空観方程式

「色」での重ね合わせによる相互作用で共感・共鳴が生じ、「空」としてのエネルギーで新たなる生命力の姿が実体化される。

アリとアブラムシの関係は

2025年02月18日 | 読書・TV感想
量子力学的な粒子は、複数の状態を同時に取ることができて、
それによって新たに変化が生まれてくる関係性がある。
量子スピンでの重ね合わせ状態は、
古典的な物理学では考えられない現象だ。

一方、虚数は仮想概念の数字だ。
それを使う方程式の解は二つ存在する。
それによる量子の重ね合わせは、
複素数を用いることでより表現できる。即ち
粒子が複数の状態を同時に存在できる「重ね合わせ」の状態を表現する。

虚数を使った波動方程式の象徴的な例は
シュレディンガー方程式と呼ばれる。

ここではこの方程式の形をヒントにして、人間の
集団社会における問題点について考えてみる。

上記方程式の姿としては
虚数=実数という形になっている点に注目する。
ガウスが考案した空間を数学では複素平面と呼ぶ。
この直交軸の空間でも虚数軸と実数軸は全く同等である。
加算はベクトル(強度)での合成を示し、
掛け算はベクトルの回転を示すようになる。

応用面では例えばハーモニーと呼ばれる
二つの波(音声)のずれ具合(位相差)や
電気回路の周波数(交流回路)によって影響受をける
電気抵抗の扱いが便利になる。

虚数を使うことで(複素平面を使うことで)
数学で表現される領域が格段に拡大する。


量子の重ね合わせと同様に
複数の状態を同時に存在しうるという概念、
虚と実のように、対向した状態がお互い一緒になっても
状態は無とはならない。

簡単な例で示せば、
実空間では2と-2を一体化(合算)すれば
(例えば家計簿で収入と支出の合算の場合)
ゼロとなってしまうが、
複素平面では2と-2iを一体化(合算)しても
ベクトル合成の様になり、ゼロにはならない。
要は収入と支出(つけ)とを合算しても
ゼロにならないようなものだ。
つまり仮の状態(仮想空間)を保持して考慮できる。



このような考え方を(妄想的に)発展させると、
表と裏の重ね合わせによってベクトル合成では紙が生まれる。
表ばかりの紙や、裏ばかりの紙は存在しない。
売りよし買いよしその重ね合わせ(ベクトル合成)はゼロではなく、
世間よしといわれる信用が新たに生まれる。
従って、ゼロとはならないことで新たに存在しているものを
そのまま実世界に適応することができる。



虚数と実数の重ね合わせで虚往実帰の意識が芽生える。
同様の関係で複素平面で示すような
共役の関係性からでも新たな観点が発見される。



得した損したとの重ね合わせでゼロではなく、
生きてるだけで丸儲けという意識が生まれる。

成功と失敗の重ね合わせで、成功とは、
失敗した時から始まると気が付いた人が成功する人となる。

良いことと悪いこととの重ね合わせで、
良いことだと思った人にだけ良いことが起きる。
なぜなら
良いことだと思わない人は良いことだと気が付かないからだ。
幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになる。

良い日と悪い日の重ね合わせで、
どうすれば良い日にできるかの意識(日日是好日)が生まれる。
「毎日がいい日ではないかもしれないが、いいことは毎日ある」
“Every day may not be good but there's something good in every day.”
アリス・モース・アール(アメリカの作家)

必然と偶然の重ね合わせで
運命・宿命の意識が生まれる。

分解と合成で生命が生まれ、命がつながる動的平衡。



さらなる拡大により、たとえ対向の関係でなくても
同様にして(重ね合わせによる境界の希薄化で)
新たな関係が生まれる。

桜と散ることの一体化(重ね合わせ)で、潔さや美しさが伝わる。

ヒトと感謝の重ね合わせで人間が生まれる
感謝すると感謝される、それによってはじめて人間として成長する

正しい(仮想)と本当(現実)の重ね合わせで正義が生まれる
正しいだけでは正義にならない。

時間と平等の重ね合わせで結果が生まれるが、結果の内容は平等ではない。

過去と結果の重ね合わせで過去は変えられないが、
今の行動で未来は変えられる。

自分と他人の重ね合わせで人間関係が生まれるが、
自分の行動は自分で決められるが、相手の行動は自分では決められない。
イライラしないためには
相手が変わることを期待することではなく、自分自身が変わることなのだ。

茶道での火おこしにおいて、
炭の「移ろい」と「ゆらぎ」の重ね合わせにより、
人生のごとく「変わりゆくさま」が表現されていて心が動かされる。

ハッピーとアンハッピーとの重ね合わせで、
ハッピーでなければいけないと思っている限り、ハッピーになれない。
山や谷を越えることの様にハッピーを目指せることがハッピーなのだ。




ところで
人間社会の場合には、共棲的隷属性によって、
孤独ではないことを実感できる。
即ち
孤独ストレスと胎内回帰願望の重ね合わせで意識の集中や、
共棲(未完の感情の終息)に引き寄せられる。
しかし
相互依存関係と共棲的隷属の重ね合わせによっては、
柔軟性の欠如あるいは腐敗が起きる。
共生と隷属の重ね合わせで生まれる概念:大企業と下請けの関係などや
全体主義国家の出現・形態まである。
直近ではフジテレビの状況などが当てはまる。
即ち
アリとアブラムシの重ね合わせと同様の共棲的隷属の姿が見えてくる。




孤独と権威あるいは
貧困と権威の重ね合わせによって、
生まれながらに持っている共同体への願望。
即ち胎内回帰願望に引き寄せられ、尚且つ未完の感情の終息にもつながる。

孤独や貧困が権威と共役の関係であることを知ることで問題解決につながる。
即ち
人は生まれながらにして一人では生きられないことをインプットされている。
問題なのは人は自ら(扁桃体思考のままでは)権威に服従を求めてゆく。
貧困と権威、孤独と権威は共役の関係が強まり、
重ね合わせによって共棲的隷属性が生まれる。
従い
貧困とか孤独に対しては生存における危機管理器官である
扁桃体思考だけでは正に危険であり、前頭葉思考の関与が必要だ。




















