幸福の原理:メンタルの安定と心の平和
それを得るため、メンタルと心の原理を知る。
それによって
原因の一つである評価ミスを防ぐことが出来るし、
同時に
自分の感情の起伏を眺めることでも、
今ある幸せに気づくことも出来るようになる。
頭の毛や唾は普段丁寧に扱われる人体備品だが、
一旦床に落ちてしまえば瞬時に汚物扱いとなる。
これはとりもなおさず
扁桃体の評価ミスで引き起こされている。
同じようにして
扁桃体思考はどうでもいいことであっても、
関わらずにはいられない程の重大事件で、
無視することなどできないと感じるものだ。
これは脳での危機管理に関連する、
進化の過程で培われた
ネガティブな感情を処理する
最優先の独裁者的部位のなせる特性だ。
日常のほとんどが
この扁桃体思考(感情主体の独裁者)である。
心配事に取りつかれ
不安にさいなまれている最中は、
どうでもいいことでも,
おとぎ話であっても
とてもリアルに感じられる。
そしてむしろ
現実化しないことに不安を覚え
悩みとして抱え込む。
そのことに気が付かなければ
思い込みのようにして評価ミスを起こす。
「取り越し苦労」で、人生を浪費してしまい、
「いまを楽しみながら生きること」ができなくなる。
(長期化による精神障害の危険)
扁桃体思考は一極集中(何が正しいか)の
効率優先であって、
生きる意味の合理性(何が本当かの試行錯誤)
にまで深められない。
合理的な思考による一極集中化であれば、
気が付くことでリセットして
引き返すことができるが、
扁桃体思考による評価ミスから進んでしまった
一極集中化では、
気が付かないままで進行するので、
元の状態に戻るのが極めて困難だ。
扁桃体思考を抑制するためには、
前頭前野を刺激(前頭葉思考)することだ。
例えば
眼に見えないものに価値を見いだす
合理性による評価判断だ。
自分に正直に生きる幸せ、
目的を持つことが幸せ
感謝する幸せ、
人のため、人を幸福にする幸せ
家族と一緒にいる幸せ
などについてだ。
参考:
感情主体の扁桃体思考における象徴的な具体例と特徴
マネーによる幸せ(比べてみるための眼で見える幸せ)
刺激的な幸せ(比べるために普通のことに満足できない)
この様なことには限りがないこと(長期化の危険性)であり、
苦しみを生むものである。
しかも心の安定とは関わりのないことである。
改善することと否定することは異なる
ダメな・無価値な人間だ、ではなく
価値ある人間だと肯定する。
自然を眺めるように、自分の気持ちの起伏を眺める。
自然とのつながりに気が付く事、
自分のこだわりを他に委ねる事。
余談:
西欧の個の意識や主観・観念は我執・こだわりである。
一方、我が国での基本は我執・こだわりを捨てて、
自然と(善と悪とが)一体となる(無分別の)観念である。
それによって
新たに生まれた秩序で悩み・争いから解放され救済される姿勢だ。
善を行うとかえって対立を生むことがあるからだ。
(扁桃体思考により何もしない人間が悪に見える)
善いことの意識(分別することや自己都合)を捨てることで、
初めて真の善となる。(善と悪の一体化)
息を吐く(捨てる)ことで息を吸うことができる。
「吐くことと吸うことは一体である」
ハッピーでなければいけないと思っている限り、
ハッピーになれない。
「ハッピーを捨ててこそハッピーになれる」
2024年4月7日 日野市
それを得るため、メンタルと心の原理を知る。
それによって
原因の一つである評価ミスを防ぐことが出来るし、
同時に
自分の感情の起伏を眺めることでも、
今ある幸せに気づくことも出来るようになる。
頭の毛や唾は普段丁寧に扱われる人体備品だが、
一旦床に落ちてしまえば瞬時に汚物扱いとなる。
これはとりもなおさず
扁桃体の評価ミスで引き起こされている。
同じようにして
扁桃体思考はどうでもいいことであっても、
関わらずにはいられない程の重大事件で、
無視することなどできないと感じるものだ。
これは脳での危機管理に関連する、
進化の過程で培われた
ネガティブな感情を処理する
最優先の独裁者的部位のなせる特性だ。
日常のほとんどが
この扁桃体思考(感情主体の独裁者)である。
心配事に取りつかれ
不安にさいなまれている最中は、
どうでもいいことでも,
おとぎ話であっても
とてもリアルに感じられる。
そしてむしろ
現実化しないことに不安を覚え
悩みとして抱え込む。
そのことに気が付かなければ
思い込みのようにして評価ミスを起こす。
「取り越し苦労」で、人生を浪費してしまい、
「いまを楽しみながら生きること」ができなくなる。
(長期化による精神障害の危険)
扁桃体思考は一極集中(何が正しいか)の
効率優先であって、
生きる意味の合理性(何が本当かの試行錯誤)
にまで深められない。
合理的な思考による一極集中化であれば、
気が付くことでリセットして
引き返すことができるが、
扁桃体思考による評価ミスから進んでしまった
一極集中化では、
気が付かないままで進行するので、
元の状態に戻るのが極めて困難だ。
扁桃体思考を抑制するためには、
前頭前野を刺激(前頭葉思考)することだ。
例えば
眼に見えないものに価値を見いだす
合理性による評価判断だ。
自分に正直に生きる幸せ、
目的を持つことが幸せ
感謝する幸せ、
人のため、人を幸福にする幸せ
家族と一緒にいる幸せ
などについてだ。
参考:
感情主体の扁桃体思考における象徴的な具体例と特徴
マネーによる幸せ(比べてみるための眼で見える幸せ)
刺激的な幸せ(比べるために普通のことに満足できない)
この様なことには限りがないこと(長期化の危険性)であり、
苦しみを生むものである。
しかも心の安定とは関わりのないことである。
改善することと否定することは異なる
ダメな・無価値な人間だ、ではなく
価値ある人間だと肯定する。
自然を眺めるように、自分の気持ちの起伏を眺める。
自然とのつながりに気が付く事、
自分のこだわりを他に委ねる事。
余談:
西欧の個の意識や主観・観念は我執・こだわりである。
一方、我が国での基本は我執・こだわりを捨てて、
自然と(善と悪とが)一体となる(無分別の)観念である。
それによって
新たに生まれた秩序で悩み・争いから解放され救済される姿勢だ。
善を行うとかえって対立を生むことがあるからだ。
(扁桃体思考により何もしない人間が悪に見える)
善いことの意識(分別することや自己都合)を捨てることで、
初めて真の善となる。(善と悪の一体化)
息を吐く(捨てる)ことで息を吸うことができる。
「吐くことと吸うことは一体である」
ハッピーでなければいけないと思っている限り、
ハッピーになれない。
「ハッピーを捨ててこそハッピーになれる」
2024年4月7日 日野市