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幼い頃の「最初の記憶」は「空襲」である。1945年(昭和20年)の東京大空襲。2歳半であった。青山6丁目の生家の庭の退避壕(防空壕)から我家が焼けるのを見ていた。夜半から燃え始め、明るくなっても燃え続けていた。
母に負ぶわれて逃げた。逃げ遅れた母子の写真を「東京大空襲の記録」に見つけて、あの日の母と自分の焼死体を見る思いがした。家も家財もすべて焼失したが、生き延びたことは「不幸中の幸い」であったのかも知れない(と今は思う)。
「自分の人生の不幸はあの日に始まった」と(幼少年期を通じて)考えていた。その原因を作ったアメリカに「必ず復讐する」と誓った。「原爆をつくり、ゼロ戦に搭載し、ニューヨークのエンパイヤステートビル(当時世界最高の建物)に神風特攻すること」が人生目標であった。テロリスト志願者であった。
18歳の時、YMCAの学生寮(信愛学舎)に入り、聖書を読まされた。パウロの「ローマ人への手紙」に「自分で復讐するな」とあった。三年間、この言葉を反芻した後、復讐を止めることにした。クリスチャンになった。人生目標を「アメリカへの復讐」から「アジアへの償い」に転換して、今日に至っている。
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「自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい」(ロマ書12:19)
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