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人と感謝の重ね合わせによって人間になる

2025年02月01日 | 読書・TV感想
「ヒト」+「感謝」=「人間」
「感謝する、感謝される」ことのおもしろさに気がついた「ヒト」が「人間」らしいのです。
「人の間で喜ばれる存在になること」「『ありがとう』と言われる存在になること」
「喜ばれる存在」になる。これこそが「人生の目的」であり、「幸せの本質」なのです。
作家;小林 正観
ライフスタイルありがとうの魔法──神様が味方になる習慣 2025.1.23  diamond onlineより

同様に
偶然と幸運の重ね合わせから成功が生まれる。
ところで成功は失敗があるから成功も生まれるのであり、
要は、失敗は成功の基といわれ、
失敗ではダメなことが分かって、ある意味大成功なのだ。
従って失敗と成功の境界は希薄である。

失敗(悲観)は扁桃体思考で成功(楽観)は前頭葉思考といわれ、
前頭前野を鍛えれば鍛えるほど、成功と失敗の境界は消える。
即ち分解される。

そもそも
生命は壊すこと(分解)から始まった。福岡伸一教授
自ら壊して再構築する動的平衡のシステムだ。
生命にとって重要なのは、作ることよりも壊すこと(失敗)だ。
従って結論は
人と感謝の重ね合わせ(Super Position)から、
新たな人間が生まれる。
重ね合わせによって対立の境界を壊す(分解する)こと、
即ち「重ね合わせから、新しい変化が生まれる」
である。要は成功とは、
失敗した時から始まると気が付いた人が成功する人だ。















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ハッピーを捨てることでハッピーになる

2025年01月21日 | 読書・TV感想
「色」とは常に変化していること 諸行無常の理により、
生き延びるには新たなる秩序や創造・改革改良が必要だ。
ネガティブをポジティブに変化させる力、パワーが必要だ。
生きるために対立ではなく壊すという思考・意識である。
光か?影か?という対立はなくして、光と影の重ね合わせだ。
例えば壊すことで生命を維持する動的平衡。
試行錯誤であり、捨てることを先回りさせることでの
解体と構築との繰り返しによる、新たな生命秩序を生み出す点だ。
そのプロセスが「空」と呼ばれる。
右か左か、勝ちか負けか、早いか遅いか、
正しいか正しくないか、できるかできないかではなく、
それらの重ね合わせを優先させて変化を生み出す。
そのプロセスが「空」である。



ハピーを捨てることでハッピーになる

ハッピーは比べるものだから
だから「色」の世界における幸福の追求は
ハッピーか?ハッピーでないか?となる。

しかしハッピーは諸行無常の象徴のようなもの。
常に変化するものであって、
それを求めると、そこにはもはや存在しないことになる。
だからそれを捨てて(対立よりは重ね合わせ)、
実在するプロセス「空」を求めている時がハッピーといえる。
具体的には、自分が夢中になっていることや、
自分にとって大きな意味があることを追求し、それに携わることだ。

ハッピーか?ハッピーでないか?
それを捨てる(その境界を無くす)ことでハッピーとなる

幸福感よりも充足感
即ち
携われているという感情・意識

失望や悲しみ、喪失感、怒り等は
幸福にとって障壁、障害であるが
携わるにおいては通常のプロセスだから
ありのままだから

「ありのままになる」ことは
既にありのままではない状態だ
だから
ありのままになることを捨てることで
ありのままの状態となる。
要は(比較・対立よりは重ね合わせ)
双方の存在を認めて
こだわらないということだ

つまりプロセスであれば、
喜びや高揚感から、倦怠感や失望、悲しみ、恐れ、不安、
さらには気まずい、恥ずかしいという思いまで、
さまざまな感情を受け入れやすくなる。


参考1:
人間の行動に詳しいPatrick Wanis博士
「幸福感」を追い求めていると、今ここにはないものだとわかってくる。
臨床心理学者のJennifer Barbera博士
「充足感」とは、
特定のひとつの目標を達成することによってではなく、
「価値ある人生を生きる過程」で得られるものだ。
携わることの意識



参考2:
自分と友とがお互いに”夢”を追い求めている、
今生きているその過程に充足感を感じる歌。
 愛子親王殿下

「友と自分、静と動、過去と未来」
そこでの重ね合わせから、
生きている過程での想にエネルギーが伝わってくる。













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自分がどうなりたいのか

2025年01月02日 | 読書・TV感想
般若心経における色と空の関係は
現実実体と実体のない虚構の様な関係性としていた。
具体的には物と心や生と死との関係の様に、
色と空は同一な状態であって、
現実であっても常に変化して、
この世の全ては実体のないものとして捉えることで
苦から解放される。という捉え方であった。

しかし元に戻って考え直してみたら、
色と空との一体化ではなく、色の中での一体化から
空が生まれて姿を現すとなった。

色という実体の中で繰り返され、作用し合って関係づけられる世界観の中で
一体化(重ね合わせや仮想現実)により、神聖な本当の姿が現れる。
そこから自分にとって本当に大事なものが見えてくるのであって、
そのプロセスが空と表現されている。

色という実体の中で繰り返され、作用し合って関係づけられる世界とは
例えば
損した得した、勝った負けた、できるかできないのか、正しいか正しくないのか、
といった様々な二元の関係の中で、常に繰り返される現実の実体であって、
それら双方の存在を否定することなく受け入れ、比較・対立ではなく
そこから一体化(重ね合わせや仮想現実)での相互作用により本当の自分が生まれてくる。
そのような作用や関係性、あるいはプロセスが空である。
具体的には分解と合成といった動的平衡状態から持続性生命の実体が生まれて来る様に。
即ち、分解を合成よりも先回りさせることだ。
比較や対立より重ね合わせ(境界を無くす・価値を捨てる)を先回りさせることだ。

