WINK-SHOT

ハワイと日本で撮った写真で感じた処を綴っています。愛機はCanonEos5DMarkIIIです

パールハーバー・ビジターセンター

2011年08月20日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

巡回バスに乗って、駐車場のあるビジターセンターまで帰って来ました。

天気は上々、今日もハワイは写真日和です。

バスに乗ってて、奥さんが言ってたことはほんまやな・・・と思いました。

観光客の数は相当なもんでしたが(到着時、大きないくつもある駐車場が満車で、見学を諦めかけたくらい)

日本人がほとんど居なかったことです。

やはり、真珠湾の悪者は日本人だからというのと、戦争のことには関心が無いということか?と思います。

バスでおじいちゃんおばあちゃんから孫までの家族連れの日本人一家と一度会っただけでした。

 

慰霊碑が集まる場所のようです。

日差しは暑いけど、カラッとしていて大阪ほど汗をかくことは

やはりありません。

 

 

真っ青な青空に泳ぐ星条旗が印象的でした。

平和が一番です・・・

 

 

この潜水艦に乗る時間が無かった・・・

残念です。

しかし日本は敗戦国のせいだと思いますが

戦争遺産が少ない・・・

伊号潜水艦って現存してないのかな?

などと考えてしまいます。

確か真珠湾攻撃に数隻参加してなかったっけ?

 

 

 

魚雷がいくつか展示されていました。

真珠湾で潜水艦、魚雷とくると、特攻兵器の特殊潜航艇を思い出します。

魚雷に人を乗せてコントローラー代わりに使ってたんです。

結局日本って開戦初っ端から特攻してたんですよね・・・

自国民の命を物扱いしてたと思うと辛いです。

 

 

 

二重反転スクリューをもう使っていたんですね。

 

 

 

真珠湾とお別れです。

また来たいけど別行動かなぁ・・・?

どこにでも咲いているプルメリア。

綺麗ですね~

戦争兵器をたっぷり見た後に癒されましたのでパチリ

 

 

 

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太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その10(HANGAR 79)

2011年08月20日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

さあ、ハンガー79も見学を終わろうという所に来ました。

いくつか時間の関係で見きれてない所もありますが・・・

また機会があれば行きたいなぁ~

 

カーチスP-40E キティホーク。

これはかなり状態が良いもののようで、ドラム缶と竹の囲いが施されていて触れることはできませんでした。

実際、小池さんによるとこの機体がこの博物館で一番大事にされているようです。

もちろん、常に飛行できるコンディションだそうです。

 操縦席の外側に貼られた撃墜印、いわゆるキルマークが5つ見えますが・・・

小池さんはありゃ嘘でしょうと一蹴されてました(笑)

この機種は量産されたが、そんな優秀でもなく平凡な性能だったとのことでした・・・

奥さんが「なんでこんな眼とか口とか描くのん?」と

訊いて来ました・・・

そ、そりゃ遊び心と怖い顔の方が敵の心を少しはかき乱せるでしょう・・・(((・。・;(たぶん)

 

 

ノースアメリカン・T-6テキサン(高等練習機)

1930年代~1960年代に使用されていたそうです。

見た目地味で、目を引きませんが、我らがハワイの池上彰、小池さんのガイドによると

この機体、ハリウッド映画の仕事をかなりこなしてきたそうです。

第二次世界大戦の映画を撮る時、連合軍の敵ゼロ戦を飛ばすために

こいつが使われたそうです。

 

 

見た目がゼロ戦に似てる?そうです。

ゼロ戦以外には九七式艦上攻撃機やイギリス空軍機にも扮してたそうです(笑)

有名どころでは「トラ・トラ・トラ」、「ファイナル・カウントダウン」、「パール・ハーバー」等々

そかぁ~お前色々な機に化ける役者さんやってんなぁ~と感激する僕でした・・・

 

 

ハイテク・ジェット戦闘機にはあまり興味無いのですが

かっこいいのは否めません。

グラマンF-14D トムキャットです。

小池さんのガイドによると、こいつのファンは根強く、数も断トツだとのことでした。

その最大の理由は可変翼という主翼が飛行速度に応じて最適な幅に調整できるということだそうです。

翼が気を付け!するらしいです。

 

 

 

 

 

写真では分かりにくいですが、募金箱ドラム缶の真上辺りにつなぎ目と言うか

可動部分がありました。

 

 

しかし、でかい戦闘機ですね。

第二次世界大戦の時の戦闘機と現代のジェット戦闘機を両方乗っていた経験のある

アメリカ人パイロットに、昔のプロペラ戦闘機の方が面白みや味があって良かったんじゃないか?という

質問をしているところをテレビで見たことありますが、そのパイロットは何いってやがんだ?

