慢性疲労症候群(CFS)患者のブログ

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早過ぎた黒人独立国「ハイチ共和国」とは?

2014-10-07 15:08:28 | 社会一般
「ハイチ」はカリブ海に浮かぶ風光明媚で山紫水明な島である。

■フランス植民地「ハイチ」
1700年代にフランス植民地となり、
アフリカ大陸から黒人が奴隷として大量に送り込まれてきた。
地平まで続いているかのようなサトウキビの大農園で、黒人たちは過酷な労働を強いられていた。

だが、転機は早々に訪れた。

1789年にフランス革命が勃発。
宗主国の騒乱を尻目に、
虐げられていた黒人たちは独立の機運を強めたのだった。

それを後押ししたのが、
宗主国であるフランスで、
ラファイエットが起草し国民議会が採択した「人権宣言」だったというから皮肉なものだ。

■人権宣言は諸刃の剣
自由、平等、私有財産の不可侵、法の支配云々を謳う人権宣言は、
独立を望むハイチの黒人にとって福音であったろう。

こうして、ハイチはフランスが大陸で手一杯になっている間隙を捉え、
1804年に独立したのだった。


■黒人か?白人か?
ハイチは、
「中南米初の独立国」であるのは勿論、
最も留意すべきは「黒人による共和国」だということだ。

このハイチ独立を呼び水に、
この後、ラテンアメリカに独立ブームが到来するが、
いずれも、その首謀者は白人であり、
「白人の独立国家」が雨後の竹の子のように誕生することとなった。


■苦闘するハイチ
独立をいち早く勝ち取り、前途洋々に思えたハイチだったが、
思う様に国家建設は進まなかった。
その理由は大きく分けて二つ。
一つは、
経済基盤と社会基盤が未整備の状態で独立してしまった事。
もう一つは、
黒人による独立国家だったため、白人たちからの援助が見込めなかった事だ。


■民主化の壁
「ハイチ共和国」を標榜したはいいが、
人々の中に様々な亀裂が走り派閥が生まれ、お互いが半目して内戦状態に突入。

その騒乱を沈めるため軍事独裁政権が誕生。

と、
かつての宗主国であるフランスとよくにた経緯をたどり、
民主的な手続きでの指導者を選ぶことはかなわなかった。

その後も、カリブ海でのプレゼンスを重視する「アメリカ」から内政干渉を受けて、
親米寄りの独裁政権が幅をきかせつづけた。


■「2006年」 初の大統領選出
この「ハイチ」で民主的な手続きで指導者が誕生したのは、
なんと、独立から「200年」を経た「2006年」である。

国連管理下で自由選挙が行われ、
200年来の大願だった大統領選任を成し遂げたのだった。


■黒人と白人と
後発の「白人」による独立共和国が、
次々と民主的な手続きで指導者を得ていくのを横目に、
「黒人共和国ハイチ」の混迷は200年にもわたり続いた。


両者の差異の根源には、
独立を勝ち取ったのが、


「黒人か?白人か?」

という万古不易といってもよい問題が横たわっているのだ。

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