従って、関係性の中で
一方のみにこだわり、執着したり、取りつかれたりしてしまえば
本当の姿は現れてこないことになる。
追求すればする程、否定や排除が続き一極集中状態となって、
気が付かないままで一生を終えてしまう。
執着しないということは、しないという状態に執着していることだ。

だから一体化させるということはそういう関係を捨てることであって、
そこから新しい姿としてあらわれてくる。
色と空の関係は、簡単に言えば、捨てることで得られる関係である。
幸せになることを捨てることで幸せになる。
あるがままにという状態は、あるがままになるというこだわりであって、
本当のあるがままではない。
あるがままになることを捨てた状態が本当のあるがままの状態だ。



大谷翔平選手は
最強のプレーを求めて渡米した。しかし
強いだけでは一流ではなかった。二刀流をやるだけではチーム全体に届かない。
自分はどういう人間になりたいのかと共に、そのことと一体化させることで
何をすべきかという本当の姿を見出した。
勝ち負けよりも、どんなにささいなプレーでも全力を出し切る。
その姿がチームに伝わる。そのことを先回りさせることだ。
それによって自分の回りにあったネガティブのものをポジティブに変えられた。
要はささいなプレーで全力を出すためには、自分は何をすべきかである。
2024年はそれを実感し体感した年でもあった。
NHKスペシャルより




二刀流をやれば注目を浴びてネガティブをポジティブに変えられるか?
ホームラン王になれば、MVPを獲得すればネガティブをポジティブに変えられるか?
ホームラン王やどんな人間かになるのか、(それらを捨てて)
そうではなくて
利己的なことよりも利他的なことを先回りさせる事であって、
現実にはどんな些細なプレーでも全力を尽くすことで、
それがチームに伝わりチームの心が動かされて
初めてネガティブをポジティブに変えられることが実証されたことだった。












NHKスペシャルより




















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日本人の能動的観念

2024年12月09日 | 読書・TV感想
日本人の能動的観念
自然を見て感じる(観じる)心(意識)

英語にはない固有名詞
楽しみや状態を示す抽象名詞

侘び寂び
こもれび
恩義
もったいない
いただきます

能動的に信じるとは
自分で見て観じて心の整理ができて、尚且つ共感される状態
恩義:恩から受けたり感じたりした義務感や責任感に報いるために努力する
ボランティアとは無償の奉仕であり異なる概念。自分のためでもある。

受動的に信じる(信仰)とは
先人の教えを聞くことで覚えて、それを信じ尚且つ従う
代表的なものが宗教
子供が言葉や善悪、物語を教えてもらうように。

人間は
心(意識)によって行動するので違いによる影響は絶大である。

もし受動的な意識が支配的であるならば、
損得や安全か危険かを教えられた通りに、あるいは
他のものに委ねることで(その時の状況によって)行動する。
むしろ損得だけで決めてしまう状況となる。一極集中型
即ち、扁桃体思考と呼ばれるものだ。
善か悪か、正しいか正しくないか、強いか弱いかだけで決めてしまう。
勝ちか負けかしかない状態だからとことん戦う状態が続く。

日本人は勝つとは、負ける人がいるからだと優先的に考えられる。
負けた人の気持ちになって考えられる。
自分の成功は自分の力だけでなく周りの人の支えがあったからだと考える。
前頭葉思考
そこから壊すことで活かす(動的平衡)意識に抵抗がない。試行錯誤型
例えば生き延びるために壊すという変化、分解と合成の共存のような場合だ。
それは生命の持続性に通じる物理的なシステムだ。同時に人間の意識に於いても
そうした一体化による変化が求められているのではないか。

諸行無常と諸法無我という思想を古来より継続させてきた。
何かを「信じる」より他者を「尊敬する」
そこでこだわらないという心の持ち方と
そこに通じる生き方についても迫ってみようと思う。



日本は自国文化を尊重しつつ
他国の影響を取り入れる柔軟な社会である。
象徴的には神道の中に仏教を取り入れて独自のものにした。
カレーライスを取り入れ、それにとんかつを加えてカツカレーにした。
クリスマスを祝った数日後、神社仏閣に初もうでをする。

構築と解体を共存させる意識も同様に違和感がない。
我が国では古くから「無常」という言葉で継承されてきた。
常に変化する状況にあり、失敗は成功の基、捨てることで得られる:
親鸞のいう「無義(分解)の義(合成)」である。
また西行も言う、「身を捨ててこそ(分解)身をも助けめ(合成)」

分解と合成が対立するものではなく、互いに補完し合いながら
新たな価値を生み出すプロセスであることを示している。例えば

ハッピーになることを捨てることでハッピーになる
死を覚悟(分解)するとは、全力で生きようとする(合成)こと。
夜は寝るため(分解)にあり、朝はもう一度生きる(合成)ためにある。
あるがままを捨ててこそ(分解)あるがままとなる。(合成)
華道:華をたむけ(分解)、そして活ける(合成)
鈴木大拙:無分別(分解)の分別(合成)

人間の進化によって獲得した分別によって生じた苦悩や悲しみに対し、
そこを乗り越えるための必要なものであって、いわば想像上の秩序である。
特に、生と死の二項対立は人間にとって避けることのできない状態だ。
片方のみにこだわれば新たな状態は出現してこない。
いつまでたっても解決することができないので苦難の道を歩み破綻する。
例えば闇のみにこだわってしまうと、どうせ死ぬのに人間はなぜ生きるのか?
から抜け出せなくなり、物語が生まれずに苦難の道が続いてしまう
「こうでなければならぬ」「こうすべきだ」を捨ててこそ、
「こういう世界だからこそ生きていられる」が生まれてくる。
要は
何が正しいのか(扁桃体思考)よりは何が本当か(前頭葉思考)だ。
だから何が正しいのかを追求するより、状況をそのままにした
曖昧・中庸の状態で発酵させる方が、むしろ解決に近づくとの考えだ。
仏教では諸法無我といい、繰り返しであって永遠不滅なものはないと教えるが、
神道で唱えられる先祖崇拝として死後の魂を敬う考え方と共存できる。
囚われや計らいは捨て、回り舞台の風景によって象徴や祈りの対象として
「できる時であればできるように、できないときはそのままで」
人の命は定められたもの。それにあらがってどうする。あまんじて受け入れ、
好きなように生きる。(できる時はできるように)
即ち「分解を合成より少しだけ先回りさせる」生き方だ。