冗談も休み休み言えという返事をしていました。

乗り心地、抜群だそうです。

 

 

隣に並んでいたマクドネルダグラスF-15A イーグルのコクピットはキャノピー越しながら見学台が設けられていました。

 

 

こっちの方がよくテレビでみたことある気がしますが、人気はいまいちかな・・・?

 

 

垂直尾翼の認識票。

ハワイのどの軍隊のどの部隊の所属機か一目で分かるそうです。

HのひとつはもちろんハワイのHですね。

 

 

ノースアメリカン F-86セイバー

1947年~1980年まで活躍したジェット亜音速戦闘機。

子供のおもちゃみたいなジェット機ですが、ハワイの空を守っていたんですね。

HAWAII AIR GUARDの文字が素敵です。

 

 

濃密な内容の見学を終えて、巡回バスでビジターセンターへ戻ります。

小池さんの素晴らしいガイドには感謝です。

とても楽しく、有意義な見学が出来ました。ありがとうございました。

移動するバスの中では基地内のため撮影禁止とのアナウンスが流れていましたが

この時は、他のアメリカン人観光客たちがパシャパシャ撮り始めたので

便乗して橋の上からの景色を1枚だけ撮ってしまいました。

すんません・・・

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太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その9(HANGAR 79)

2011年08月19日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

 プロペラ機の時代が終わり、ジェットエンジンの時代へ。

何故か僕はピストンとシリンダーのエンジン以外にはあまり興味が・・・

 

 冷戦時代のソ連対アメリカの象徴的なツーショット展示ですね。

(上)Mikoyan-Gurevich MiG-15 (Fighter)通称ミグ戦闘機、懐かしいですね。

(下)North American Aviation F-86 Sabre (Fighter)は知りませんでした。

両機とも似てますね。

 

 

 ベトナム戦争の映画や当時の映像などには必ずと言っていいほど登場するヘリコプター。

ベル・エアクラフト社のUH-1 Iroquois(イロコイ)。

僕はなんといっても映画プラトーンを思い出しました。

エリアス(ウィレムデフォー)がバーンズ(トムベレンジャー)の凶弾に倒れ、両腕を天に突き上げ空を仰ぎ崩れ落ちていく瞬間

クリス(チャーリーシーン)を乗せたこのヘリコプターがエリアスの頭上を飛び去って行くあの名場面です。

 

 

 またまた小池さんがいなければ分からなかったのが

この謎の突起物。

ベトナム戦争の映画でもよく登場したいわゆる地雷の信管を上から押さえると

爆発するのでこの突起物で横から持ち上げたりへし折ったりして行ったそうです。

う~ん、生々しい・・・

 

 

 次が・・・出ました、AH-1コブラ。

攻撃ヘリですね。

狭いコクピットとやたら細身の機体に凄まじい武装を身に纏います。                     

 

 

 これまた小池さんのお話によると

ジャングルの中でも着陸できるように、ブレード(回転翼)がカッターのように作られているそうです。

普通、ヘリコプターは回転翼に樹木などが当たると墜落したり破壊されてしまいますが

こいつは樹木が密集していても、ばさばさ切り倒して着陸するという・・・

とんでもないやつですね・・・・

 確かに上のUH-1のブレードとはかなり形状、厚みも違うようです。

 

 なんだかシンプルな計器盤です。

後で知りましたが、バイクの二人乗りと同じタンデム形式で、前席が射撃手、後席が操縦士だからのようです。

 

 

 ロケット弾の入る筒ですね・・・

なんか不気味です。

 

 

 もうこの頃はヘリもジェットタービンエンジンなんですね。

これらのエンジンのお陰でヘリの進化は躍進したようです。

 

 

 

 

 

 

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太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その8(HANGAR 79)

2011年08月14日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

博物館はアメリカ軍基地の敷地内ですので、歩ける範囲は限られてましたが

本館とハンガー79の間の屋外にも数機の往年のジェット戦闘機が展示されてました。

でも、雨ざらしの状態でもあるので、いいのかな?とも思いましたが。

ハワイの空は俺が守る!って感じが伝わって来て、かっこいい!と、ちょっとこのロゴはアップで撮らせていただきました!

