つぶろぐ

息子の成長過程を追っていけたらな。でもその前に自分も成長せねば。。。

さよなら、協ちゃん

2006-04-30 23:46:11 | 音楽
今日は、協ちゃんこと北村協一先生とのお別れ会。

少し風が強いけれど、よく晴れた穏やかな日差しの中、
四ツ谷の聖イグナチオ教会には、大学時代に協ちゃんの音楽に触れた
諸先輩方(OB,OG)が大勢集まりました。

私が聖堂に入ると、もう既に席はほとんど埋めつくされており、
座れず、立ったままの方もたくさんおられました。
いったい、どれだけの方がいたのだろう

お別れ会は、ヨゼフ・ピタウ大司教の司式で進み、最後に献花。
中央の祭壇には、颯爽と指揮する在りし日の先生の写真が飾ってあった。

新月会 宮内義彦氏の悼辞、ご遺族(お兄さま)のご挨拶にもあった通り、
先生は亡くなる2週間前、母校である関西学院大学グリークラブの
定期演奏会を、車椅子のまま指揮をなさったそうです。

その「雨」(八木重吉作詞、多田武彦作曲)の終曲
『雨が上がるように 静かに死んでいこう』
という、フレーズの通り、先生は静かに私達の前から消えてしまいました。

協ちゃんがいなかったら、大学時代はもっと味気ない時間だったでしょう。
それは、私の在籍した4年間と、関学(関西学院)グリークラブの黄金期が
ほぼ重なるから。東西4連にて関学を振り、東京6連では慶応ワグネルを。
そして我々の団を始め、上智、東工大を指揮する先生を追いかけていました。
協ちゃんがいなかったら、ブル(畑中良輔)先生との関わりも無かっただろう。

合唱、音楽についてだけでなく、団の運営などにも、ご指導いただいたこと、
本当に感謝しております。

協ちゃんの颯爽としたタクトをび見ることは、もう出来ません。
けれど、あなた音楽を通じて、多くの人間の心に生き続けることでしょう。
私も今は活動を休止していますが、また再び歌を始めます。

最後に。
あらためて、北村協一先生のご冥福をお祈り申し上げます。