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正しさや快適な環境は幸福と関係しない

2024年09月02日 | 読書・TV感想
動物学者ジョン・B・カルフーンの行った実験「ユニバース25」は、
ネズミに好きなだけの餌と水を与え、快適な環境で育てたら
どういう社会をつくるか? という実験だった。(1968~)

JBカルフーン博士の実験
Universe25
 
私たちの生活は衣食住が保証され、
至る所にコンビニとスーパーがあり、
冷暖房は完備され、非常に快適だ。
ネズミたちにも同様に非常に快適な環境が用意された。
ネズミにとってのパラダイスが実験施設ユニバース25だった。

 しかし実験はおよそ人間の想像を超える経過と結末を迎えた。
パラダイスのはずのユニバース25で、すべてのネズミが殺し合い、
やがて子供を産まなくなり、全滅したのだ。
同じ実験を25回繰り返しても結果は同じであった。




ネズミの実験は、いくら正しくて快適な空間であっても、
移動しなければ(閉鎖空間内では)変化が生まれない。
その結果、絶滅を迎えるというものだ。

人類はアフリカ大陸から各地に移動することで
進化を繰り返した。
特にホモ・サピエンスは
国家や貨幣、神という虚構を共有する能力を
(突然変異という)進化によって獲得したことが
大きく寄与したとされる。
例えば
守護神の共有によって大集団での役割分担が可能となり
一体感の共有によって、適材適所による効率的な
組織運営が可能となったとされることだ。
やがて
ホモ・サピエンスが地球上で最強の生き物となり、
ネアンデルタールをはじめとする多くの種族は
途絶えてしまうこととなった。




進化は環境の変化によって育まれる。
生き延びるには
新たなる秩序や創造・改革改良が必要なのだ。
「同じところに居続けたのでは争いや育児放棄によって
ネズミ同様の結果、絶滅を迎える」のではないか?

人間の意識も同様であって、
双方が正しいとする一極集中のような
いつまでも同じ意識のままでは、
虚構の共有に齟齬が生まれ、争いが生まれる。
例えば保守とリベラルの対立のように。
一人で生きるのであれば争いは生まれないが、
問題は多くの人間が共助・役割分担による
集団社会の中で生きる場合だ。
その場合
「悪貨は良貨を駆逐する」であって、
悪い価値判断のほうがラクで楽しいから
そうした虚構の共有といった一極集中の状態に
固まってしまうのはネズミと同様の結果で
危険であるということかもしれない。

社会組織の移動を繰り返すことは困難であるため、
争いを避けるために日常での試行錯誤が必要だ。
そこから生まれる虚構共有以外の意識変化、
尊重すべき共通の価値判断が必要ではなかろうか。


空観方程式では
対立ではなく重ね合わせの状態での思考だ。
例えば動的平衡状態のようなものだ。
生きるために壊すという思考である。
壊すことで生命を維持する。
解体と構築とを繰り返すことで新たな秩序生み出す点だ。

鎖国制度の下においても我が国は
武士道と呼ばれる組織・秩序を守ってきた。
自由や平等の観念が犠牲となるけれど、
士農工商、本家分家の区別を守ることで
対立が生まれることを避けてきた。
しかし進化の法則と同様に、産業革命のような
黒船来襲による外部環境が変化を促し
選別・淘汰の試行錯誤により、従来の身分制度を一掃し、
解体することで
新たな国家秩序を生み出した。

正しく快適な秩序を壊すことなく、
維持しようとすることの方がむしろ危険である。
だから生きるとは、幸福とは、
積極的でも能動的でも共通して
「試行錯誤を繰り返す」ことなのかもしれない。



参考1
TVドラマの中でも、
変化によって新たな秩序が生まれることを
取り上げている。



参考2
求める幸福のかたちも、幸福を手に入れる方法も人それぞれだ。
しかしながら著名な哲学者のアランやラッセルに共通しているのが、
外に目を向けて意識の変化を求めることだ。
じっとしたままでは幸福になれない。
幸せになるために「外に目を向ける」とアランが言う。
また、ラッセルも
不幸になるのは自分の内ばかりに目を向けて主観的になっているから。
そして幸福になる方法は、外に目を向けて“客観的に生きる”ことだと唱えた。
主観的なとらわれ(感情主体の偏桃体思考)から逃れ、試行錯誤の繰り返しで
心のバランス(スロー思考とファースト思考)を保つのを助けてくれる。




八王子方向の雷と虹

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保守とリベラル

2024年07月10日 | 読書・TV感想
保守とリベラルとの選挙が世界中で生まれている。
戦争、核兵器反対、差別反対と、仮に実現困難であっても
「正しいことを言い続けることが大切だ」がリベラルの主張で、
「いくら正しいことを主張しても実現できないのであれば価値がない」
が保守の主張である。

確かに平等は正しい。
細胞レベルでは西欧人も東洋人も、障害者も健常者も、男も女も、
黒人も白人も区別はない。従い差別はあってはならないことだ。
しかし現実には2
車の免許には視力検査があって差別が行われている。このように
社会での生存には、社会と折り合いをつけながら生きている存在だ。
正しくても実現できなければ意味がない。
そうした現実に目を向けるべきだ。リアリズムと呼ばれる考え。
それが人間存在の根本だ。

「幸せ」は人々によって異なるものであり、
個々の価値観や経験によって定義される。
幸せは個人や文化によって異なるが、
共通の要素として、自己の満足感や希望を持つことが
挙げられている。
大前提として
「人間存在とは何か」という根本的な問題に関連してくる。