 

しかしジェット戦闘機ってプロペラ機と比べて、機首にエンジンが無いので

徹底的な流線形してるんですね~

コクピットの狭そうなこと・・・

キャノピーに頭挟まりそうです(笑)

キャノピーの前のイボのようなガラスの球はカメラでしょうか?

何に使うもんかは分かりません。

正面から見ると、翼も後退翼で(影に注目です)ほとんど見えないくらい幅が狭いです。

こりゃミサイルですね。

 

 

横から見ると飛行機なんですが。

最新の機体と比べるとやっぱりミサイルのようなずん胴です。

 

 

 

さあ、ハンガー79に来ました。

ちなみにハンガーは服を掛けるハンガーではなくて

航空機などの大型格納庫のことです。

服を掛けるハンガーと何か語源的には関係あるのかないのかは知りません。

 

 

それにしても、デカイ!広い!

高さ10m以上もある引き戸初めて見た!

この格納庫も第二次世界大戦の時から生き残ったものです。

生き残ったとは言っても

爆弾が降り注いだ訳でもなく、機銃掃射を浴びたのみだったおかげでしょう。

 

 

 

濃い水色のガラスが第二次世界大戦当時のままだそうです。

で、ゼロ戦の機銃弾が開けた穴がそのまま保存されていました。

この、嫌がらせのようなプチプチと開いた窓ガラスの穴を見て・・・

僕個人の感想ですが・・・。

なぜこんな中途半端な攻撃をしたのか?いや、こんな攻撃しかできなかったのか?

ゼロ戦や艦上攻撃機は魚雷や爆弾を一発ずつしかお腹の下に持てず

それは海に浮かぶ艦船への攻撃にしか使う余裕(作戦・命令)が無かったのでしょう。

 

 

しかし、実践に於いては

応戦してくる戦闘機はいくら当時ゼロ戦が強いとはいえ、いない方がいいでしょう。

そこで、魚雷や爆弾を投下し終えた機が、航空機が置かれていそうな格納庫を

威嚇や、応戦のための離陸を遅らせるために撃ったのでしょう。

どれだけの効果があったのかは知りませんが

で、このようにメモリアルです。

ゼロ戦が撃った機銃の弾痕!!

やはり戦争は嫌なものだと思います・・・

野球ボールが破ったガラスはすぐに取り換えられるのに

戦争の弾の痕となると何百年も何千年も永遠に残される勢いなのです。

弾の痕が残されているということは

人の思いや恨みや悲しみが残っている証ではないでしょうか。

これで、原爆落とされて文句言っても

真珠湾のせいだ!で終わりです・・・

 

 

 

さあ、中へお邪魔します。

完全な箱になっております。

間に柱が一本も無いこれだけ大きな建物にお邪魔するのはドーム型の球場以外では初めてです。

大きなジェット戦闘機や、大型輸送ヘリが一人乗りの大きさに感じます。

 

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太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その7(HANGAR 79)

2011年08月13日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

博物館の本館を出て、見学可能なもう一つの元格納庫ハンガー79を見に行きます。

 

本館も巨大な飛行機の格納庫だったんですね。

それにしても外から見るとデッカイ倉庫だ・・・!

 

 

この管制塔復元・・・

小池さんから興味深い話が。

真珠湾攻撃当時、この塔自体はあったらしいですが

ちょっとした見晴らし塔程度のものだったらしく

復元しようとしているような立派な展望室のような部分は無かったそうです・・・

当時の記録映像にもその姿は残っているそうで、なぜ立派な姿に間違った復元をしようとしているのか・・・?

メモリアルの目玉、立派なシンボリックなものが欲しい・・・のかな?

