『Welcomeのぶ・ろ・ぐ』A recluse in Manila

隠遁オヤジは今日もまた桜散る散る日本と陽はまた昇るマニラにて世の無常を嘆きつつ、後は野となれ山となれ。

厳しいのには理由(わけ)がある

2005年11月02日 | 趣味(高校野球観戦)
2年ほど前になろうか、郵便受けに入っていた小冊子。普段ならほとんど見ることなくそのまま廃品回収に出すのだが、このときは何気なくペラペラとページをめくった。と、目に飛び込んできたのが「帝京高校野球部監督 前田三夫 さん」という一行だ。「大人の責任を考える」という特集のインタビュー記事だ。
帝京といえば押しも押されぬ全国区。春夏優勝経験がある屈指の名門である。(余分な話だが、小生にも全国都道府県でファンのチームがあり、東京では帝京と日大三を応援している。)

その帝京の前田監督のインタビューとなると看過することはできない。
前田先生といえば「泣く子も黙る鬼監督」というほどの異名を持つ熱血監督。
記事を読むと監督という仕事にたいして強い責任感をもっておられることがよくわかる。

小生が解説などするよりもところどころ抜粋させていただく。

【放任するだけでは子供は育たない】
「子供の自主性に合わせた指導を」という声が世間で高まるにつれて、一部で「前田の野球は古い」と批判されたことがあります。
「それなら試しに一度 と、いっさいを選手の自由に任せたことがあるんです。結果は散々でした。
(中略)
まだ大人になりきれていない十代の子供たちには伝えるべきこと、指導すべきことは山ほどある。それをせず、選手にまかせっきりでは楽なほうへ流れるだけ。成長など望めるはずもなく、これでは選手を正しい方向に導くという責任を放棄していることになるというのです。
 厳しい指導方針は、正選手だけでなく補欠に甘んじる選手たちに対しても同じです。優秀な選手が集まっているとはいえ、すべての選手が試合に出られるわけではありません。全国大会に進めない年もあります。しかし、たとえ夢が破れても、子供達の人生は続いていきます。ちゃんとした大人に育てるために、前田さんは手を抜くわけにはいかないのです。


 前田先生は大学時代、一度も公式戦に出場できなかったので、ベンチに入れない選手の気持ちはよくわかるそうだ。しかし、出られない選手はチームの一員としてやらなければならないことがある。彼らの頑張りがあってはじめて強いチームができると言っている。

【いつかわかる】
「グラウンドでは選手との間にはっきりと一線を引きます。かつてのOBも今の部員も、野球部にいる間は私のことを嫌っていると思いますよ。いつも厳しい顔しか見せていませんから。でもそれでいいんです。在学中は『こんちくしょう』と思っていても、卒業してから『監督の言っていたのはこういうことだったのか』と思い当たってくれればいい。」あえて憎まれ役を買ってでも、責任を全うしようとする前田さん・・・(以下略)
                            (勝手に抜粋失礼)

昨日登場した関東ローム層氏の嘆きも実にこの部分が子供達はわかっていないとの嘆き節であった。
人生は高校で終わるわけではないから、その後のことも考えて厳しく指導しなければならないのだ。
親にもしつけられないことを先生が厳しく指導してくれる。
実に実に、ありがたいことである。

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