要は
今(の現実)を重視するのか、
魂(思い)を重視するのかである。






「現実よりも希望や正しさの方を優先する」
希望や夢を抱き続けることが幸福だ。
戦争反対と言い続けることが重要だ。
観念としては宗教に近く、リベラリズムと呼ばれる。
一方では
「何が正しいのかよりも、何が本当なのかが優先される」
実現しないものに価値はない。
戦争・核兵器反対と言い続けるよりも、
具体的に何をやれば、
どうすればそれらは実現するのかが優先される。

人間は何に力を注ぐべきか。
国家も同様に国力や経済力このような現実優先が保守と呼ばれる。
何が実現できるものなのか、自己利益の優先である。
それが幸せにつながるという考え。
従い、実現できないものはあきらめ、次の道や別の道に進む。




結論:

仏教でいわれる「こだわり・執着を捨てる」とは
偏桃体思考から離れることで、
得と感じるか、損と感じるかの参照点(基準)を
下げることで幸せを感じる、すなわち
ノーベル賞学者ダニエル・カーネマン博士の言う
「参照点の違いによって、人の価値判断は変化する」
である。



幸せの基準値「参照点」が低い人が幸せになる。
これは前頭葉(スロー)思考によって可能であり、
それにより初めて幸せをもたらす。

戦争・核兵器反対と言い続けるよりも、
今何をすれば、
どうすればそれらは実現するのかが優先される。
人間は何に力を注ぐべきか。
国家も同様に国力や経済力このような現実優先が保守と呼ばれる。
何が実現できるものなのか、自己利益の優先である。
それが幸せにつながるという考え。
従い、実現できないものはあきらめ、次の道や別の道に進む。
自己利益優先の考えで、米国ではトランプの存在が象徴的だ。
英国やフランス選挙のように、世界中でどちらを優先すべきかの選択が
今盛んにおこなわれている。

こだわりを抱き続ける(リベラル)、こだわりを捨てる(保守)。
二者択一ではなく、双方を取り入れることが幸福につながる。






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幸せな気分になる人

2024年06月14日 | 読書・TV感想
幸せな気分になれる人
身近にある小さな幸せを見つけて満足する、
あるいは
どうせ死ぬのだから
好きなことをしてワクワクした思い出づくり。
または
このような偏桃体思考から離れることで、
得と感じるか、損と感じるかの参照点(基準)を
下げることで幸せを感じる、すなわち
ノーベル賞学者ダニエル・カーネマン博士の言う
「参照点の違いによって、人の価値判断は変化する」
から
幸せの基準値「参照点」が低い人が幸せになる。
このような
前頭葉思考が安心をもたらす。


一方、
飛行機をキャンセルしたことで助かった!
「生きているだけで丸儲け」
こうして死期を自覚することは、
どうでもいいことに時間を使わないようになる。
それは自由で幸福なことだ。ハイデガー

こうした
奇跡的な幸運に恵まれなくても、
老人に対して「生きているだけで丸儲け」
の合理性を発見した。

ウサギのような弱い動物の群れは
生き延びるために老ウサギを大切にする。
それは猛獣に襲われた時、
老ウサギが犠牲になって子ウサギが助かるからだ。

ホモ・サピエンスにも生き延びるために
ウサギの群れのような
子供の命を守るために老人を大切にする
その遺伝子がつくられているから、
今でも
「老人は子供を守るために価値ある存在だ」
皆んながそう思って生きている。

現代において
老人が子供を守る事態が本当に来るのか?
それはどんな事態なのか?
誰もわからなくても問題ない。
老人は価値ある存在だと思えれば良い。
それがダニエルカールマン博士の
いつか来るかもしれないうわさ話を信じる
前頭葉(スロー)思考の合理性だ。
同時にこれが老人に対する
「生きているだけで丸儲け」の合理性だ。
そしてそのことに感謝できれば最高の気分となる。

いずれにせよ、すべてが
幸せになることを捨てて、
幸せを感じる生き方だ。





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生きているだけで丸儲け

2024年03月01日 | 読書・TV感想
日々是好日は
「生きているだけで丸儲け」の生き方でもあり、
あるいは
今日という日は二度とない、
今日しかないと思って全力で生きる。
というこだわりの一極集中型の要素でもある。
ところで「生きているだけで丸儲け」の中には
得した損したこだわりの感情も存在している。
「生きているだけ」ではない、こだわりの感情の中で、
災害のような大損失に見舞われた時にはどうするかだ。

問題は日々是好日の
「どんな日でも毎日が好い日だ」では
済まされなくなった時にどうするかだ。

一方で「今日しかない」「今日だからできる」
というこだわりの一極集中で過ごしているうちに、
くよくよ考えること(偏桃体思考)が自然に
なくなることもある。
こだわりのような一極集中型がリセットされている状態だ。
「生きているだけで丸儲け」においても、
儲けていると思っているから
損した得したのこだわりがなくなる。

さて、生命が生きるために選んだ堅牢ではなく破壊、
つまり生きるために壊し続ける動的平衡状態のように
良い悪いではなく、損した得したでもなく、
一極集中か試行錯誤かではなく、
ハッピーかどうかでもなく、
人間の観念とは関係のない
自然の営み、外部環境によって
生き残りやすかったどうかで決まる場合もある。
要は単に「生きているだけ」なのであれば
儲けは捨てた状態だ。
捨てたことによって初めて儲けとなる。
こだわりを捨てるというこだわりだ。
義なきを義とす:親鸞のスタンスだ。
人間の観念に対応する外部環境は
無限に存在するから、その結果、進化のように
無限に枝分かれさせる要素が生まれている。
したがって
何が正しいのか、何が楽しいのか、何が得するのか
のこだわりではなく、
何を選択すれば生きやすいのかで決まる。
要は動的平衡によって、
こだわりを捨てるという
一極集中で生きているうちに
一極集中(こだわり)が消える現象だ。