 

 

空から見ると大して大きくないフォード島ですが

こうやって見ると何も無いお陰でオアフ島西部のワイアナエの山脈までスカッと見晴らせ、広大な土地に立っている錯覚に陥ります。

ここで、長年の僕の疑問をハワイに詳しい小池さんに質問してみました。

あっちの山脈と言えば僕はコレコレロードが気になって仕方ないのです。

ハワイの写真集で見つけたコレコレロードの美しい峠道。

ヌウアヌパリよりずっと美しいと僕は思っています。

しかし、山脈の西側からも東側からもコレコレロードには入れませんでした。

軍の管理区内に指定されていたからです。

なんちゅう広大な土地を・・・飛行場や基地も造れそうにない急峻な山脈だというのに・・・。

 

 

 

小池さんはコレコレロードのことは知りませんでしたが

あの辺は軍の支配下で入れないというのはご存知でした。

しかもこれまた面白いお話が・・・

コレコレロードの立ち入り禁止エリアは、色んな噂があるそうで

UFO基地説や核シェルター説(笑)

小池さんは核シェルター説が当たってるんじゃないかと思ってるそうです。

あんな広い辺鄙な所で軍が一体何してるんだ?ということです。

小池さんも絶対に何か隠しながらしていることだけは間違いないと思う!とおっしゃってました。

 

 

 

コレコレロードにアタックした時の記事はこちら

他の立ち入り禁止区域のゲートを見て思ったのですが

コレコレロードは、あんなに人が来ない所のくせに、車止めのバリケードが結構大げさな感じでしたね~

やっぱり、あそこは怪しい・・・。

コレコレロードの情報を知ってる方いらっしゃったら是非、書き込みお願いします!

 

対空機関砲ですね。

きっと真珠湾攻撃の時はゼロ戦に向かって火を吹いていたのでしょう。

 

 

 

ハンガー79に入ります!

当時からの格納庫がほぼそのまま保存されてるということでしたが

窓ガラスにその証拠が・・・

 

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太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その6

2011年08月13日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

 

 1/1スケールのジオラマですね・・・

凄い手の込んだ展示です。

 

 上の機体と下の機体も同じように見えるのですが

主脚の形状が大きく違うので異なる機種のようですね。

どうもアメリカの戦闘機は分かりません・・・

機種などの情報プレートも撮っておくべきでした。

(追記:・・・分かりました!↑ダグラスSBDドーントレス<急降下爆撃機>でした)

 

 F4UコルセアやF4Fワイルドキャット、F6Fヘルキャットあたりの親戚かとは思うのですが・・・(笑)

(追記:・・・分かりました!グラマンF4F-3ワイルドキャット<戦闘機>でした!!)

 

 Boeing N2S-3 Stearman (Trainer)

これは練習機でしたかね~

結構栄誉ある立場の方の代々受け継がれてるような名機だったような説明が・・・

 

 

 きれいな機体とエンジンですね。

 

 

 ~ん、後席の機銃があるから通常の単座戦闘機とは違うようですね。(急降下爆撃機です)

もし機種が分かる方教えて頂ければ幸いです。

 

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太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その5

2011年08月11日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

 次は大物が見えてきました。

ノースアメリカンB-25ミッチェル爆撃機です。

 

 アメリカだけでなく、イギリス、ソ連、中国、フランスなど20カ国以上が使用したベストセラー爆撃機です。

やはりこの飛行機で日本の有名な話と言えば、1942年4月18日のドゥーリットル中佐による初の日本本土空襲です。

太平洋沖の空母からドゥーリットル中佐率いるB-25は日本への攻撃をした後

そのまま日本を横断、中国へ着陸するという作戦を取った。

僕の好きな小説家、吉村昭氏のエッセイの中に

このドゥーリットル中佐の爆撃機隊との遭遇のエピソードがあった。→

 

 

 

 ↑なんと有名になる前のウォルトディズニー直筆のイラストだそうです。ビックリ!

 

 

 召集解除記念章と掛けてる?

やっぱり昔からアヒル好きだったんですね。

 

 

 広い館内には飛行機がどっさり。

スケールがでかいですね。

あぁ~いつかスミソニアン博物館にも行ってみたいです。

 

 

 →吉村氏が子供の頃、家の二階のベランダからこのB-25が超低空飛行で飛び去って行くのを

至近距離で目撃したそうです。

 

 

 

 

 ガラス張りの機首。

この後に日本全体を焦土と化した大規模無差別空襲を行ったB-29を思い起こさせます。

 

 

 

 戦闘機乗りは敵機の後ろを取ったら圧倒的有利に相手を落とせたのですが

この後方機銃はやっかいな存在だったでしょう。

きっと戦闘機パイロットは真下や真上からの攻撃を狙ったのではないでしょうか?

