偉大な証は、私たちが「神の相続人であり、キリストと共同の相続人」であることです。キリストと共同の相続人は、キリストとともにその栄光を受ける人です。キリストとともににその栄光を受ける人は、キリストのために苦しみを受けて、キリストとともに苦しむ人なのです。

パウロは苦しみを受けるように私たちを励ますために、次のように付け加えています。わたしたちの苦しみなどは、皆合わせても小さなものであって、苦難に耐える者に与えられる大きな報いとは比べものになりません。その報いは、私たちが神の似姿に変えられて、顔と顔を合わせるように目の前に神の栄光を仰ぎ見るとき、私たちに現されます。

また、この未来の現れの偉大さを協調するために、パウロは付け加えて、被造物も神の子たちのこの現れを待ち望んでいるのだと書いています。被造物は今は虚無に服していますが、それ自体、意志によるものではありません。しかし、その被造物は希望を持っています。・・・


年間第五水曜日


聖アンプロジオ
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ キリストは自らの血によって和解させた

2011-08-20 07:00:00 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340~397年) ミラノの司教
『詩編解説』
キリストは世を神と和解させたのであるから、当然、キリストご自身は和解を必要としなかった。事実、何の罪も犯さなかった彼が※1、自分の罪を償うとは考えられないのである。ユダヤ人から律法に従って、罪のために神殿に支払うことになっていた銀貨を要求されたとき※2、キリストはペトロに言われた。「『シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供達からか、それとも他の人々からか。』ペトロが、『他の人からです』と答えると、主は言われた。『では、子供達は治めなくて良いわけだ。しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として治めなさい。※3』」

こうして主は自分のためには罪を償う必要がないことをお示しになった。神の子が罪の奴隷ではなく、どんな過ちも犯さなかった自由な者だったからである。事実、奴隷は罪に束縛されているが、御子は人々を自由にするのである。御子は何の罪によっても束縛されていなかった。むその血は全世界のあらゆる罪を贖うために有り余るほどの代価であったが※4、自分の魂のためには贖いの代価を支払う必要はなかった。※5 自分には何の負債もない者こそ、他の人々を解放することができるのである。

さらに付け加えよう。キリストは自分を贖うための代価を支払ったり、自分の罪を償ったりする必要がなかっただけでなく、どんな人間についても、各自が自分のことを償う必要がないと言えるのである。それは、キリストがすべての人の罪を償ういけにえであり、万人の贖いだからである。
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年間第二十土曜日

※1 2コリント5:21
罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。

※2 マタイ17:24
一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。

※3 マタイ17:24-27
一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」
ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」

※4 1ヨハネ2:2
この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。

※5 詩編49:8
神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。



聖アンブロジオ 神と人の間の仲介者

2011-08-19 07:00:00 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340~397年)ミラノの司教
『詩編解説』
「兄弟が兄弟を贖うのではない。しかし、一人の人が贖うであろう。兄弟は神に償いのいけにえをささげたり、自分の命のために贖いの代価を払ったりしない。※1」 だから[キリストは]言う。「『災いのふりかかる日に、どうして恐れることがあろうか。※2』わたしは贖ってくれる人を必要としない。わたしこそすべての人を贖う者だ。何もわたしを害することができない。他の人々を解放するわたしだから、自分自身のためには恐れおののくはずはない。見よ、わたしは肉親の情愛や慈悲を超えて、すべてを新しくする。※3」同じ母の胎から世に生まれ出た兄弟が、自分の兄弟を贖うことはできないり病に侵された同じ本性を持つからである。しかし、ある人が贖うことができる。その人とは「主は彼らに人を送る。この人は彼らを救う※4」と書かれている人であり、自分自身について、「あなたたちは、真理をあなたたちに語る者であるこのわたしを殺そうとしている※5」と言われた人である。

キリストは人であるが、だれが彼を知っているのだろうか。なぜだれも彼を知らないのか。それは神が唯一であるように、「神と人との間の仲介者は、人であるキリスト・イエスただおひとりだからである。※6」彼ひとりが兄弟よりも大きな愛を示し、人を贖うのだ。だれも兄弟を救うために自分の血をささげはしない。だが、キリストは身内ではない人のためにご自分の血を流してくださったのである。事実、わたしたちを罪から贖うために、キリストはご自分の体を惜しまず、「すべての人の贖いとしてご自身をささげられた。※7」彼の真実の証人である使徒パウロが、「わたしは真実を語り、偽りは言わない※8」と断言したとおりである。

ところで、なぜキリストだけが贖いとなるのだろうか。それは奴隷達のために自分の命を捨てるほどの愛に於いて、彼に匹敵する者はいないからである。また、潔白さにおいても彼に匹敵する者はいない。実際すべての人は罪のもとにあり、あのアダムの堕落に服しているからである。

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年間第二十金曜日
※1 詩編49:8
神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。

※2 詩編49:6
災いのふりかかる日 わたしを追う者の悪意に囲まれるときにも どうして恐れることがあろうか

※3 黙示録21:5
すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。

※4 イザヤ19:20
それは、エジプトの地において、万軍の主を指し示すしるしとなり、証しとなる。もし彼らが、抑圧する者のゆえに、主に叫ぶならば、主は彼らのために救助者を送り、彼らを救われる。

※5 ヨハネ8:40
ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。

※6 1テモテ2:5
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。

※7 1テモテ2:6
この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。

※8 ローマ9:1
わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、