なにも人間が決めつけることをしなくても、
自分の直感(扁桃体思考)による決定のエラーを
修正することや、こだわりを捨てて、
自然に任せながら後戻りやリセットを行う
試行錯誤や試考錯誤の前頭葉思考だ。つまり
善い悪いの中で生きているうちに
善い悪いのこだわりが消えてしまう。
具体的な前頭葉思考は
他人と相談する、書物やAIの様な他の考えを利用する。
何が正しいかではなく何が本当かを観察してみる。
何が本当に生きやすいのかを体現してみる。

感情をつかさどる扁桃体思考と
合理性を追求する前頭葉思考の均等化が
大切だ。
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ファースト&スロー

2024年02月26日 | 読書・TV感想
感情をつかさどる扁桃体思考と
合理性を追求する前頭葉思考の均等化が
大切だ。

日常ではほとんどが扁桃体思考であって、
健康やマネーがいくら合理的だとしても
日常が楽しくなければハッピーにはならない。
問題は困難と遭遇した時に
扁桃体思考だけで乗り越えようとしないことが
重要だとノーベル賞心理学者D.カーネマンが言う。
ファースト&スロー、2014より
精神科医によれば
ファーストが扁桃体思考にスローが前頭葉思考に
対応するのだそうだ。

前頭葉思考は怠け者で
意識的に努力しないと働かない。
しかも疲れると働かないという特徴がある。
したがって日常のほとんどが
扁桃体思考の独裁者に支配される。
これが一極集中の形骸である。
戦争反対と叫ぶだけでは感情支配による
扁桃体思考のままの一極集中型だ。
これではコンサートホールで盛り上がるのと
変わりがない。
悩み(ファースト)は考える(スロー)と異なり、
扁桃体思考であり堂々巡りしている状態だ。
本質は(前頭葉思考)どうすれば戦争が防げるかである。
一極集中(ファースト)から試行錯誤(スロー)への
切り換えが大切だといわれる。
また、何が正しいのかがファーストであり、
何が本当かがスローに該当する。
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日本での国民性の歪み

2023年12月16日 | 読書・TV感想
2023年12月15日は
記憶に残る日となった。
大谷選手のドジャーズ入団会見と、
日本での国会議員裏金疑惑の報道が
重なったからだ。
要は
金に対する無執着さと金に対する執着とが
重なった状況だ。
問題は20代の若者が金にこだわりのない
野球へのひたむきさと、
60、70代の老人が金に執着する
醜い姿とが折り重なっていたからだ。
特に老人が金に執着する姿ほど
醜いものはない。
その老人たちが政治家だったというから
さらに驚きだ。

法律を作る政治家が金のために法律を無視し、
一方、大谷選手の野球プレーにこだわった
歴代最高の契約金1000億円は、
契約終了まで無利子での
後払いにしたという内容だった。



年を取って老後を迎えれば、
平穏でのんびり過ごせる姿を
若者に見せるだけで、
老人の役割は果たせる。それには
食うだけの金があれば十分で、
それ以上の余剰は不要だ。
70歳前後の政治家が
自身の裏金作りに奔走している姿はまさに
恥の概念が消滅してしまった姿だ。
この国のモラルが崩壊し、世代での役割が
ねじれた状態となってしまっている状況を
どう立て直せばよいのか。


白熱教室でのサンデル教授が大谷選手について
紹介する。同時に日本人の国民性について、
自分より他人との共同性、
「助け合い」「おかげさま」の精神だという。
また、大谷(日本人)が持つ優れた能力
礼に始まり礼に終わる姿。
ひたむきに努力する姿勢と成功した後でも
一人で成し遂げたものでないという
謙虚な意識についてだ。



これは
「日日是好日」の関係にも当てはまる。
若者のスタンスでは現在を採用する。
過去や未来にこだわらず、今日こそが良い日だ
という一極集中型だ。





一方、老人ではいつでも良い毎日だという
道徳型の姿勢だ。



これこそ
老人と若者の世代間での役割分担の姿ではないか。
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認知革命の価値と形態

2023年10月09日 | 読書・TV感想
ホモ・サピエンスの認知革命とは
眼で見た現実と想像の現実との
コミュニケーションによって
試行錯誤を行い、外部の環境に
適用できるようになることだ。
即ち
多数の人間が分裂することなく、
大集団としてそれぞれがうまく
連携しながら適材適所で
個々の能力を発揮できるように
なることだ。



ところで認知革命での形態と価値には
二通りある。(一極集中か試行錯誤か)





例えばある集団が敵の襲来に
さらされるようになれば、
想像のコミュニケーションによって、
「こう組み合わせれば敵に襲われにくくなる」
との試行錯誤が働く。
複数の組み合わせや
適材適所の大集団であればあるほど
連携が働き効果的となる。
しかしある環境下に於いて
試行錯誤が繰り返されて、一旦
適材適所が最適化されてしまえば
(教義や思想によって、あるいは
最強の指導者によって
決められてしまえば、)
今度は一極集中型へと進む。
一極集中化に於いては非効率な
個々の試行錯誤はかえって邪魔になる。
ところが効率は良いが
外部の環境変化に対しては
対応できなくなる。



さて、
ロシアの権威主義での
一極集中化においても
侵攻される前に侵攻する
との意識が働き、
益々最強での支配秩序を目指すこととなった。
そこに非効率な試行錯誤は無用である。
それは更なる
個々の自由制限につながってゆく。


我が国においても
かつて多様性が許容されていた
日本神道の精神にもかかわらず、
尊王攘夷思想の一極集中へと歩んだ結果、
いばらの道への経験となった。




このことから、一極集中の
「武装侵攻」なる行為に対しては、
一極集中によって対抗するのではなく、
「こう組み合わせれば敵に
襲われにくくなる」といった
試行錯誤を持続的に行うための、
自由と民主の基本方針を守ることで、
我が国はこのたびの
武装侵攻されたウクライナを
支援することとなった。


