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投げかけ、受け取る

2014-02-10 17:01:04 | 日々を歩む
こちら側から投げかけた言葉
自分としては労りの気持ちがあったり、心配の気持ちがあったり。
「自分としては」である。

どんなに自分が優しさを持って表した言葉であっても、
相手の受け取り方次第によって180度変わってしまう。

「自分がどう思っているかよりも
相手がどう捉えたか」

その答えはもっともだ。

受け取る側のことを少し思う。
相手との関係性によっても変わってくるだろう。
信頼のおける友人に少しきついことを指摘されても、
「そのとおりだ」と真摯に受け止めやすいだろう。
さほど親しくもない知人程度の人に同じことを言われると、
「よくわかってもいないで何言ってるの?」と不快な感情が生まれることがある。
発信する側と受け取る側の関係性によって、言葉の重さや中身が少し変わる。

受け取る側の心理状態も大きい。
元気で楽しい日々を過ごしているときには、
少々イヤな言葉を言われても受け流す余裕もあるだろう。
しかし、仕事がうまくいっていないとき、面接不合格で落ち込んでいるとき。
そんなときにイヤな言葉を投げかけられると、イヤなかんじが何倍にも膨らむ。
落ち込んでいるときには、プラスなことを言われてもプラスにとれないときもあるぐらいだ。
マイナスなことを言われてしまうと、その振れ幅は人によってはとても大きくなる。


ちなみに、言葉でのミスコミュニケーションが年明けから立て続けに自分に起こった。
原因はもちろん自分にある。
自分が変えていかなければいけない部分がある。


メールなど言葉だけのやり取りだと、そういったミスコミュニケーションは少なからず起きるものだろう。
「だからしょうがないよ」と、踏ん反り返るわけではない。
言葉を選び、その言葉を選んだ意図も伝える。
それも必要だ。
言葉を選び考える。
だが、考えすぎてもいいものだろうか。
そこには疑問を感じる。
考えて考え込んでしまうと、何を発信するのも躊躇いが出るように思う。
ブログなど、そもそも自分の言いたいことを言わないとそれをしている意味がない。
情報を発信した人への、言葉を返すことにも少し同じように感じる。

みんなそれぞれ捉え方が違う。
それを大前提として情報を発信し受け取る


称賛もあれば、心に突き刺さるような言葉も言われる。
みんな思うことは一緒ではない。
当たり前だけど。
そしてその部分でのやり取りは側面でしかない。
その言葉だけがすべてではない。


自分が起こした言葉で人を傷つけたことを自己弁護をするつもりはない。
お互いの気持ちや考えを発信できることは素晴らしいことだと思う。
委縮するつもりもないし、やめるつもりもない。
もちろん配慮は必要だ。
たが、ありのままでいたい。
考えて考えて、いつの間にか言いたいことを言っていない。
そんなことはまっぴらごめんだ。


これをつづり、現段階で見えたものは
「ありのままの自分の思考を変えていくこと」