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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

大草原の小さな家

2011-07-25 | 映画など

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大草原の小さな家

『大草原の小さな家』 (だいそうげんのちいさないえ、
原題:Little house on the Prairie
アメリカ合衆国のテレビドラマ。
本項では、その続編や特番についても解説する。

(wikipedia)


 

 

NBCの製作により、1974年から1982年まで、全9シーズンにわたって放送された。

日本では、NHK総合テレビで1975年から1982年にかけてほぼ全てのエピソードが放送された(続編的な第9シーズンは別途1991年に放送)。放送時間は毎週土曜の18時(最初期は火曜の20時)。その後、数回にわたって再放送が行われていたが、1999年からのNHK教育テレビでの再放送を最後に2014年現在まで放送はされていない(2003年にCSのLaLa TVにて第1シーズンのみ放送実績あり)。日本語版の翻訳担当は森みさ。なお2014年現在、全話(特別編含む)収録されたDVDが廉価で発売されているので視聴は容易である。

原作はローラ・インガルス・ワイルダー(1867年2月7日-1957年2月10日)による一連の半自叙伝的小説シリーズ。原作シリーズは『大きな森の小さな家 (Little House in the Big Woods)』に始まり全9作を数える[1]が、テレビ版では第3作の『大草原の小さな家 (Little House on the Prairie)』以降を描いている。また、テレビ版には、原作に登場しないキャラクターやストーリー展開も含まれている。


大草原の小さな家[編集]

西部開拓時代のアメリカ(1870年代から1880年代にかけて)を舞台にしており、インガルス一家はウィスコンシン州―カンザス州―ミネソタ州―サウスダコタ州と移り住む。

ローラが生まれたウィスコンシン州からカンザス州に移り、その後、ミネソタ州に向けて旅立つまでの話がまず2時間のパイロット版として制作され、1974年3月30日に放送された。

続いて、ミネソタ州のウォルナットグローブ(en:Walnut Grove, Minnesota)という町を主な舞台とした連続ドラマが、1974年9月11日から1982年5月10日にかけ、8シーズンにわたって放送された。

 

 

 

 

 

ローラ【Talent】 ローラ タレント 】

 

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太陽がいっぱい

2011-07-25 | 映画など

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太陽がいっぱい

仏: Plein soleil
1960年のフランスとイタリアの合作映画。
主演:アラン・ドロン、監督:ルネ・クレマン。

パトリシア・ハイスミスの小説「才人リプレイ君」(原題。邦訳本の題名は
『太陽がいっぱい』、『リプリー』)を原作とした、ピカレスク・サスペンス。

 

 

 

1999年、マット・デイモン主演で、ハイスミスの同じ作品を基にした映画『リプリー』が公開された。この2つの作品は原作が同じというだけで、『リプリー』は『太陽がいっぱい』のリメイクではない。

2008年9月、“『太陽がいっぱい』スペシャル・エディション”として、デジタルリマスターした本編と、オリジナルフランス語音声と共に、1972年にフジテレビ「ゴールデン洋画劇場」で放映された時の日本語吹替を収録したDVDが発売された(翌2009年3月31日までの期間限定生産)。

 


ストーリー[編集]

悪友フィリップ(モーリス・ロネ)を、彼の父親の頼みで連れ戻しに来た貧乏な若者トム(アラン・ドロン)。しかし放蕩息子であるフィリップは父の元へ戻る気はなく、親の金で遊び回っていた。トムはフィリップの金目当てに彼と行動を共にするが、トムやフィリップの恋人マルジュ(マリー・ラフォレ)に対してフィリップが時折見せる傍若無人な態度に怒り、フィリップを殺害する。死体を海に捨てた後、トムはフィリップになりすまして彼の財産を手に入れようと画策し、計画を実行していく。


『太陽がいっぱい』
 Plein soleil

監督    ルネ・クレマン
脚本    ポール・ジェゴフ
        ルネ・クレマン
原作    パトリシア・ハイスミス
製作    ロベール・アキム
        レイモン・アキム
出演者  アラン・ドロン
        マリー・ラフォレ
        モーリス・ロネ
音楽    ニーノ・ロータ
撮影    アンリ・ドカエ

 

 

2013 08 20 危険が いっぱい

 

 

2013 08 20 危険が いっぱい

 

 

 

 

 

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La Vague 波

2011-07-16 | 作品

 