200万年前にホモ・サピエンスが
獲得した認知革命によって、
我らの生き方は試行錯誤と、それぞれの
連携によって成し遂げられる。
ところがある一定の環境下で
最適化を目指した結果、
一極集中となれば、こんどは
試行錯誤の自由は無くなり、
環境の変化によって一極集中は
崩壊する。その繰り返しだ。
何万年経とうがその形態は
あまり進化していないように見える。
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高校野球での想い

2023年08月07日 | 読書・TV感想
甲子園での高校野球について

長年にわたり
関西地域や四国地域からは東北地方に比べて
出場校が多いけれども、突出して破天荒な選手は少い。
なぜだろうか

甲子園に出ようとするには
善い行いが決められていて、
それ以外の行為はしてはならない・・・
からではなかろうか。

逆に甲子園出場にこだわることが少ない学校では、
してはいけない行為だけが決められていて、
あとは何をやってもかまわない。
だからアメリカのプロ野球で二刀流をやってみようと
型破りなことを考える選手が生まれる。

逆に甲子園にこだわる学校からは、
決められたことしかやらない選手や
言われたことしかできない選手が
育ってしまうのではないだろうか。

日本の高校野球のシステムは、
野球人口の拡大には有効なシステムなのかもしれないけれど、
自由な発想のできる人間形成には不向きなシステムではなかろうか。


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何を守って生きてゆく?

2023年07月02日 | 読書・TV感想
朝ドラ「らんまん」 (65回よりの文字おこし)

家というのはなんじゃろ
血筋、金、格式、何を守ってきたがじゃろう
それより今ここにおる 
おまんらが幸せなのが肝心ながじゃ
この先も健やかに幸せに生きていく
家の願いじゃのうて己の願いに生きていくことが....


今更なんじゃ!
これまで散々本家と分家を区別して
わしら分家を見下してきたがは誰じゃ!


わしがそうさせてきた、けれど時が変わった
この先は本家分家と上下の別なく互いに手を取りおうて
商いに励んでいってほしい






役に立つ観念かどうかは人間が決めるのではなく、
自然環境や偶然のめぐり合わせが、そして何よりも
その場その時代での外的環境によって作用される。
例えば時代の移り変わり、感情、インパクトである。
従って、その時代には命がけで守り続けていた
絶対的な観念でさえも、
もともとは無価値なものであったとの立場が
ここでも一層鮮明になる。









人々は何を恐れ何を守って生きてきた?

本家分家の区別を守ることで
村組織・秩序を守ってきた。
自由や平等の観念が犠牲となるけれど、
それよりも従来のしきたりの方が役に立つ。
即ち誰もが決められた秩序で定められた
作業をこなしてゆけば、
誰もが食う事に困ることがない。
長年にわたって
従来通りの変化のない秩序が保たれる。
昔からの役割分担で、
定められた取り分でお互いが納得して
生きて行ける。
これが戦もなく、
もめ事もなく平和で何よりだった。

集団での組織防衛には
格差や差別の問題が付きまとうものだ。
何よりも
活気や熱意には格差や差別が障害となる。
特に我が国においては鎖国の状態では、
活気や熱意よりも、波風の立たない
競争の無い整然とした秩序の方が
役に立つ状態が長期間続いた。

ところが産業革命は、
世界的な交流が活発になるにつれ
国家の力や富の大きさが注目される。
やがて商工業の発展は、村から都会に
出ることで現金収入と自由が得られる
という認識が拡散する。この外部環境が
長年続いた村の掟の観念を打ち砕く。
格差や差別の観念と相まって、
大勢が同一の新たな観念を共有し
熱狂してしまう。

一方、
尊王攘夷など信条や正義の観念では、
正しいか正しくないかの一辺倒となって、
人間が多数の観念を勝手に序列化してしまう。
この場合は必ずモットモットとなって、
パワーバランスが崩壊したという外部環境の中で
不安定で悲惨な道に進んでしまいがちだ。

従って、進化の法則と同様に、
血筋を守る観念も、接ぎ木による新たな観念も
正義、信念、自由や霊魂、お家の観念も、
無限にある観念を同列に扱って序列化しない。
その中から人間が価値を決めるのではなく、
外部環境がその場その時で
選別・淘汰し、ただそれを繰り返すだけだ。

一旦秩序が崩壊すれば、革命的な改革がない限り、
平和な秩序に戻ることの保証がない。
富国強兵をあきらめて、元の村秩序に戻ることは
ほぼ不可能だ。




人間が考える観念の序列

「観念は無価値である」と唐突に主張しても
直ぐには受け入れられない。
こういう場合には事例で示すのが良い。
象徴的には独裁政治の中で
被支配者達が正しいか正しくないかを主張しても、
聞いてもらえないのなら価値がないのと同然だ。
独裁政治と同様な立場にある外部環境が
人間の観念を評価・選別するのであれば、やはり
人間にとって観念は価値がないのと同然だ。
無価値なものを都合で序列化しても無意味だ。
進化でも同様に、
勝手に人間が序列化した進化の図は誤りとされる。
(下図)
要は無価値なものだと自覚したうえで、自分に合う
観念を選択し、肯定してゆくことだ。
失望したり後悔したりすることがなくなるために。
それが「らんまん」での脚本に今回登場した
ということだ。










参考:
東京八王子南大沢にある牧野標本館には
おびただしい実物標本(16万点が収蔵)が保管され
データべース化されている。
参考に牧野博士が宮崎、高知、岩手早池峰で採取した
スイフヨウヒメウコギカトウハコベ
データベースにリンクする。
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人間が考える観念に価値がないとすれば分別が無くなる

2023年06月27日 | 読書・TV感想
人間が考える観念について
奈良富雄丸山古墳から盾と刀剣が出土した。
盾の防御性や鏡や剣の神秘性とが一体化して
被葬者を邪悪なものから守る
「辟邪(へきじゃ)」の観念の存在を示すものだ。



