空観方程式

「色」と「空」の一体化によって可視化され、相互作用で共感・共鳴が生じ、新たなる思いや生命力が実体化される。

渋野日向子プロの全英オープン優勝

2019年08月05日 | スクラップブック
祝:渋野日向子プロの全英オープン優勝
笑顔は「私は今何をしているのか?」にもっぱら注意を向けさせる。
喜怒哀楽ではなく、現実をあるがままに「感じる」ことである。
即ち一打一打に集中して、ただそれだけを積み重ねることができる。
一つ一つのプレーに一喜一憂しないことだ。



優勝したいという渇愛の火を完全に消してしまえば、
それに代わって完全な満足と平穏の状態が訪れる。
まさにゴータマ(仏教)の悟りだった。

 
スマイルこそは最高、最強の武器である。(「ゴルフPRESS」舩越園子 = 文) 



付録:あとがき
最終日 共に首位タイの18番ホール

米国サラス選手はこの距離であれば確実に決められていたので、この一打
バーディパット決めれば優勝だ!と思ってパット。(集中力を欠いたままのパット) 


渋野選手は強く打って1打で決めるか、オーバーして3打となるのか、の決断中。
(笑顔を交えて)どのようなパット「今、何をするか?」に集中にしていた。


笑顔の効用について:
結果はサラス選手パー、渋野選手は6mのバーディパット決めて優勝。
強い意識によって一喜一憂を表情に出さないでいると、最後のクライマックス場面に
優勝したい!の渇愛がプレーに顕現してしまう。サラス選手(想像)
いうなれば、目的と手段が混在してしまった状態での一打であった。

最終ホールの渋野選手はサラス選手と同じバーディパット決めれば優勝となったが、
渋野選手は最後のパットを「今、どう打つのか?」の手段に集中した上で強打した。
強い意識によって喜怒哀楽を封印するのではなく、まさに笑顔によって喜怒哀楽を、
渇愛である一喜一憂の顕現を封じ込め、かえってプレーに集中できた。
コメント

虚と実の二元論と「ミアレ」の原理

2019年08月05日 | 読書・TV感想
中沢新一著「アースダイバー 東京の聖地」2017より

明治神宮は、代々木の内苑と青山にある外苑と
二つの部分で成り立っている。
伊勢神宮も、
内宮と外宮という二つの宮で成り立っている。
二つの神社はシンメトリーをなしている。

さまざまな集団が移り住んで、より大きな集団を
形成していくときの知恵である。
「違いを呑み込んだ同一性」をつくるための、
じつに巧妙な原理なのだ。



ところが明治神宮に現れている二元論は、
伊勢神宮とは違う本質を持った二元論なのである。
それは「二重構造のうちにあらわれている霊力」である。

明治神宮の代々木内苑は内側に閉じこもる「隠す」考えで、
青山の外苑は自分を「開こう」としている。
異質な空間が南北の二本の連絡通路でつながれていて、
矛盾したものを統合する原理でできている。
人間の心の自然体の構造を、そのまま表現している。



世界がどのようにして生まれてくるのかをめぐって、
日本人が抱いてきた無意識の思想にほかならない。
内苑と外苑の二重構造のうちにあらわれているものは、
「ミアレ」の原理と呼ばれ、物事の生成をあらわす、
きわめて古い日本語である。

創造の原理としての「ミアレ」
世界の本質は、その閉ざされた見えない空間から、
存在の世界に向かって、神々はあらわれ出ようとする。
そのとき、聖なる力のミアレが起こるのである。

卵のように外から閉ざされた空間の中に、霊力は隠れている。
その力が現実世界に向かって、自分を開いていく。
そのとき現実世界のただ中に、神的な力が純粋に戯れているような
特別な場所がつくりだされる。神の「ニワ(斎場)」と呼んだ。
閉じ込められていた霊力が、ミアレをつうじて、神のニワに顕現し、
遊び戯れるのだ。
内苑と外苑の二元論は、ミアレの原理が、近代的な装いをして復活を
とげている。ニワである明治神宮外苑には、ミアレの原理を復活させて
絵画館や競技場が作られた。

内苑の幽から外苑の顕へ。
隠された状態から顕現された状態へ。
神話から歴史へ。
このミアレの構造を空間で表現したのが、明治神宮の二元論である。
内苑の幽(かくれ)の空間と、外苑に実現された顕の空間は、
はじめから一体でなければならない。
外苑なしの内苑も、内苑なしの外苑も考えられない。

幽から顕へというミアレの原理は、
前方後円墳の継承儀礼の例にも存在する。
霊界に隠れてしまった霊が、
四角い土檀の上で新天皇の登場が演出された、と
考古学者は考えている。



感想:
ミアレの原理は「創造の原理」にほかならない。
「閉ざされた見えない空間から、存在の世界に向かって、
あらわれ出ようとする」とある。
そのとき、聖なる力のミアレが起こるのである。
その力が現実世界に向かって、自分を開いていく。

空観方程式においての二元論も、虚と実の関係にあって、
虚である複素空間は意識の空間として、
「閉ざされた空間の中に隠された状態にある」
シュレーディンガーの猫の様なフタ付きの箱の中にある。
箱のフタを開けない限り、複数の状態を同時に持っている。
そこでの相互作用の力によって、現実の実空間へ、
いわば存在の世界に向かって、顕現する。

即ちそこでの複素空間と実空間と同様の関係を言い表す
「ミアレ」の原理は、古来からの日本にあった
意識としての概念であり、精神文化として存在していた
とは、まさしく驚きを禁じ得ない。

そもそも複素空間と実空間の関係は、次のような意識化である。
自分の意味を自分で見つけ、
自らを信じ、自らを頼りにして生きる。
法を頼り、自分の次元で自分を考えることだ。
これがブッタの二元論(自灯明・法灯明)

そこで
複素空間と実空間の二元の関係を中沢風に言えば、
虚空観と実空観が作用する力は、ミアレの力と同様に
「卵のように外から閉ざされた空間の中に隠れている。
その力が現実世界に向かって、自分を開いていく。」
この虚空観と実空観の構造を空間で表現したのが、
複素空間であり、まさしく言い得て妙!である。
その意識概念が虚空間と実空間との二元論となっている。

複素空間の意識は箱の中にある。
喜怒哀楽、悩める空間の世界である。
自と他、いきさつとこだわり、渇愛とあるがまま、
虚空観と実空観とが相互作用を起こして合成され、
現実世界に向かって出てゆく。(ミアレの力)

複素空間と実空間の二元関係は、意識と無意識の二元論ではなく、
正と負の意識と、(エネルギーや確率のように)正だけの意識との関係だ。
目的と手段の関係に近い。渇愛と同様に目的と手段が混在するから
苦の原因となる。
目的は箱の中で相互作用させることで、手段とは混在することがない。
いわば隠された状態から顕現された状態への意識化。
「虚である複素空間と、二乗することで実現された(ミアレの力)、
実体でのエネルギー実空間は、はじめから一体でなければならない。」


   内苑       外苑
  目的の設定     手段
 正と負の意識    正だけの意識
 
コメント