 La Vague   波
 William Adolphe Bouguereau
 La Vague 1896  50 x 65 cm

 

お尻の辺りが、ひび割れしている。

たぶん上野だったと思うが、展覧会でこの絵を観た。自分も絵を描くので、経年変化が気にかかる。それで発見したのだが。画面に顔を寄せて、じっくり観察しないと、判らない程度だった。この絵は、ブーグローの絵の中でも、人気があって、グラビアなどでもよく見かける。

淡く単調な色彩なので、つょっと見には、薄塗りかと思った。でも、かなりの厚塗りだった。

海の波とか、白い肌色の、透明感がこの絵の、大きな魅力のひとつ。それには、色調の微妙な変化だとか、透過光の明るさ。海の深さを覗わせる、藍色の濃さ。結構丹念に書いているのが、その皹(ひび)で判ったような気になった。 

  

  

 

 

 

 

 

 


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わたしの里 美術館 ブーグロー1825 ~ 1905
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クヌート・エクヴァル

2011-07-16 | 作家の記録

 

 

 漁師とサイレン

The Fisherman and The Siren

 Knut Ekwall
oil on canvas

 

 

 

クヌート・エクヴァル  Knut Ekwall

(1843年4月3日スウェーデンのSäbyに生まれる。 – 1912年4月4日 Säbyにて没す)

スウェーデンの画家。おもに木版画とスケッチで活躍した。エクヴァルはストックホルムの芸術アカデミーにて、1860年から1866年まで学んだ。その後、ベルリンで画家L・クナウス(Ludwig Knaus)の弟子になった。そして、1870年にはドイツのミュンヘンで、画家としての名声を確立した。彼の作品は雑誌などの挿絵が主だった。享年 69歳

http://en.wikipedia.org/wiki/Knut_Ekwall 

 

 

 

 Full Image
Knut Ekwall

 Proposal detail   ca. 1880s

 

 

水辺のヌードWater Nymph
 北欧の作家
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ゴヤ

2011-07-07 | 作家の記録

スペインの画家

ゴヤ 1746~1828 ゴヤ 作家の索引
1826 Vicente Lopez の作
 

 

 フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス

Francisco José de Goya y Lucientes, 1746330日 - 1828416日)
スペインの画家。ディエゴ・ベラスケスとともに、スペイン最大の画家。
ベラスケス同様、宮廷画家として重きをなした。

 

 

 

 

 

ゴヤの黒い絵シリーズ【作品】   クロノスに喰われる 民主政治

 天国と地獄  仙谷の地獄が、口をあける 我が郷

 

 

 
 画面をクリックして、拡大してみて下さい。
 長年ゴヤ作とされていた『巨人』です。

 

自分が権力を手にして、まるで全知全能の、怪力無双であるディダラボウにでもなったつもりが、ご存じハナクソほじりの、極秘書類流出オヤジ。現在は情報化時代で、その気になれば、日本人はだれでも、無尽蔵の情報にアクセスできる。ところが検索のタームさえ、探し出すのにおぼつかないのか、国民主権の概念も忘れてしまった。耄碌(もうろく)の柳腰が、自分は巨人(情報社会)の出現で逃げ惑う、馬たちのただなかで、ぽつんと突っ立っている、莫迦なロバだと気がつかない。極秘書類を国会で開けば、巨大なマスコミ怪獣の巨眼がのぞき込むことにさえ、知恵が回らない。今まで野党時代に、どれだけ情報開示と叫んでいたのも忘れてしまう。ロバというより、三歩歩いたら物忘れをする、トットめと同じ。コケコッチと啼く、メスばかりの民主党の中でだけ威張っていた、雄鶏によく似ている。 ( 美味し国、やまとはわれらが護る )

 

 

プリンシペ・ピオの丘での銃殺 着衣のマハ

 

 

 

 プラド美術館【美術館】 プラド美術館 美術館

 

 

 

 

此所をクリックすると、『だいちゃん【言葉の説明】』などというところへ跳んでしまいます。

 

 

 わが郷 スペインの画家
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ターミネーター

2011-07-05 | 映画など

 

 


ターミネーター

(原題: The Terminator)は、1984年のアメリカ映画。

ボディビル出身の俳優アーノルド・シュワルツェネッガーを一躍スターダムに押し上げ、シリーズ化されたSF映画として知られる。オライオン・ピクチャーズ/ワーナー・ブラザーズ配給。製作費は約14億円。


