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河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑202 / 八十八夜の別れ霜

2025年04月29日 | 菜園日誌

この時期、週にニ、三回、総会屋やら会議やら行事やらがあって、畑仕事もままならない。
それでも、夕方には畑へ行く。
作業をしにいくのではなく、日に日にあふれていく緑を見に行くのだ。
見に行くといっても、なんらかの意思がはたらいているのではなく、なんとなく出かけて、なんとなく眺めて、ぼぉーっとしているだけ。
殊にこの季節の緑は気持ちが安らぐ。
黄緑、萌黄、ライムグリーン。
夏の濃い緑とは違って明るい緑。
調和・平和・自然・安息・新鮮・健康・生命力……。
心も体もポジティブにしてくれる。

まだ四月だというのに、周りで田植えが始まった。
例年より十日ほど早い。
八月の下旬に稲刈りをして、刈り取った株から出た穂をもう一度刈り取って、二回採りするのだという。
これも温暖化の影響なのだろう。
春が短くなり、夏が長くなった。
近くを通りかかった百姓仲間に「夏野菜の苗を露地植えしていけるかなあ?」と尋ねた。
「そんなん、一週間前に植えたで!」
「保温をしてか?」
「この暑いのに、保温はいらんやろ!」
「八十八夜(5/2)の別れ霜」という諺も過去のものになりつつある。

6600万年前の6月ある日、直径10㎞の隕石が地球に落下した。
衝撃による熱波、山林火災、津波が地球全体を襲う。
やがて、まきあげられた噴煙によって地球は暗黒の世界となり、生体系が狂い、恐竜や多くの生物は絶滅した。
そんな大量絶滅の中で、かろうじて生き残ったのがネズミやイヌ、サルどの小さな哺乳類。
地上から恐竜がいなくなったお陰で、一気に勢力を広げていく。
  ◇
その後の温暖化で、6000万年ほど経った約700万年前。
一匹のサルが木の上から地上に降りて二本脚で立った。
それを見ていた仲間のサルが「おいおい、われ、何にしてんねん?」
「立ってねん!」
「そんなんしたら親に怒られるで!」
「かまうかい! 少し背が高くなっただけで眺めがええがな」
「ほんで、立って、どないするねん?」
「歩くのやないかい! ほれよいよい。手(前脚)が自由に使えるやないかい。おまえもやってみ!」
それを見ていた積極的なサルたちも真似をしだす。
現生人類(ホモ・サピエンス)の誕生である。
二足歩行は頭を支えるのに有利なので、どんどん進化する。
しかし、真似をしなかったサルたちは今もサルのままである。

畑の椅子にどっかりと座って、いい気持でライムグリーンを見つめる。
ジャガイモの葉っぱってこんなに鮮やかだったんだ。
地球環境の変化の中で、野菜たちも必死で適応していこうとしている。
タマネギの葉はあんなに長いのに、よくもすっくりと立っているものだ。
ヒトもまた、いつまても八十八夜の別れ霜を守らずに適応、進化していかなければ。
よし、夏野菜の苗を植えてやろう。

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畑201 / Welcome

2025年04月07日 | 菜園日誌

桜が咲いた。
じゃが芋の芽も出そろった。
Spring has comeである。
大地の底で目覚まし時計が鳴ったかのように、草木が一斉に眠りから覚める。
映像を早送りしたかのように、草木は日に日に緑を増していく。
ようこそ春よWelcome。
命の息吹く春がきた。

この三日間、歩いた動いた働いた。
表彰台の上で金メダルを歯で噛みたいほどに働いた。
三月に芽出ししたトマトにナスにブロッコリー、レタスにピーマンを大きなポットに植え替えた。
スイカにキュウリ、カボチャにマッカ。
ダイコン、ニンジン、インゲン、ゴーヤ。
夏野菜の種も蒔いた。
芽が出て育った夏野菜の苗を植える畝も立てた。
さあさ、いつでもWelcome!
植えるcomeの春がきた。

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畑200 / 種まき

2025年04月04日 | 菜園日誌

昨日3日は、一粒の種が万倍に育つという「一粒万倍日」。
加えて、黄金色の毛が金運をもたすという「寅の日」。
もう一つおまけに、太陽が隅々まで明るく照らしてくれて、すべての物事がうまくいくという「大明日」。
こんな大吉日に、じっとしていては運を逃す。
朝の早から畑へ行って、蒔いた蒔いた蒔きました。
スイカにキュウリ、カボチャにマッカ。
ダイコン、ニンジン、インゲン、ゴーヤ。
縁起担いで、ソーリャソラソラお祭りだ!