 

 

 

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太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その4

2011年08月07日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

 真珠湾攻撃の主力兵器となった魚雷。

真珠湾の平均水深は12m。

魚雷に必要とされる水深は60m。

こんなに浅い海では普通の魚雷攻撃は不可能。

飛行機から投下された魚雷がことごとく海底に突き刺さってしまうからだ。

実際、魚雷をあきらめて飛行機による爆撃のみで攻撃する案だったそうだが

アメリカとの戦争は出来る限り避けるべきと思っていた山本五十六は

中途半端な攻撃ではなく、やるなら徹底的にやってアメリカと早期に停戦状態に持って行って少しでも有利な

戦争終結を狙うべきと思っていた。

なので、魚雷が使えないなら真珠湾攻撃自体、やめる!と言っていたそうだ。

 

 でも不可能を可能にしてしまった日本。

飛行機のパイロットの凄まじい訓練により神業レベルとなった操縦技術。

とんでもない低空飛行で魚雷をそっと落として沈み込む深さを抑えた。

加えて、魚雷自体に特殊な改造を施した。

ジャイロを内蔵させて自律性を高め、これまた沈み込みを抑えた。

小池さんの解説によると魚雷は二回目の衝撃で爆発するように信管に工夫が施されていたそうだ。

一回目の衝撃は船の一番外壁を突き破った時。二回目は艦内に魚雷が入りこんだ時。

艦の内側から大爆発するように。

すると一発の魚雷で爆炎と衝撃波が艦内部に行き渡り、乗組員と艦を一気に吹き飛ばせるという。

恐ろしい兵器ですねというと、原爆よりはるかにましでしょうと言われた。

確かにこんなのはミサイルや魚雷では当たり前の仕組みなのだろう。

対戦車弾も戦車の中に入り込んでから炸裂して、中をぐちゃぐちゃに潰しまくるというのを読んだことがある。

パネルの説明には 97式艦爆と99式艦爆、そして零戦がこれらの魚雷と爆弾をオアフ島の米軍施設への攻撃で使用。

 

 床に大きく描かれた日本軍の戦闘機部隊の侵入経路。

きっちりと航空基地など軍事施設のみに攻撃はかけられ、ホノルル・ワイキキなどは攻撃は加えられていない。

けれど、諸説もろもろですけどね・・・

 

 

 

 当時の誰だったか忘れたけど、そこそこの偉いさんだったと思います。

初心者向けの小型飛行機で操縦訓練をしていた時、運悪く真珠湾攻撃の編隊と遭遇。

しかし、日本軍パイロットは攻撃命令にない民間機に発砲することなく

去れ!逃げろ!と手信号を送ったそうです。

後ろの垂れ幕に一緒に飛ぶ零戦が描かれています。

 

 

 

 カーチスP-40

子供の頃プラモデルを作った記憶があります。

 

 

 

 アメリカのお国柄エンジンV型12気筒の水冷エンジン。

パワー主義ですね。

 

 

 

 ゼロ戦などと同じ空冷の星型エンジン。

プロペラ機では好きなタイプです。

 アメリカの博物館はワクワク度が凄いです。

 

 

 

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太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その3

2011年08月01日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

メインの展示場に入ってすぐにゼロ戦が出迎えてくれました。

子供の頃大好きだった飛行機です。

ゼロ戦にまつわる話や本はたくさん読みましたが

ここハワイ真珠湾に飛行可能な機体があるとは知りませんでした。

 

 

相当ぼろぼろだったものをここまで修復して、まだ飛べるなんてすごいと思います。

A6M2 21型の機体。

案内板の日本語の解説によると・・・

このゼロ戦は真珠湾攻撃に飛び立たんとする部隊の一機で、航空母艦「飛竜」の甲板を再現しているそうです。

この機体は第二波の攻撃隊で、第一波の攻撃隊が出撃して約1時間後。

 

 

 

 小池さんがゼロ戦のエンジンの下の床に注目してくださいと言いました。

写真では分かりにくいかも知れませんが、黒いシミがあります。

エンジンオイルが実際に入っていて、少し滲みだしているそうです。

可動機の証だそうです。スゴイ!!

