JBpressより転載
「塩分が多い。塩分は高血圧を招く。だから味噌の摂り過ぎはよくない」といった考えが根づくようになり、
味噌が避けられる傾向がある。食の西洋化など他の要因もあるだろうが、日本人1人あたり
の味噌消費量は1970年代から半減しているのだ。しかし、もし味噌が体に悪いのだとすれば、
どうしてこれほど長らく日本人は味噌を愛してきたのだろうか。多くのことわざや本草書の記述は、単なる誤解だったのだろうか。
そこで今回の後篇では、「味噌は体に良いのか悪いのか」という疑問に、現代の眼差しからの答えを求めることにした。
食塩と高血圧の関係性などを研究する、共立女子大学家政学部教授の上原誉志夫氏を訪れた。
上原氏はここ数年、「味噌汁の摂取が血管状態や血圧にどう影響するのか」について、注目の研究成果を上げ続けている。
血圧が高くなるデータはあるのか?
日本人の1日の塩分摂取量が10グラム以上という中で、2004年に日本高血圧学会は塩分摂取量の推奨値を「1日6グラム未満」とした。
「長らく、私は食塩が体に悪いという視点で研究してきました。味噌汁にもたしかに食塩が入っています。けれども、血圧が高くなると
いうデータはないのではないかと目を付けて、実証しようとしたのです」
上原氏は、味噌に着目した経緯をそう説明する。日本人が自分たちの食生活に対して自信をなくしている状況を憂いていたともいう。
上原氏は、まず学生とともに「Dahl(ダール)ラット」という、塩分の感受性が高い特殊なラットで味噌摂取の影響について実験した。
同じ量の塩分を、食塩水で摂らせた場合と、味噌汁で摂らせた場合では、味噌汁摂取ラットのほうが食塩水摂取ラットより
血圧が10mmHg(ミリメートル水銀柱)ほど低かった。
味噌汁摂取は30%の減塩効果に相当
では、人では味噌汁の摂取が血圧にどう影響するのか。
上原氏は東京都内の三楽病院と共同で、2010年から2014年までの5年間に人間ドック受診者を対象に味噌汁の摂取量と血圧の
関係を調べた。男性330人(平均55歳)に食べものの摂取頻度を聞き取り、人間ドックの成績との関連性を見たのだ。
「5年間にわたり調査しましたが、味噌汁を飲む頻度が1日1杯でも、2杯でも、3杯でも、血圧の値との間に関連は見られませんでした」
この研究で上原氏たちは、血圧が正常値(上が129未満、下が84未満)の人たちと、高血圧予備軍とも言われる正常高値以上
(上が130以上、下が85以上)の人たちとに分けて比較してもみたが、どちらの群も味噌汁摂取頻度と血圧の関連性はなかったという。
「1日3杯については被験者の数は多くないので断言まではできませんが、1日に味噌汁1杯、ときに2杯という量では、まずもって問題ありません」
味噌の塩分は減塩製品でなければ白味噌で数%、辛口の赤味噌では13%ほどに上る。塩分の高い味噌なら味噌汁1杯で
塩分1グラムほどになる計算だ。これを1日2杯飲めば、高血圧治療ガイドラインの目標値の3分の1を味噌汁で占めてしまうことになるのだが・・・。
どうして、味噌汁を飲んでも、血圧の値に反映されないのだろうか。
「味噌汁を飲んでいると、塩分を摂っていても血圧の上がり方が鈍くなるのだと考えられます」と、上原氏は説明する。
塩分を摂ると、血圧が敏感に上昇する体の性質を「塩分感受性」というが、味噌汁を日常的に摂取していると塩分感受性が低くなるというのだ。
さらに、重要なことに、その効果は味噌汁に含まれる塩分にのみ当てはまるのでなく、あらゆる食材中の塩分に当てはまる。
「味噌汁を飲むと、30%の減塩に相当する効果があります。仮に1日10グラムの塩分を摂取する人では、味噌汁を飲めば7グラムの塩分摂取で済んでいることになります」
たしかに味噌にも相当な塩分が含まれてはいる。だが、食塩感受性を低める効果もあるため、全体としては血圧上昇を抑える減塩効果をもたらすというわけだ。
では、味噌を採った人の体の中で、どんなことが起きているのだろうか。
味噌の成分が塩分排出を促す
「味噌の中には、直接的に血圧を下げるような成分と、腎臓から塩分を排出しやすくする成分があるようだということが研究から見えてきました」
まず、直接的に血圧を下げるような成分について、上原氏は「味噌水」を与えたラットで、2時間後に血圧が低下しはじめ、
4時間後に血圧低下が最大となるという結果を得ている。味噌に含まれるなんらかの成分がすばやく血管を広げ、血圧を下げたのだと上原氏は考えている。
より中心的な働きを担っていると上原氏が見ているのが、もう1つの、腎臓から塩分を排出しやすくする成分のほうだ。
「腎臓が食塩をよく排出すると、塩分摂取による血圧上昇は鈍くなります。その働きをもつ成分が、味噌にはあるということです」
これまでの研究者たちの成果では、味噌に含まれる「ニコチアナミン」という成分が腎臓からの塩分排泄を促進する働きをもつことが
分かっている。ただし、ニコチアナミンは味噌より前の大豆の段階から含まれている成分だ。上原氏は、味噌にするからこそ生じる
他の塩分排泄促進物質もあると踏んでいる。「そうした物質が存在することは明らかですが、その正体が分かっていない成分が
まだあります。それを突き止め始めたところです」その1つは、かなり推測が進んでいるようだ。「おそらくはペプチドであり、大豆のタンパク質が
発酵される過程で出てくるものと睨んでいます」。ペプチドとは、複数のアミノ酸がつながった化合物の総称。大豆が発酵して味噌になる過程では、
大豆のタンパク質に由来するペプチドが生じる。「以前から着目していた血圧を下げる物質と、このペプチドは血圧の下がり方のパターンなどが
似ています。これだろうと思います」
淘汰されず残る食材には根拠がある
味噌の血圧上昇を抑えるしくみがより明らかになれば、今後は「機能性食品」としての味噌製品が開発されそうだ。
「当然、味噌メーカーなどは、成分がはっきりすれば、その働きを強化するような味噌製品を考えることでしょう。
でも・・・」と、上原氏は続ける。「治療に使うため機能性を高めようとするのであれば、薬があるではないかと思うのです。
食べものについては、人の喜びや楽しみと結び付けるべきではないでしょうか」前篇で、日本人が味噌をいかに健康につながる食材と
捉えてきたかを見てきた。ただし、それは、味噌を「美味しい」と感じる前提があってのことなのだろう。
「味噌汁を飲めばほっとする。そんな感覚は、長い歴史の中で、日本人に植え付けられたものだと思います。他に換えられるものではありません」
海の幸、山の幸、畑の幸、どんな食材とも、しっかり結びついて、味を深める。味噌は人びとの食べる喜びや楽しみをもたらし続けてきた。しかも、1000年以上にもわたってだ。
「経験的に淘汰されず残るというのは、人々がその食材になんらかのメリットを経験的に感じとっているからです。いまの科学でそれを説明していくことが重要ではないかと考えています」
味噌が体に良いことが科学的にもはっきりした後世、日本人はいまの私たちをこう振り返りはしないだろうか。
「味噌から遠ざかるなんて、当時の人たちはもったいないことをしていたものだ」と。