河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

84 / 否定疑問

2023年09月24日 | よもやま話

道を歩いていると、向こうから知人らしき人がやって来た。
「ひょっとして〇〇さんではないですか?」
「Aではないですか?」と否定形を入れた疑問文なので「否定疑問文」という。
「〇〇さんですか?」と普通の疑問文にすると、否定されたときに言い訳に苦労するが、否定疑問文だと「失礼しました」で謝りやすい。
否定疑問文は、否定と肯定の両方をを予想した全方位型疑問文だといえる。

新車を買って一週間してセールスマンが家に来た。
「お車の調子にご不満はございませんか?」とたずねる。
「~(し)ませんか」という形も否定疑問文になる。
満足している人は、「ご満足でしょう」というセールスマンの意図を推測して「はい」と答える。
満足していない人は、「ご不満があれば承ります」という意図を推測して「はい」と答える。
面と向かい合った会話なら、声の調子で「はい・いいえ」を判断できるが、アンケートなら「はい・いいえ」の返事に注意する必要がある。
アンケートが「(不満が)ある・ない」なら答えやすいのだが。

男性が女性に、
「僕と一緒に食事をしませんか」
「はい(しません・します)」
否定疑問文は、なんともあやふやな疑問文である。
今日の記事を読んでくださった皆さんに、
「このブログを読みに、また、来てくださらないですか」

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83 / 謎

2023年09月23日 | よもやま話

大正5年刊の『考物一千題』という謎なぞの本がある。
これがなかなかおもしろいので、少しばかり紹介する(一部改変)。
答えはすべて【天文】に関するものである。
①キリスト教徒が最も尊ぶものは何でしょう?
②目も口も鼻もなければ、足も手もないのに、変な声を出しながら幾千里でも行くものは何でしょう?
③長くなっても、短くなっても、常に丸いものは何でしょう?
④紅の糸をとって、虫をくくりつけると美しい色になりました。はて、何でしょう?
⑤東京名物の桜が咲いたので、向島は人盛りです。何事でしょう? 方角二つで答えてください。

畑へ行く途中の堤防の彼岸花が一斉に咲きだした。
気温が20~25度が開花の時期とか。
猛暑が続いているが、最低気温が25度以下になったので一気に花を咲かせた。
園芸品種のリコリスという名で赤以外に白や黄色の彼岸花が販売されている。
しかし、あなたは青色の彼岸花を見たことがありますか?

人は疑問・謎に遭うと、ふと立ち止まって考える。
でなければ、自分の命や利益に関わる場合があるからだ。
あるいは、疑問・謎が好奇心になり、新しい発見をして成長するからだ。
疑問・謎に対して無意識に反応して考えるのが人の本能とか。
クイズ番組やミステリードラマに人気があるのはそのためだ。
なのだが、歳をとると大概の疑問や謎を経験してるし、この先どうなるのかも見えているから、疑問や謎を感じることがすくなくなった。
だから、せめてボケないために、上記のクイズ(考え物)に挑戦している。

雷が激しくとどろいた夕立がやみ、涼しい風がすぅーと吹いた。
夕陽を受けて西空に大きな虹がかかっている。
元気な声をあげて、子どもたちがみな見にきた。
※若草山人 編『考物一千題』三芳屋書店  国立国会図書館デジタルコレクション 

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畑96 / すずめの涙

2023年09月20日 | 菜園日誌

百姓仲間も皆、猛暑で、いつ苗を植えようか悩んでいるようだ。
ある仲間は、出荷用にセルトレイでサニーレタス500株を植えていたが、本葉が四、五枚になり、もはや限界。
いつもはビニールでマルチングして植えるが、地温が上がって根が蒸れるし、しおれた葉がマルチにひっつくといけないので、しかたなく、露地に植えて敷き藁をしたという。
雀の涙ほどの収入しかないのに、猛暑のせいで余計な手間がかかる。

マルチときくと、「multi 」を思い浮かべてしまうが、〈複数の~〉ではない。
〈根を覆う〉の「mulch」、〈土面被覆〉の「mulching」である。
昔は、乾燥を防ぐために藁やもみ殻、刈り草を株元に置いていた。
今は、雑草の防除や保温も兼ねてビニールシートを使うようになった。

我が家ではお隣の田んぼの持ち主から、ジャガ芋をマルチしたお古のビニールをもらっている。
幅90㎝のビニールでジャガ芋をマルチするのはもったいないというので、幅120㎝を半分に切った60㎝のビニールだ。
これがなかなか使い勝手がいい。
畝をすっぽりとマルチすると土寄せや追肥がしにくいが、60㎝マルチで畝を左右から覆うと真ん中に隙間ができる。
その隙間に苗を植えるので追肥がしやすい。
土寄せが必要な野菜は、土寄せと追肥をしてからマルチをする。
マルチのお陰で農作業がずいぶんと楽になった。

