空観方程式

「色」と「空」の一体化によって可視化され、相互作用で共感・共鳴が生じ、新たなる思いや生命力が実体化される。

差別の禁止と表現の自由について

2022年12月09日 | 読書・TV感想
信仰上の理由により、同性婚からの
ウェブサイト業務依頼を拒絶することは、
表現の自由を保証した憲法により
認められるべきと、
米国連邦最高裁判所での審議が報道されている。

差別の禁止は表現の自由を侵害しているとの
訴えである。




所で、我が国の仏教において
「人間が見る全てが実体のないものだから執着しない」
という「空」の概念から導かれる自由の
制限がある。
白紙の表と裏とにこだわることに意味がないと同様、
分別・差別することに意味がないというものだ。
ここに、人間の自由と「空」のスタンスとの
関係がある。
苦悩の原因となるものには執着しない。
分別は苦の原因であって、そこから争いが生じる。

執着しないという禁止の要素を設定し、
そこを乗り越えていくという意識に
意味を持たせている。


さて、人間の自由には
迷いながら生きるという自由も含まれる。
「こうであるべきだ」という行動の制限ではなく
むしろ苦悩しながら生きることも自由の領域だ。
要は権威・全体主義からの回避でもある。
苦難から逃れるために、権威主義体制へと
進んだ国家の歴史もあるからだ。
 
自由を拠り所とするこの様なスタンスにおいては、
どこまでが制限される生き方なのかは一律でない。
分別・差別とは折り合いながら協調し進めてゆく、
いわばケースバイケースの状態だ。
これはちょうど
米国の連邦最高裁判所のように、
ケースバイケースで審議する形に近いように
思われる。

一方の、「空の因縁・因果」思想では、
「すべての結果の責任は自分にある」とされる。
解決法は各個人の任せられているところに
多様性が確保されているように思う。そこから
自分に向き合うことが
般若心経の精神ということになる所以だ。



差別の禁止と表現の自由がそれぞれ
個別的であったり、一律均等化ではなく、
双方が一体化したことで、
米国では人種を考慮した大学入試選考
アファーマティブアクション
(積極的差別是正措置)と呼ばれる制度が
新たに誕生している。
差別と自由の折り合いをつけようとするものだ。
こうして大学入試における人種差別の是非も、
職場や雇用でのLGBTQによる差別是非も、
あるいは人工中絶の自由についても、
それぞれの多様性において、
時代の趨勢や民意でのケースバイケースで
進めてゆく状態か生まれている。。



差別の禁止と表現の自由は、
生と死同様に、矛盾をはらんだ姿であるが、
共存して平衡する、
これがいわば国が異なる状態でも
本当の姿ではないか。
能力があればこれを乗り越え、
そうでなければ一律に制限するのではなく、
生命のように折り合いながら生きる。



「動的平衡」から構想する“能動的破壊”で生まれる組織の持続性
生きるために、壊し続ける38億年続く生命の営みに見る持続性
福島伸一参照






参考:



  
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