ウィーンわが夢の街

ウィーンに魅せられてはや30年、ウィーンとその周辺のこと、あれこれを気ままに綴ってまいります

ザンクト・ヴォルフガング ― 幸せが出迎えてくれるホテル「白馬亭」

2010-09-16 12:03:48 | オペレッタ
オペレッタ『白馬亭』はオスカー・ブルーメンタールとグスタフ・カーデルブルクの二人がイシュル近くに滞在していた1898年 (96年としている人もいます) に書いた喜劇をもとに、ラルフ・ベナツキー他が作曲し1930年11月8日にベルリンで初演されたものです。ちなみにイシュルがバート・イシュルと名乗るのは1906年以降です。
このオペレッタが爆発的な人気を呼び、舞台となった実在のホテル「白馬亭」はザンクト・ヴォルフガングの切っても切り離せないシンボルとなったのです。 



ザンクト・ヴォルフガングにあるベナツキーの碑 (1997年撮影)


原作のお芝居とこのオペレッタになった作品との一番の違いは、オペレッタでは第二幕フィナーレから皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が登場し、第三幕でジードラーへの恋心 (弁護士ジードラーは後述するように訴訟相手ギーゼケの娘オッティーリエと恋に落ちてしまいます) をあきらめきれない白馬亭の女主人ヨーゼファに次のように歌って、彼女に思いを寄せている給仕長レーオポルトこそ彼女を幸せにしてくれる人だと気づかせてくれる、という点にありました。皇帝に重要な歌のパートが与えられているわけで、グローセス・シャウシュピールハウスの初演舞台では、バウル・ヘルビガーが演じました。以後舞台ではヴィーナー・リートの大御所がこの役を務めたりしています。2005年のランゲンロイス・ハインドルフ城野外劇場での公演ではハインツ・ホレチェクが皇帝役を演じました。

’s ist einmal im Leben so     人生はそんなもの
allen geht es ebenso       誰だって
was man möcht’ so gern      願い通りに
ist so fern            いかないもんだよ

実際フランツ・ヨーゼフ1世の人生がそうでしたからね。

音楽についても、最終的に興行側のグローセス・シャウシュピールハウス監督エリク・シャレルの意向で当時売れっ子だった流行歌の作曲家何人かに作曲を依頼し、合作という形に仕上げたということで、それまでのオペレッタとは異なりました。ただこのことは、ベナツキーにとっては苦々しいことだったようです。




ザンクト・ヴォルフガングにあるローベルト・シュトルツの碑 (2009年撮影)
ジードラーとオッティーリエのデュエット曲 《Die ganze Welt ist himmelblau》 を作曲したのはローベルト・シュトルツです。

ベナツキーの不満をよそに、レコードとラジオのメディア革新の時代につくられたこのオペレッタ・レビューはそれぞれの歌を取り出して聴き、歌うのに適し、まさに大ヒットしたのです。構成もしゃきしゃきしたベルリンの人たちと、おっとりしたオーストリアのひとたちが対比的に描き出され、ベルリン言葉とウィーン言葉が交錯するこのオペレッタは、初演されたドイツ、舞台となっているオーストリア、どちらの人からもいまでも愛されている楽しいオペレッタです。



開演前の舞台『白馬亭』、ウィーン・カンマーシュピーレ (2009年4月20日公演)

今回はこのオペレッタの舞台、ザンクト・ヴォルフガングのこと、そして登場する人々がどういう交通手段でこのホテルにやってくるかについてお話しすることにします。

まず舞台となるホテル「白馬亭」ですが、ザンクト・ヴォルフガングのシンボルとなっていて、ここを訪れた人はオペレッタの存在を知らなくても、ホテルの前は必ず歩いたに違いないと思います。ホテルのホームページをみると、こう書いてあります。

「白馬亭の歴史と名声がオペレッタによってもたらされたというのは正しくありません、歴史は500年前にさかのぼり、聖ヴォルフガング巡礼教会を訪れる人々をもてなしてきました。本来の「白馬亭」という旅館になったのは1878年です。バウル・ヨハン・ペーターが1912年に「白馬亭」を買い、家族経営をはじめ、今日5代目です。」

オペレッタ初演当時から同じ一族がこのホテルをずっと守ってきたということらしいです。ホームページには昔の写真も載っており、オペレッタの書き割りはもちろん、それを参考にしているので、同じに見えるわけでしょうが、女主人のヨーゼファが常連のジードラーのためにとっておいたというバルコニー付きの部屋もそれとわかります。



現在の「白馬亭」 (2009年撮影)

オペレッタは、幕があがると賑やかな音楽、団体旅行の客が白馬亭のテラスに陣取って、てんでに飲み物を注文しています。他方ガイドには時間がないからとせかされ、ボーイたちはてんてこ舞い。そこにボーイ長のレーオポルトが登場して、「みなさん、まあ、落ち着いて。ゆっくりこの素晴らしい景色をご覧くださいな」と歌います。
当時ツアーを組んでオーストリアの景勝地ザルツカンマーグートを訪れることが人気だったことが分かります。ザンクト・ヴォルフガングは今や巡礼地としてではなくて、観光地として人々が訪れる場所に変貌しているのです。しかもツアーは今もそうですが、分刻みで団体行動をする連中です。オーストリア人のレーオポルトには、そのせかせかした行動が気にいらないのです。




湖から眺めたザンクト・ヴォルフガング、背景の山がシャーフベルク、天気の好い日にはSLが煙をたなびかせて登って行く様子がよくわかります (2009年撮影)

