学生時代、私の生活の中心には常に音楽があった。
男声合唱の持つ独特な輝き、そして荘厳さ。
それを教えてくれたのは、紛れもなく畑中良輔氏であり、
北村協一氏だった。
北村先生の死を、先日届いたOB通信(会報)で知った。
去る三月十三日、闘病の末、聖路加国際病院にて逝去されたと。
享年七十四歳。
その時、そこが会社であることも忘れ、泣いた。
しばらく合唱から遠ざかっている私が、最後に先生のタクトを
見たのはいつだろう?
演奏会のパンフを開くと、2002年6月、そして2003年11月。
リハーサルからお邪魔して客席から演奏を拝聴した、あれは
もう2年半も前のことだったのか。。。
遥か遠い学生時代を思い起こせば、練習中の厳しさ、休憩中の談笑、
ある時、練習後の飲み会においでくださったこと。
演奏会での雄々しさ、スイング感、格好よさ。
プライベートでは、先生のお宅での新年会。
転勤先の大阪、街角で偶然お会いした先生が「一緒に歌わないか」と
誘って下さった大阪の合唱団セコインデ。
様々なことを思い出すと涙が止まらなくて困った。
北村協一先生の追悼礼拝は、関西学院高中部礼拝堂にて
4月23日午後2時より執り行なわれます。
東京では翌週。4月30日午後3時半より
四谷の聖イグナチオ教会主聖堂にて追悼ミサ「感謝をこめて」
男声合唱の持つ独特な輝き、そして荘厳さ。
それを教えてくれたのは、紛れもなく畑中良輔氏であり、
北村協一氏だった。
北村先生の死を、先日届いたOB通信(会報)で知った。
去る三月十三日、闘病の末、聖路加国際病院にて逝去されたと。
享年七十四歳。
その時、そこが会社であることも忘れ、泣いた。
しばらく合唱から遠ざかっている私が、最後に先生のタクトを
見たのはいつだろう?
演奏会のパンフを開くと、2002年6月、そして2003年11月。
リハーサルからお邪魔して客席から演奏を拝聴した、あれは
もう2年半も前のことだったのか。。。
遥か遠い学生時代を思い起こせば、練習中の厳しさ、休憩中の談笑、
ある時、練習後の飲み会においでくださったこと。
演奏会での雄々しさ、スイング感、格好よさ。
プライベートでは、先生のお宅での新年会。
転勤先の大阪、街角で偶然お会いした先生が「一緒に歌わないか」と
誘って下さった大阪の合唱団セコインデ。
様々なことを思い出すと涙が止まらなくて困った。
北村協一先生の追悼礼拝は、関西学院高中部礼拝堂にて
4月23日午後2時より執り行なわれます。
東京では翌週。4月30日午後3時半より
四谷の聖イグナチオ教会主聖堂にて追悼ミサ「感謝をこめて」