宮崎駿監督の作品「天空の城ラピュタ」に出てくる言葉に
ラピュタを崩壊させる呪文がある。
ラピュタ語であり、「閉じよ」との意味である。
転じて、
若い衆たちの言葉ネタともなった。
やっちまった(壊した)とき、
barusuとつぶやく。
ベース ストーンとしての選挙結果と
民意を知る程度の選挙の票数。
アメリカの民主主義はたとえ、百票差で決まった大統領であっても、それは神の意志であり、全てのアメリカ国民は、それに従わなければならない。そのことを知るのが民主主義である。曖昧な現実を踏み渉るための、そのような重大な意味を成す、礎石は実践の足がかりである。
鳩山らの民主主義は、おもうに、日米安全保障条約に従属した、民意を占う鏡でしかない。日本の進むべきは、アメリカとの従属的な関係を逸脱しては、ありえない。これが戦後連綿とうち続いてきた、アメポチ自民政治のDNAである。平野官房長官の発言は、日本に取っては、幸運であった。今アメリカが崩壊の度をすすめ、日本は歴史の全面に立たざるを得ない。悲しきかな、経済は一流でも、日本政治は五流である。昭和の不平等条約。「日米安保」の制約下で、アメリカの影に脅える政治は、伸びやかに育つことは出来なかった。今アメリカは壊れつつある。金融システムが、実体経済の空洞化を覆い隠していた。リーマンショックはその欺瞞を満天下にさらした。そのようにも見えたが、日米安保で飼い慣らされた、愉快な狗様たちには、それが見えない。彼等が何処に行こうとも、米軍キャンプの高い編み目のフェンスが、常識の思考力を覆い包んでいる。ビーフジャーキーに飼い慣らされた、殿様狗の楽しい仲間達は、日本国の主体は日本人なんていう、思考回路は持ち合わせていない。
小沢一郎は朝鮮人のDNAが満艦飾なのだろう。現実の彼の行為、態度そして言説を観てとればそう認識せざるをえない。だが、鳩山由紀夫には日本人の血が流れている。恐れというものを知っているのだろう。彼の態度の不鮮明さは、言い逃れのための狡猾さが、そうさせているとの見方もある。しかしてその実体は、ソフトクリームを舐めて育んだ思考回路には、日本人の潔さの矜恃はあるのだろうか。巨額の脱税を、知らぬ存ぜぬと言い通したそのしたたかさは、やはり、日米安保の、後ろ骨が支える故なのか。戦後栄えた、組織や人間は、アメリカのくれるチョコレートやあめ玉を貰う、したたかさがあったのだろう。
松本零士(まつもと れいじ)の父は、帝国陸軍所属の飛行機乗りだったという。四式戦闘機(疾風 はやて)に乗り終戦の日まで、アメリカ軍と戦っていた。終戦の後、敵国の飛行機にのることを、潔しとはしない矜恃は、帝國陸軍の元少佐を野菜の引き売りにさせた。その誇り高いおやじを見て育った、晟(あきら)少年は、長じて「宇宙戦艦ヤマト」を世に出すこととなる。我が郷ではこの快挙が、我が自衛隊とその周辺に、武士の魂を注入したものと、考えている。今や我邦の一般戦闘力の精度は世界一である。刀鎗の切っ先部位は殆どが、日本国産であり、区体もパテントは米穀産だが、実際の製作は日本人が日本の機械で作っている。
いま全米は言うに及ばず、世界中で『アバター』が大ヒットだという。売らんかなの、過大なフレームアップは差し引いても、ひとつのブームが起きているのは間違いない。あの蒼い貌がキモっと謂うのが、日本人の偽らざる感性とは思うが、見てみようかとも思う。なんでも、読売新聞の映画評に因れば、唯一絶対神の否定、アメリカ海兵隊を拒絶するメッセージが込められているのだそうな。すったもんだで、大きくなるのはヤクザの喧嘩と、おっぱいなのだそうが、アメリカ映画の営業宣伝には、対立軸を無理にでも絡ませて、注目を惹きつけるという、卑猥な手法がある。それはそれで、海の外のよその国のこと、文化の違いは認めねばならぬ。
鬆の空いた大根はとても不味くて食えたものではない。ボケナスも同じこと、捨てるしかない。日本の戦後復興が頂点に迫り、アメリカの自動車産業をも脅かしはじめた頃。アメリカは日本の産業の指揮を執る、産業資本の強大さを見た。そしてユダヤが金融戦争を決意したときから、米英経済の崩壊は運命づけられていた。
顔が青いのは医学的に解明すれば、血流の途絶が進んできた証左であり、実物経済の血を吸い取ったドラキュラ伯爵を打ち殺す必要がある。