近未来。反乱を起こした人工知能スカイネットが指揮する機械軍により絶滅の危機を迎えていた人類だが、抵抗軍指導者であるジョン・コナーの指揮下、反撃に転じた。脅威を感じたスカイネットは、未来から現代へ殺人ロボット「ターミネーター」を送り込み、ジョンの母親サラ・コナーを殺害することでジョンを歴史から抹消しようと目論む。同じ頃、抵抗軍からも兵士カイル・リースが、サラの護衛という使命を帯びて未来から送り込まれた。人類の命運を分ける戦いが、1984年のロサンゼルスで始まる。

手始めにターミネーター(T-800)はサラの居場所を割り出そうとするが、情報にあるのは、サラ・コナーという名だけであったため、同姓同名の女性を片っ端から殺し始めていく。その後、サラの友人を殺害し、偶然にもサラの顔と声の情報を入手、遂に居場所を突き止め、殺害を実行しようと銃口を向けるが、探していたカイルが間一髪で阻止し、2人で逃走。事態が飲み込めず怯えるサラに、カイルは「襲撃者はロボットであり、サラを殺害するために未来から送り込まれ、彼女が死ぬまで狙い続けること」「カイルはまだ見ぬサラの息子(ジョン・コナー)の指示により、彼女を守るために現代へやってきたこと」を告げる。

カイルを疑っていたが、やがて心を開くサラ。ターミネーターから逃れるうちに互いへの愛を抱くようになった2人は、モーテルで結ばれた。

休息も束の間、更なる追撃を受けるサラ達。ターミネーターの運転する大型タンクローリーに対し、満足な武器もなく、手製のダイナマイトでの応戦を余儀なくされるカイル。しかし、タンクローリーの隙間にダイナマイトを入れ、爆破され、ターミネーターを炎上させる事に成功する。だが、燃えたのは表面の生体細胞と服だけだった。炎上する車の残骸から、超合金製の骨格を露にした姿で立ち上がった。サラと共に近くの工場へ逃げ込んだカイルは、再びターミネーターを爆破することに成功するものの力尽き、サラも片足に重傷を負う。カイルの死を嘆くサラに、上半身だけとなってなおも迫るターミネーター。サラはターミネーターをプレス機に誘導して押し潰し、完全に破壊した。

数か月後、カイルとの子ジョンを宿したサラは、やがて訪れる「審判の日」へ向けての戦いを決意し、旅立つ。

 

 

2013 08 10 索敵攻撃力

 

 

 

 

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アフロスの神殿

2011-07-05 | 美術館

 information


Temple of Trajan at Pergamon,
in modern-day Turkey.

 

 

 

 

 シヌエッサのヴィーナス

シヌエッサのヴィーナス(Aphrodite von Sinuessa)はナポリ国立美術館(Neapel, Nationalmuseum )の収蔵品で、1911年にナポリ市の近郊で発見されました。

ミロの美神は当に神然として、神々しい造りです。そのように感じてしまうのは、端正なお顔立ちの 所為なのかも知れません。それに対して、シヌエッサの それはあまりにも生々しい。腰のボリュームはゆったりと豊かに、恥丘の露出もあいまってトルソは触れば人肌の ぬくもりに つつまれている様にもみえます。

 

 

 ペリシテ人の女神とも呼ばれる、美と豊饒の女神・アシタロテへの信仰から、見知らぬものへの肌を貢ぐ儀式が始まったともいわれる。

 

    Psyche Psyche
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Alexander Louis Leloir アレクサンドル・ルイ・ロアール

2011-07-01 | 作家の記録

 フランスの作家

Jacob Wrestling with the Angel   Alexander Louis Leloir 1865

アレクサンドル・ルイ・ロアール

Alexandre Louis Leloir

1843 314日にパリで生まれ。1884 128日に パリの17区で没した。
画家でイラストレーター。

Alexandre Louis Leloir, né à Paris le 14 mars 1843 et mort le 28 janvier 1884 dans le 17e arrondissement de Paris, peintre et illustrateur sous la signature de Louis Leloir, est le fils d'Auguste Leloir (1809-1892) et Héloïse Suzanne Colin (1820-1874), tous deux peintres reconnus.

 

 

Interlude musical

 

 

The Temptation Of Saint Anthony

 

 

 

 

わたしの里 美術館 フランスの作家
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