家で育てている苗が、そろそろ大きくなってきた。
来週あたりから涼しくなるだろうと予想して、今のうちに準備をしておこうと畝をたてる。
一雨降って湿らせてからマルチをすればよいが、すぐにしないと穴だらけにされてしまう。
雀が団体さんで風呂に入りに来るのだ。
sand bath。
雀の砂浴び。
マルチをしている空の上で、雀が悲しく歌ってる。

たかが人生なりゆきまかせ
男なんかは星の数ほど
泥んこになるまえに綺麗にあばよ 
好きでいるうちに許してあばよ
許してあばよ
(『すずめの涙』歌:桂銀淑 作詞:荒木とよひさ)

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畑95 / 畦道トーク

2023年09月17日 | 菜園日誌

専業農家が多かった昔、おっさん連中が田んぼの畦道に集まって情報共有をしていた。
野菜の栽培のことはもちろん、「〇〇の娘はん結婚するらしいで」とか、「今度の組合の旅行はどこがええやろ」とか、はては町内の重要問題も畦道で決定していた。
しかし、徐々に耕作する家庭が減り、「畦道話」もなくなりチリジリバラバラになってしまった。
そこで町内で耕作している者同士の情報共有の場として、ライングループをつくっている。
「緊急時のSOS!」にも使えるし、「ヌートリアにやられた!」とか、「今年は玉ネギおかしいな」とか、「これ(写真)なんの足跡やろ?」などの身の周りのことや、お互いの利益や親睦が目的だ。
「畦道話」ならぬ「畦道トーク」である。

一人でする農業は、めんどくさい人間関係がないから気楽だ。
その反面、農業は孤独な作業である。
今日一日、家族としか話してなかったなんというのはよくあることだ。
新規就農が増えているが、孤独に耐えることができるかが鍵だと思う。
そのためには、少しばかりの人間関係をつくっておく必要がある。
そんなとき、スルーしようが勝手なライングループは気楽だし、情報の共有が出来、仲間意識も生まれてくる。

ピンポーン「例年通り、10日に白菜の苗を植えたらぢゅるけてきよった!」
会話ではわからない「ぢゅるける」という言葉で、暑さで枯れたのではなく、日差しの強さに煮えてしまったのがわかる。
ピンポーン「彼岸が過ぎて、日差しが落ち着くのをみてから植えんとしゃーないなあ!」
九月にも関わらず夏日が続き、苗の植え付けが出来ない。
ピンポーン「ホウレンソウあったら植えられるやろか?」
ピンポーン「あかんやろ! 自分とこで食べるぐらいあったらセルトレイに植えといたらええで!」
ピンポーン「ほんまやなあ、管理も楽やし、間引きせんでもええがな!」
ピンポーン「わいは、細ネギもセル植えや!」
という調子の「畦道トーク」で、ホウレンソウも細ネギもセル植えにした。

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畑94 / 只管

2023年09月16日 | 菜園日誌

ニンニクを植える畝を立てようと、朝の6時に畑へ。
ところが、耕運機のガソリンがきれている。ストックも無い。
ガソリンスタンドが開くのは7時。
その日の農作業をエクセルカレンダーに10字以内で書いている。
今日は「ひたすら草抜き」。

土が乾いている時は鍬(くわ)で削るが、湿りっ気の多いときは抜いた草に土がつくので、小鎌(こがま)を使う。
地面に這いつくばるようにして、眼に入った草はすべて小鎌で打ち抜く。
自分勝手に「無念無相の打ち」といっている。
宮本武蔵の『五輪書』の中にある言葉である。
「無念無」は〈心に何も思わない〉で草に集中して抜いてやろうという意識がある。
しかし、「無念無」は〈心に何も思わず、一切の執着を離れる〉で、草を抜いてやろうと意識しなければ、手が勝手に動くのである。

7時をまわると30℃近くになってくる。
しかし、暑いと思うのは我が心に雑念があるからだ。
色即是空=この世のあらゆる物はすべて実体ではなく空であるから執着してはならない」
心を無にして「心頭滅却すれば火もまた涼し」の境地になり、ひたすら「無念無相の打ち」を続ける。

「ひたすら」の「ひた」は「一つ」の「ひと」、「すら」は「すらり」という擬態語。
「ひたすら」は〈一途に真っすぐ進む〉の意になる。
漢字では「只管」と書く。
曹洞宗の開祖、道元禅師(1200-1253年)の坐禅観を表した「只管打坐(しかんたざ=ただ一筋に座禅せよ)」からとられた漢字だ。
かくのごとく、我が草抜き・草取りは悟りを得るための修行、つまり、「只管草取」なのである。
 くさとりの くの字をとりて さとりかな

8時をまわると体感温度は40℃。
しかし、無念無相で心頭滅却して只管草取。
なのだが、落花生の畝に行くと、足跡!
指の長さや肉球からしてアライグマ!
実をかじられた跡、土は掘られて葉は枯れている。
意馬心猿、怒り心頭、意気消沈。
我が悟りは一度に雲散霧消したのであった。

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