物品を死者と共に埋葬しとうとする観念は
我が国のみならず古代文明発祥の地からは
多数発掘されており、人間共有の観念だ。
死者を丁寧に葬ることと次の世界での
安寧を求める姿勢でもある。
しかし科学技術発展の環境変化により
物品の埋葬が必ずしも丁寧な埋葬と
結びつかない状況となった。
ところが
物品が伴わない観念については
環境の変化にも関わらず
今なお多くの人々によって肯定されている。
観念は「楽しいから」「楽になるから」などが
一般的であるが、
「観念の通りに行動しないから悪いことが起きる」
と言われれば、ブラックスワンの証明と同様に
反証できない。そしてその点を利用して
【カルマ(業)を浄化し、新しく生まれ変わりたいあなたへ】
こうした商売上のうたい文句が堂々と貼り付けられたり、
場合によっては
高額なツボを購入させたりする違法性の商売迄
いまだに存在する。ここではそうした
輪廻転生や無分別の観念について考察する、






思い込みやトラウマ、
常識といったこともすべて観念だ。
観念とは人間の考えたものでありながら、
役に立つかどうかは人間ではなく、
自然選択と同様に、感情や経験などを含む
生き残りやすかったかどうかの
外部環境が決める。
感情や経験の種類は無限にあるので
観念も無限に存在する。
さらに「観念」自体には
善い・悪いという判断は存在しない。
なぜなら、善と悪も観念に過ぎないから。
観念の間に善悪の差がないのであれば
進化の枝分かれと同様に
無限に枝分かれして同格で存在する。

しかし、
辟邪(へきじゃ)の観念と
無分別(平等)の観念を比べると,
無分別の観念の方を役に立ちそうな
優れた観念と感じてしまう。
このように勝手に分別・序列化してしまう。
自分のみに特化された外部環境の中で
役に立つ観念は存在することを意味する。
さらには自分の力では何ともしがたいような
困難を経験すると
信仰の観念にも強く引き寄せられる。
信仰は科学と異なり、
無いことの証明ができない関係性から
「こうなっている!」と断定することが可能だ。
(目的論的世界観)
信仰をもつ人がどう向き合い、生きたのか。
多数の語りの中に同一の観念が生きる。
例えば
仏教では無分別という「空」の観念のほかに
「因果応報」という教えの観念がある。
縁が来たときに、因と縁が和合して、
因果応報によって目に見える運命となって現われる。
現在の出来事は過去の結果であり、
現在の行為は将来の原因になる。そして
善い業(善行)には良い結果が、
悪い業(悪行)には悪い結果が訪れるとされる。








さて、輪廻転生の観念においても
善い行いと悪い行いは、
一つ上の状態である「業」という
過去の行いに依存して決められる。
輪廻転生の思想に業(カルマ)という状態を
結びつけた(生み出した)点が止揚の思想
(弁証法)と同一である。
良いことも悪いこともむくい、すなわち
業のはたらきによって生じると説く。
しかし
人間の観念を序列化しない無分別の
観点から眺めれば、善と悪とを
別の世界であるカルマの世界で決めている。
輪廻転生とカルマの間で
分別・序列化がなされている。
カルマの世界を特別扱いしているようなものだ。
本来は
偶然に引き起こされた結果においても、
因果応報に結び付けられてしまう。
善い結果と悪い結果が分別されて
過去の行いとに結び付けられる。
偶然の結果ということは、例えば
恐竜が絶滅して哺乳類が勢力を付けたことや、
地球に生命が誕生したことなど。
そもそも進化の多様性は突然変異という偶然に依って
引き起こされた様に、かなりの頻度になると思われる。
キリンの首が長いのも、象の鼻が長いのも偶然に依るものだ。
にもかかわらず、
因と縁によって引き起こされた結果であると
強く断定されてしまう。その結果
生まれ変わってやり直すといった
思い込みに依る観念が誘発されてしまう。

「因果応報」の観念においても、偶然という要素を
取り入れなければならないだろう。
因と縁が和合する場合に、
何らかの偶然が働いた結果が引き起こされることもある。
種と田んぼから米が作られるだけでなく、
種と田んぼから大豆が生まれる場合だって考えられる。
同様に
善い業(善行)には良い結果だけでなく、
何らかの偶然に依って、
善い行いから悪い結果が引き起こされる場合もあるし、
悪い行いから善い行いが訪れることもありうる。
進化の突然変異から見れば何ら不思議なことではない。







西洋の哲学者ニーチェは「永劫回帰」の中で
「人間の観念には価値がない」といった。
全てに価値がないのであれば分別しようがなく、
「無分別」の教えに近づく。
そうであれば人間の観念に進化の法則と同様に
序列化は存在しない。
辟邪の観念と無分別の観念は同格として存在し、
因果応報も同様に価値の序列は無く同格である。
哲学を引き合いに出すまでもなく、そもそも
善い悪いの基準も曖昧であり、
かつ偶然を考慮すれば、確かに
固定化された価値など存在しない。これは
独裁政治の中で善い悪いを論じても
意味が無いのと同様である。
人間に役に立つものかどうかを
独裁政治のような外部環境が決めるのであれば
人間が考える観念には価値がない。

無限にある観念を
序列化することに価値がないのであるならば、
カルマの世界が輪廻転生の世界から
序列化されて尚、善悪を決めていること自体が
無価値であるということだ。一方
全ての観念には価値がない訳ではなく、
中には自分の経験上において
役に立つ観念も確実に存在する。
ご先祖様がこの世に帰ってくるという
盆の観念により、親子や孫と親交の機会
となってとても有用である。
無限の観念の中から
自分に役立ちそうな観念を選択して、
自分のものとして再定義し肯定する。
いずれにせよ、
他の大勢が肯定している観念に
惑わされないことが重要だ。

社会や他人からけし掛けられたありもしない
観念にとらわれて、達成できなくても、
あるいは
無益な価値判断を押し付けられても、
失望したり、余計な不幸を背負わなくてもいい。
今この瞬間を味わって力強く生きることだけだ。
過去のことをクヨクヨと悔やんだり、
将来をアレコレ心配する必要がなくなる。
















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