数日前に70歳をむかえた。
「人生七十古来稀なり」。
中国は盛唐期の詩人、杜甫の漢詩「曲江」の中の一句が「古希」の出典となった。
 朝(ちょう)より回(かへ)りて日日(ひび)春衣(しゅんい)を典(てん)し
 毎日 江頭(こうとう)に酔いを尽くして帰る
 酒債は尋常 行く処に有り
 人生七十 古来稀(まれ)なり
 花を穿(うが)つ蝶々は深深(しんしん)として見え
 水に点ずる蜻蜓(せいちょう)は款款(かんかん)として飛ぶ
 伝語(でんご)す 風光は共に流転
 暫時(ざんじ)相(あひ)賞して相(あひ)違(たが)ふこと莫(なか)れと。

かなり意訳だが、杜甫の気持ちと自分の気持ちを照らし合わせた。

今日の日終えて酒を酌む、その日暮らしの年金生活
いずれ逝くときゃ独りじゃないか、ついぞついぞの酒に酔う
明日はままよで、酒屋のツケもままならない
人生七十 古来稀なり
蜜を求めて蝶が舞う、花の向こうでひらひらと
水面をかすめてトンボ飛ぶ、のんびり長閑にすいすいと
風よ光よ生あるものよ、明日は明日の風が吹く
あるがまんまにその日を生きて、あるがまんまを喜び合おう

杜甫が飲んでいる酒は、王様に敗戦の責任を負わされた鬱憤を晴らすためのヤケ酒である。
だから、「人生七十 古来稀なり」は、「70歳まで生きるなんて、昔からめったにあるまい」の意になる。
だからこそ思うがままに生きてやれ……という、開き直りの愚痴になる。
杜甫が47歳の時だ。
その後、杜甫は七十を迎えることなく58歳で亡くなっている。
  ◆
「人生七十」など当たり前の時代になった。
さしずめ、今なら「人生百十」といったところか。
どうせ人生、長く生きても110年。
贅沢な生活など望むべくもないが、せめて蝶々やとんぼのように、気持ちだけはのんびりとありたいものだ。
開き直れば、少しはいいことあるかもしれない。
「人生七十」は、開き直って新たなスタートの種を蒔く歳なのだ。

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畑199 / 畑の法則

2025年03月28日 | 菜園日誌

孫が遊びに来て「今年もイチゴをいっぱい食べさせてね」と言う。
……。
去年の春のカラスに落花生の苗200株を全部引き抜かれた事件で、イチゴの苗を採るのを忘れてしまった。
夏に思い出して、あちこちに生えているのをかき集めて20株ほど苗床に植えておいた。
ところが、秋に定植しなければならないのに、アライグマに落花生を食べられた騒動で忘れてしまったのだ。
さて、どうしよう……、自分のせいではなくカラスとアライグマのせいだからと責任転嫁して、特にやらなくてもいいだろうと勝手に理由をつくり、どうにでもなれと居直って、結局、放ったらかしにしてしまった。
随分と長く考えたあげくだったのに……。

「今年もイチゴをいっぱい食べさせてね」だなんて可愛いこと言われると……。
やるしかない!
〈人は、他者から期待されると、期待に沿った成果を出す〉というピグマリオン効果というやつだ。
孫の期待を果たそうと、短い畝を三本たてて、黒のビニールでマルチングをする。
これで午前中の作業は終了。
昼食を摂って、朝ドラの再放送を視て、早々に畑へ。
だが、ここからが嫌な作業になる。
夏から放ったらかしにしていたイチゴを一つ一つシャベルで掘り起こし、根を崩さないように綺麗に掃除して、5、6株ずつ畝まで運んで、穴を掘って水を入れて植え付けていくという、年寄りにとっては苦手な力の要る作業になる。
前回書いた〈仕事を後回しにすると、本来の作業の倍の労力・プレッシャーになる〉というエメットの法則の確たる例。それに、植え時期が外れているのに大丈夫かとという疑念で、なんとも腰が重い。
しかし、こんなときは、ぐずぐず考える前に、1・2・3・4……ドカンーン!
5秒数える前に、シャベルを手にして、イチゴの株を掘りに行く。
〈しなければならない嫌な仕事をどうしようかと5秒以上考えると、人はやる気のスイッチが入らなくなる〉という「5秒の法則(5秒ルール)」に従う。
それに加えて、〈褒美があれば、人は働く〉というエンハンシング効果につられて作業完了。
シャツ一枚になれるような暑い日に、しんどい作業を仕終えた満足感。
家に帰って飲む冷たいビールのなんとも美味いことよ!
明日から、岡山へ「老いの小文」の旅に出る。
これもエンハンシング効果。
根張りが悪くて実ができなかったら、カラスに食べられたとでも言えばいい。
先に言い訳を考えながら旅に出る。

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畑198 / エメットの法則

2025年03月26日 | 菜園日誌

暖かくなったので、朝の7時に畑へ。
さて、なにしよう?
やるべきことが無いのではなくて、やるべきことがたくさん有りすぎる。
そりゃそうだ。
3月になっても寒かったし、たまに暖かい日があっても、健気に咲く花を眺めているだけだったんだから……。
さーてと……畑を見回す。
そして、最も後回しにしてしまうであろう作業をすることにしている。

仕事を後回しにしてしまうと、忘れてしまうかもしれないし、仕事に追われてしまうかもしれない。
結果として労力が倍になってしまう可能性がある。
経営コンサルタントのリタ・エメットという人が著書で提唱したので、「エメットの法則」という。
法則なんぞと大げさに言わなくったって、そんなの、子どものころからわかってる。
夏休みの宿題を後回しにして、どんなに叱られ、必死になったことか。

畑の片隅にあるミカン・イチジク・ブルーベーリーの果樹コーナ。
収穫が終わると、目が届かないので放ったらかしになる。
冬の間に一面に蔓延(はびこ)った冬草を抜く。
そして、剪定。
午前中かけて完了。
雑草も気持ちも、すつきり。
今年も宜しくお願いしますと肥料を蒔く。
夏休みの宿題を七月中にやり終えたような達成感。
心行くまで今日を生きた。
エメットの法則も、まんざらすてたものではない。

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