WINK-SHOT

ハワイと日本で撮った写真で感じた処を綴っています。愛機はCanonEos5DMarkIIIです

太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その4

2011年08月07日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

 真珠湾攻撃の主力兵器となった魚雷。

真珠湾の平均水深は12m。

魚雷に必要とされる水深は60m。

こんなに浅い海では普通の魚雷攻撃は不可能。

飛行機から投下された魚雷がことごとく海底に突き刺さってしまうからだ。

実際、魚雷をあきらめて飛行機による爆撃のみで攻撃する案だったそうだが

アメリカとの戦争は出来る限り避けるべきと思っていた山本五十六は

中途半端な攻撃ではなく、やるなら徹底的にやってアメリカと早期に停戦状態に持って行って少しでも有利な

戦争終結を狙うべきと思っていた。

なので、魚雷が使えないなら真珠湾攻撃自体、やめる!と言っていたそうだ。

 

 でも不可能を可能にしてしまった日本。

飛行機のパイロットの凄まじい訓練により神業レベルとなった操縦技術。

とんでもない低空飛行で魚雷をそっと落として沈み込む深さを抑えた。

加えて、魚雷自体に特殊な改造を施した。

ジャイロを内蔵させて自律性を高め、これまた沈み込みを抑えた。

小池さんの解説によると魚雷は二回目の衝撃で爆発するように信管に工夫が施されていたそうだ。

一回目の衝撃は船の一番外壁を突き破った時。二回目は艦内に魚雷が入りこんだ時。

艦の内側から大爆発するように。

すると一発の魚雷で爆炎と衝撃波が艦内部に行き渡り、乗組員と艦を一気に吹き飛ばせるという。

恐ろしい兵器ですねというと、原爆よりはるかにましでしょうと言われた。

確かにこんなのはミサイルや魚雷では当たり前の仕組みなのだろう。

対戦車弾も戦車の中に入り込んでから炸裂して、中をぐちゃぐちゃに潰しまくるというのを読んだことがある。

パネルの説明には 97式艦爆と99式艦爆、そして零戦がこれらの魚雷と爆弾をオアフ島の米軍施設への攻撃で使用。

 

 床に大きく描かれた日本軍の戦闘機部隊の侵入経路。

きっちりと航空基地など軍事施設のみに攻撃はかけられ、ホノルル・ワイキキなどは攻撃は加えられていない。

けれど、諸説もろもろですけどね・・・

 

 

 

 当時の誰だったか忘れたけど、そこそこの偉いさんだったと思います。

初心者向けの小型飛行機で操縦訓練をしていた時、運悪く真珠湾攻撃の編隊と遭遇。

しかし、日本軍パイロットは攻撃命令にない民間機に発砲することなく

去れ!逃げろ!と手信号を送ったそうです。

後ろの垂れ幕に一緒に飛ぶ零戦が描かれています。

 

 

 

 カーチスP-40

子供の頃プラモデルを作った記憶があります。

 

 

 

 アメリカのお国柄エンジンV型12気筒の水冷エンジン。

パワー主義ですね。

 

 

 

 ゼロ戦などと同じ空冷の星型エンジン。

プロペラ機では好きなタイプです。

 アメリカの博物館はワクワク度が凄いです。

 

 

 

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太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その3

2011年08月01日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

メインの展示場に入ってすぐにゼロ戦が出迎えてくれました。

子供の頃大好きだった飛行機です。

ゼロ戦にまつわる話や本はたくさん読みましたが

ここハワイ真珠湾に飛行可能な機体があるとは知りませんでした。

 

 

相当ぼろぼろだったものをここまで修復して、まだ飛べるなんてすごいと思います。

A6M2 21型の機体。

案内板の日本語の解説によると・・・

このゼロ戦は真珠湾攻撃に飛び立たんとする部隊の一機で、航空母艦「飛竜」の甲板を再現しているそうです。

この機体は第二波の攻撃隊で、第一波の攻撃隊が出撃して約1時間後。

 

 

 

 小池さんがゼロ戦のエンジンの下の床に注目してくださいと言いました。

写真では分かりにくいかも知れませんが、黒いシミがあります。

エンジンオイルが実際に入っていて、少し滲みだしているそうです。

可動機の証だそうです。スゴイ!!

このあとも、何機もの実際に飛ぶことが出来る可動機を見ましたがどれもこれも

エンジンオイルが滲みだして床にシミを作っていました。

ゼロ戦のシミは小さい方でした。

気密性を保つ技術も他よりも高かったと想像します。

 

 

 

 このパイロットの名前は西開地 重徳(にしかいち しげのり)。

この後、離陸して真珠湾攻撃の第二波に参加。

その際に機銃弾を機体に浴びて帰還不可能に。

ハワイ諸島のもっとも西にあるニイハウ島に不時着。

(大日本帝国海軍はニイハウ島は無人島と思っていて、不時着地点及び

潜水艦による海上に不時着したパイロットの救出の際の集合地点に指定していた。実際には136人の住民がいた。)

 その住民の中の一部の日系人が西開地に従い、住民と争いに。

最後は西開地はニイハウ島の住民に殺害され、味方していた日系人もそれに絶望して自殺するという悲惨な結末に・・・

それまで、アメリカの一住民として仲良く暮らしていた者も

いくらアメリカに忠誠を誓っていても日系アメリカ人はいざとなると、一瞬で日本人の味方になってしまうという

レッテルを貼られてしまう事件に発展したのでした。

通称「ニイハウ島事件」と呼ばれていて、大戦中の日系人の強制収容所行きを決定的にした要因と言われています。

 

 

 記録によると、西開地は自分のゼロ戦に火を放ち、無きものにしようとしたそうですが・・・

残骸と化した機体を完全に修復したものがこの機体ということを知ると

何やら迫力を感じてしまうのですが・・・

綺麗に塗装された機体からは血生臭い不気味さはかき消されているような気がしました。

 

以前に訪れた九州の大刀洗飛行場跡の平和記念館に展示されていた

博多湾から引き揚げられた九七式戦闘機は、錆び切った機体をそのまま晒していて

胸が熱くなるような凄まじい迫力でした。(残念ながら何故だか撮影禁止・・・)

修復の仕方で感じ方が相当変わるもんだと実感しました。

 

 

 

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