人々をここまで運んでくる遊覧船はザンクト・ギルゲン―ザンクト・ヴォルフガング―シュトローブルを結んでいます。
皇帝も船で到着します。イシュルから馬車でシュトローブルまで来て、そこから専用のお召し船に乗ったものと推測されます。ちなみに映画では船着き場が直ぐに「白馬亭」の前になっていますし、わたしたちの記憶でもそうだったような気がしているのですが、現在船着き場は白馬亭から歩いて3分ほどシュトローブル方面に寄った場所にあります。

ところで、しかし、オペレッタでは船以外の乗り物でここにやってくる人たちがいるのです。後述する1952年制作の映画にははっきりと「Sankt Wolfgang」と書かれた鉄道駅も映されています。
ヒンツェルマン先生の登場シーンです。旅が大好き、しかも汽車で旅することがこの先生のなによりの喜びです。お金をこつこつ貯めて、あちこち大好きな汽車旅行をしているのです。このヒンツェルマン先生が娘のクレールヒェンを伴ってザンクト・ヴォルフガング駅に到着するシーンがでてくるので、どこかに駅があったはずです。
わたしはずっとこの駅が白馬亭側にあったのだと思い込んでいました。しかしそうではありませんでした。今回やっとこの疑問が解けました。
対岸の、現在ポストバスが走っている道、ここを鉄道が走っていたのです。

ザルツカンマーグート・ローカル鉄道 (略称SKGLB) と呼ばれるその鉄道は1893年全線が開通しました。イシュルから、シュトローブル、St ヴォルフガング、St ギルゲン、モントゼーを経てザルツブルクに至る、総延長およそ67キロの路線で、年間215万人の乗客を運んだと言います。最大勾配25パーミル、最高時速40キロ、ほとんど登山鉄道というべきものでした。惜しまれつつ、地元の猛反対のなか1957年に廃線となったようです。




ザルツカンマーグート・ローカル鉄道、資料写真 (出典: www.skglb.at)

このことを知って、シュトローブルのポストバスの駅 (しっかり今もBahnhofと書いてあります) がやけに立派であるわけも、納得しました。バーンホーフは勿論鉄道の駅ということですからね、バス停には使いませんが、鉄道が廃線になった今もその建物がバスの発着場所として使われているのです。
したがって人々はシュトローブルで遊覧船に乗り換えたか、鉄道でStヴォルフガング駅までやってきたにしても、駅は白馬亭の対岸にあったため、ここで船に乗り換えたのです。湖の両岸はこのあたりで一番接近していて、今も渡し船が運航されています。ケチケチ旅行をせざるを得ないヒンツェルマン先生親娘は、遊覧船に乗らずに、運賃の安い渡し船に乗って対岸に渡ったというわけです。

ちなみに1893年には、サウンド・オブ・ミュージックで私たちにもなじみの、シャーフベルク登山鉄道も開通しています。1893年というと明治26年です。そんな時代に標高1732mの山頂に登山鉄道を通したというのは驚きです。麓の駅は標高542mですから、標高差1190mです。シュネーベルクの記事のところに書きましたようにオーストリアで最も標高の高い駅はシュネーベルク山頂駅の1795mです。こちらは、しかし、完成したのは1897年でした。そしてシャーフベルクの方は今もすべてSLが牽引しています。(注: 東海道線全線、新橋、神戸間が開通したのは1889年です)



シャーフベルク山頂駅 (1997年撮影)

この人気のオペレッタ作品は何度も映画化されました。わたしが好きなのは1952年のヴィリ・フォルスト監督、ヨハネス・ヘースタースがジードラーを演じた作品です。まだ鉄道が現役で走っていた時代です。しかし、このヘースタースが演じるジードラーは自転車でStヴォルフガングにやってきます。ヘースタースはオランダ人です (ちなみに彼は現在106歳、決して行方不明ではなくて、公式のホームページを持っています)。自らオランダ人と自転車は切っても切り離せないくらい自転車好きだと言っています。そしてバート・イシュルからやってくる途中で係争相手のベルリンの工場経営者ギーゼケの娘オッティーリエとぶつかりそうになって、お互い、知りあうというシチュエーションでドラマが展開していくのです。




映画『白馬亭』のジードラー役を演じるヘースタースと白馬亭の女主人ヨーゼファを演じるヨハンナ・マッツ (出典: Johannes Heesters 公式ウェブ・サイト)

シュトローブルで乗り換えるか、Stヴォルフガングで乗り換えるか、どちらにしても鉄道で来ても白馬亭側にでるには普通は船に乗り換えるしかありません。しかしヘースタース扮するジードラーは映画では白馬亭側の高低差の多い山道を自転車でやってくるのです。
現在シュトローブルからStヴォルフガングにやってくるポストバスは最後にトンネルをくぐり抜けて町に到着します。途中も起伏の多い山道で、いくら自転車好きだと言っても、決してサイクリングに適しているとは思えません。
ところが昨年シュトローブルからStヴォルフガングまでバスに乗ってよく窓の外を見ていると、この山道 (もちろん今はとても整備された舗装道路です) サイクリングしている家族連れをいっぱい見かけました。こどもだってヘルメットを着用して、山道を自転車で走り抜けていきます。余暇の楽しみ方がやはり、日本人とは違いますね。

もし、あなたもザンクト・ヴォルフガングを訪れることがあったら、レンタサイクルでバス路線と対岸の山道を走ってみたらいかがでしょうか?

ヨハン (2010-09-16)





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