このあとも、何機もの実際に飛ぶことが出来る可動機を見ましたがどれもこれも

エンジンオイルが滲みだして床にシミを作っていました。

ゼロ戦のシミは小さい方でした。

気密性を保つ技術も他よりも高かったと想像します。

 

 

 

 このパイロットの名前は西開地 重徳(にしかいち しげのり)。

この後、離陸して真珠湾攻撃の第二波に参加。

その際に機銃弾を機体に浴びて帰還不可能に。

ハワイ諸島のもっとも西にあるニイハウ島に不時着。

(大日本帝国海軍はニイハウ島は無人島と思っていて、不時着地点及び

潜水艦による海上に不時着したパイロットの救出の際の集合地点に指定していた。実際には136人の住民がいた。)

 その住民の中の一部の日系人が西開地に従い、住民と争いに。

最後は西開地はニイハウ島の住民に殺害され、味方していた日系人もそれに絶望して自殺するという悲惨な結末に・・・

それまで、アメリカの一住民として仲良く暮らしていた者も

いくらアメリカに忠誠を誓っていても日系アメリカ人はいざとなると、一瞬で日本人の味方になってしまうという

レッテルを貼られてしまう事件に発展したのでした。

通称「ニイハウ島事件」と呼ばれていて、大戦中の日系人の強制収容所行きを決定的にした要因と言われています。

 

 

 記録によると、西開地は自分のゼロ戦に火を放ち、無きものにしようとしたそうですが・・・

残骸と化した機体を完全に修復したものがこの機体ということを知ると

何やら迫力を感じてしまうのですが・・・

綺麗に塗装された機体からは血生臭い不気味さはかき消されているような気がしました。

 

以前に訪れた九州の大刀洗飛行場跡の平和記念館に展示されていた

博多湾から引き揚げられた九七式戦闘機は、錆び切った機体をそのまま晒していて

胸が熱くなるような凄まじい迫力でした。(残念ながら何故だか撮影禁止・・・)

修復の仕方で感じ方が相当変わるもんだと実感しました。

 

 

 

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太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その2

2011年07月29日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

 日本語ガイドの小池さんの細かいガイドがテンポ良く進んでいきます。

テンポも良いけど、丁寧さにも感激でした。

イラストも一つずつ簡単ながら解説してくださいました。

 

 馴染みの全くないパンナム航空のCMポスター。

馴染みないのに何でパンナムに惹かれてしまうのか?

人気の秘密はその辺りにもありそうです。

小池さんの解説では、船の時代から飛行機の時代に

移り変わり始めた頃のポスターだそうです。

 

何故水上飛行機なのか?

飛行場(滑走路)がハワイにまだ無かったからで~す!

 

 

 

 ハワイアンの歓迎を受ける人達の写真。

なぜだか軍人の写真が多いです。

 

 

 

 約84年もの歴史を持つロイヤル・ハワイアン。

太平洋のピンクパレスの異名の通り威風堂々の描かれ方です。

でも、小池さんの教えてくださった驚きの話は・・・・

 

 

 

 

 

 壁画の左端のこのちっこい民家のような建物と隣の青と白のストライプの屋根の建物の正体。

左端の民家のようなものはハレクラニの前身のもので

青と白のストライプの屋根の建物はモアナ・サーフ・ライダーの前身のホテルだそうです。

現在とはあまりにもかけ離れた見た目に小池さんのジョークかと思いましたが

本当だそうです。

小池さんの話を聞かなければこんな壁画の隅っこの建物なんて気にも留めなかったです。

 

 

 

 こちらは真珠湾攻撃の第一波の零戦がフォード島へ襲いかかろうとしているところです。

 真珠湾攻撃については多くの逸話がありますが、やはり一番興味深いのは

アメリカ政府またはルーズベルトは奇襲攻撃を事前に察知していたか否かの話ですね。

 

 

 NHKの特番でも何度か真珠湾攻撃関連の番組を見ましたが

その中でも事前察知に焦点を合わせた番組は事前察知確実な内容でしたね。

印象に残っている番組メッセージの一つが、攻撃を知っていたのに情報を知らされずに

真珠湾にいた末端の兵隊は同じアメリカ人に裏切られたのだというものでした・・・

果たして真相はどちらなのでしょうか・・・?

