WINK-SHOT

ハワイと日本で撮った写真で感じた処を綴っています。愛機はCanonEos5DMarkIIIです

太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その3

2011年08月01日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

メインの展示場に入ってすぐにゼロ戦が出迎えてくれました。

子供の頃大好きだった飛行機です。

ゼロ戦にまつわる話や本はたくさん読みましたが

ここハワイ真珠湾に飛行可能な機体があるとは知りませんでした。

 

 

相当ぼろぼろだったものをここまで修復して、まだ飛べるなんてすごいと思います。

A6M2 21型の機体。

案内板の日本語の解説によると・・・

このゼロ戦は真珠湾攻撃に飛び立たんとする部隊の一機で、航空母艦「飛竜」の甲板を再現しているそうです。

この機体は第二波の攻撃隊で、第一波の攻撃隊が出撃して約1時間後。

 

 

 

 小池さんがゼロ戦のエンジンの下の床に注目してくださいと言いました。

写真では分かりにくいかも知れませんが、黒いシミがあります。

エンジンオイルが実際に入っていて、少し滲みだしているそうです。

可動機の証だそうです。スゴイ!!

このあとも、何機もの実際に飛ぶことが出来る可動機を見ましたがどれもこれも

エンジンオイルが滲みだして床にシミを作っていました。

ゼロ戦のシミは小さい方でした。

気密性を保つ技術も他よりも高かったと想像します。

 

 

 

 このパイロットの名前は西開地 重徳(にしかいち しげのり)。

この後、離陸して真珠湾攻撃の第二波に参加。

その際に機銃弾を機体に浴びて帰還不可能に。

ハワイ諸島のもっとも西にあるニイハウ島に不時着。

(大日本帝国海軍はニイハウ島は無人島と思っていて、不時着地点及び

潜水艦による海上に不時着したパイロットの救出の際の集合地点に指定していた。実際には136人の住民がいた。)

 その住民の中の一部の日系人が西開地に従い、住民と争いに。

最後は西開地はニイハウ島の住民に殺害され、味方していた日系人もそれに絶望して自殺するという悲惨な結末に・・・

それまで、アメリカの一住民として仲良く暮らしていた者も

いくらアメリカに忠誠を誓っていても日系アメリカ人はいざとなると、一瞬で日本人の味方になってしまうという

レッテルを貼られてしまう事件に発展したのでした。

通称「ニイハウ島事件」と呼ばれていて、大戦中の日系人の強制収容所行きを決定的にした要因と言われています。

 

 

 記録によると、西開地は自分のゼロ戦に火を放ち、無きものにしようとしたそうですが・・・

残骸と化した機体を完全に修復したものがこの機体ということを知ると

何やら迫力を感じてしまうのですが・・・

綺麗に塗装された機体からは血生臭い不気味さはかき消されているような気がしました。

 

以前に訪れた九州の大刀洗飛行場跡の平和記念館に展示されていた

博多湾から引き揚げられた九七式戦闘機は、錆び切った機体をそのまま晒していて

胸が熱くなるような凄まじい迫力でした。(残念ながら何故だか撮影禁止・・・)

修復の仕方で感じ方が相当変わるもんだと実感しました。

 

 

 

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