ウィリアム・アドルフ・ブグロー
William Adolphe Bouguereau 1825年11月30日 - 1905年8月19日
フランスの画家。ラ・ロシェルに生まれる。
19世紀フランスのアカデミズム絵画を代表する画家で、神話や天使、少女を題材とした絵画を多く残した。
日本語では 「ブーグロー」 とも表記する。
( wikipedia より抄出、画像の添付と加筆や編集をわたしの里で加えた。 )
ブグローは1825年、フランス西部の大西洋に面した港町・ラ・ロシェルに生まれた。1846年、パリへ出てエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に学ぶ。1850年にはローマ賞(新進美術家に与えられる最高の賞)を得て公費でイタリアに留学し、同地に4年間滞在した。1876年には美術アカデミー会員となり、1888年にはエコール・デ・ボザールの教授に就任している。
画風は アングル などの 新古典主義 の流れを汲む伝統的なもので、キリスト教、神話、文学などに題材をとった構想画のほか、肖像画を数多く残している。構図や技法はアカデミックなものだが、官能的な裸婦像、可憐な子どもの像、憂愁を帯びた若い女性の像などに独特の世界を築いている。甘美で耽美的な彼の画風は当時の人々の好みに合ったと見え、生前には彼の名声は非常に高かったが、20世紀以降、さまざまな絵画革新運動の勃興とともにブグローの名は次第に忘れられていった。再評価されるようになるのは20世紀末のことである。
Sainte Famille (The Holy Family)
なお、ブグローは作品には William Bouguereau と署名しているところから 「 ウィリアム 」 が普段使っていた名前と思われるが、フルネームについては William Adolphe Bouguereau とも Adolphe William Bouguereau とも綴る。
19世紀以前のフランスの画家の出世コースは、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)で学び、ローマ賞を得て公費でイタリアに留学し、サロン(官展)に毎年出品し、美術アカデミーの会員となり、エコール・デ・ボザールの教授になるというのが典型的なパターンであった。ブグローはこのような当時の画家の絵に描いたようなエリートコースを歩んだ画家であった。印象派が生まれた19世紀末のフランス画壇において中心を占めていたのは ラファエロ 、プッサンらの系譜に連なるアカデミスムの絵画であり、ブグローもその一員であった。20世紀に入り、印象派、ポスト印象派、キュビスム(立体派)などのモダニスムの台頭とともに、これに対抗する旧勢力としてのアカデミックな絵画は等閑視されるようになり、やがて美術史から忘れ去られた存在となった。しかし、20世紀末頃からアカデミスム絵画を再評価し、美術史の上で正当に位置付けようとする動きが高まり、ブグローについても再評価がなされるようになった。1984年にパリのプティ・パレ美術館で行われた回顧展以降、ブグローへの評価と関心が高まり、彼は19世紀フランスを代表する画家の一人と見なされるようになっている。
地獄のダンテとウェルギリウス (1850年)個人蔵
小川のほとり(1875年)個人蔵
ヴィーナスの誕生(1879年)オルセー美術館
バッカスの幼年時代(1884年)個人蔵
カンバセレス伯爵夫人 1895