 

 

 

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太平洋航空博物館/PACIFIC AVIATION MUSEUM その1

2011年07月27日 | パール・ハーバー/太平洋航空博物館

 

朝食の後、奥さんがどこやらに電話して航空博物館のことを聞いてくれました。

日本語のガイドも一人$10で付けてもらえるとのことで、奥さんはガイドあった方が

絶対に面白いと思うよと勧めてくれました。

一応レンタカーで向かうと告げて、簡単に行き方も聞いてもらいました。

 

で、いざ向かうとなってとりあえず航空博物館を行き先に設定してナビに連れて行ってもらいました。

初めてのパールハーバー、フォード島です。

この時は、一般車がフォード・アイランド・ブリッジを渡れないなんて知りませんでした。

電話でもビジターセンターへ行ってくれとのことでしたが、実際の所をよく理解していなかったのです。

 

で、フンフン♪とフォード島へ渡る長い橋へ突っ込んでいきました。

すると今までにも何度か見た事のある関所があります。

兵隊さんが肩からライフルを提げて二人ゲートを守っていました。

「あぁ・・・またやっちまった・・・」と呟きながらも兵隊さんのとこまで行きます。

スーッと窓を開けて間抜けな日本人観光客夫婦を見た若いアメリカ兵が

キョトんとした顔をしましたが、僕がすぐに「ソーリー、アイムUターン」と訳の分からない英語でこちらから

Uターンしますと言ったつもりのところ・・・

吹き出しながら「ユー、ユーターン、Uタ~ン!ププッ」と手をぐるぐると回すゼスチャーをされました・・・

今まで何度も道を間違えてはアーミーの敷地へ突っ込もうとしたけど

いつも優しく親切に「道を間違われたのですね、どちらへ行きたいのですか?」と

話しかけてくれてゼスチャー交えて道まで教えてくれたもんです。

しかし今回は小馬鹿にされた感じで痛かったですね・・・(泣)

 ま、アメリカの兵隊から笑を取ったと前向きに考えましたが・・・

 

 で、仕切り直してやってきたパールハーバービジターセンター。

(もうひとりの年上の兵隊さんにビジターセンターへの行き方を教えてもらいました)

パールハーバーはこういった真珠湾攻撃関連の軍事博物館がありますが

あくまでアメリカ軍基地なので出入りはちょっと面倒くさいです。

 

 手荷物は一切持ち込み禁止!

持っていけるのは、カメラ、携帯電話、水筒、のみ!

あとの手荷物はホテルのクロークみたいなロッカー受付で預けてしまわないと入らせてもらえませんでした。

財布は・・・?

財布もダメな雰囲気だったので、現金少々とクレジットカードをズボンのポケットに忍ばせてやっとゲート入らせてもらった感じです。

 

 

 

 中に入るといきなりミサイルの展示物がそそり立っていました。

パールハーバーの3大施設の案内の看板もありました。

 

 

 ↑ EXLIM EX-120Gで奥さん撮影。

このバスで先ほどUターンさせられた橋の上のゲートを超えてフォード島までいけます。

派手な送迎シャトルバスがここビジターセンターとフォード島を結んでいました。

今回はPACIFIC AVIATION MUSEUM のみの訪問です。

 

 

 ↑ EXLIM EX-120Gで奥さん撮影。

 約20分バスに乗っていたでしょうか?

何やら飛行機の格納庫みたいのを改築したような外観の博物館へ到着。

 

 

 ↑ EXLIM EX-120Gで奥さん撮影。

どうやら当時の管制塔を復元工事している様子でした。

ここのシンボルタワーになるんでしょう。

 

 

 

募金を集めて工事してるんですね~

完成していなくて残念です。

しかし、この管制塔について後で面白い話を聞かせて頂くことになります。

 

 

 料金を払って中に入ります。

日本語ツアーを申し込んだら、このショートムービーでも見て待っていてくれと言われました。

ガラガラ・・・(笑)

 

 

 5分くらいの映画を見終わると、映画館の外で日本語ガイドの小池さんが待ってくれていました。

50歳(?間違ってたらすいません・・・)くらいのスマートな紳士でした。

にこやかにあいさつを交わすと早速ガイドを始めて頂きました。

 

 

 

 自分達だけだったらさらっと見て流してしまいそうな

冒頭のハワイの古いイラストや写真たちの展示。

小池さんの解説は非常に巧みで一気に引き込まれてしまいました。

数十年前は、飛行機ではなく、蒸気船が旅の主役の時代、ハワイ旅行は今よりももっと

ステータスがあって夢の楽園への旅行だったそうです。

 当時のお金持ちたちの船のハワイ旅行に思いを馳せました。

 

 

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