キャメロン監督は『映画は、神と世界が同一という汎神論的な考えに共鳴する』との呪文を唱えることで、カトリック教会からの批判の炎に油を注ぐ。
20世紀の偉大なフランス哲学者サルトルは、無数の神を信ずる東洋の思想を理解せんとした。東洋の『無』を解明せんとした彼はついには、その無をつかまえたと思ったのだろうが、それを眺めている、おのれを無にすることは出来なかった。西欧の絶対一神教に、まみれた脳髄では、まったきの虚無の世界は、見ることはあたわないようだ。サルトルも東洋的な無を、そのままでは理解出来ていない。キリスト教的な自我の浸出すべき、うつろな空間としてしか理解出来ていない。彼等にとって一神教の絶対神は骨がらみであり、思考回路がその様に出来ているので、まったきの虚無は関知できないのだろう。
平野官房長官の頭の中にも、絶対に背いてはならない、神が棲んでいる。日米安保の大命題は彼には解けない、謎である。神はあがめるものであり、疑ってはならぬ。その頑迷な信仰心が、日本国の万余にあまる神々の心を刮目させてしまった。これから風が吹く。工事現場のブルーシートは、千切れ、飛ぶ。彼等の偶像は一敗地にまみれ、神々の怒りが収まる方策を探して、心を砕くしかない。
空しい愛のことばが、うつろに響く、日本国の神輿はあまりにも軽い。存在感がまるでない。これこそが東洋の無の境地なのか。こころをからにして、大和の神々の仰せのままに、担がれて行く事が極意ではあろう。あと三年余、秋津島の風に舞い続ければ、彼は後の世に大宰相として、神格を得る。滅びのことばは言ってはならぬ。
天空の城ラピタでは、ついには人ひとりないラピタが、虚空のはてに消えあがってゆく。禅でいうところの、虚の世界がそこにはあるのか。
日米安保は日本の滅びの言葉。
何度でも、誰でも、何処でも、呆れるほどに謂う。
60年安保で、樺美智子女史を犠牲にささげて、改定を実現した。
日本国とその国民を、威圧するアメリカ占領軍を、平和の使徒と言いくるめる『呪文』
安保堅持は、日本国の矜恃を壊す、滅びの言葉である。
アメリカというエリコの町の神殿娼婦が、信じる宗教がANPO。
古代に作られたとされる、神話や聖書には、名誉とかのノーブルな概念のほかに、物欲や自己顕示欲など、あるいは色情への言い訳などがちりばめられている。レズビアンは高名な女詩人の属性として語られ、背景に押しやられる。地中海周辺で発生した、絶対神宗教は、全ての人間の欲望を、神格の絶対化のために動員する。性欲もそのために使われた時代がある。よく売春が世界最古の職業といわれる。ペリシテ人の女神とも呼ばれる、美と豊饒の女神・アシタロテへの信仰から、見知らぬものへの肌を貢ぐ儀式が始まったともいわれる。慈善としての性交は、神への奉仕であり、一種の義務でもあったとのこと。処女の Deflorationはある宗教では、成人女性になるための、不可欠の通過儀式でもあった。軽蔑の対象ではあるはずもなく、その行為は神への供物であるから、神聖な儀式を司る巫女、としての性格を持たされていた。ヒエロドゥロスとギリシャ人に呼び習わされた、シュメールの神殿娼婦は、職能化されており、性技に熟達していたと描かれている。神殿の巫女は神の使いであり、そのことは、神からの祝福の恩寵の実現であった。この様な貞節への冒涜は、キリスト教の時代では、払拭されていたのだろう。マグダラのマリアは、イエスの死と復活を見届けた、証人であり聖人に列せられている。聖書には売春婦との記述は無い。アメリカの加護を信ずる、政府要人や役人は、ANPO神殿の謂わば、性根が女のミディアム(霊能者=medium)なのか。
メディア(media)は英語のミディアム(medium)の複数形メディア(media)からきており、一般に「中間」「媒体」「媒介物」「手法」を表します。英語で「マスコミュニケーションの媒体」の意味であるマスメディア(massmedia)を略してメディアといい、カタカナ語でもマスメディアは新聞・テレビ・ラジオやインターネットなどの情報媒体のことです。また、情報を保存する媒体のこともメディアといいます。
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アクセスの記録 2010.01.31 (日) 1259 PV 331 IP 2915 位 / 1359878ブログ