空観方程式

「色」と「空」の一体化によって可視化され、相互作用で共感・共鳴が生じ、新たなる思いや生命力が実体化される。

二項対立の実態

2023年01月31日 | 記事のコメント
「JPCZ」
Japan sea Polar air mass Convergence Zone
日本海寒帯気団収束帯


二つのものが収束することで
新たな状態が出現することを示す。
日本海側の平野部にも大雪が
出現する現象だ。
毎年この大雪によって大渋滞が
発生している。

それぞれの対立した二項が
一つに収斂して、
新たな状態が出現する。
科学にも重ね合わせの状態
SuperPositionとして
新たな状態が出現する現象がある。



光があれば影(闇)もある
正義があれば悪もある
神があれば悪魔もある
天使がいれば魔女もいる
という人間の分別。


世の中の理解できないことや
納得できないことに接することから、
そこを乗り越えるためには、
おとぎ話などの物語が必要であった。

将来の不安を解消し安定するために、
対立する二項が一体化して出現する
神話が必要であった。

例えば日本の古墳から出土する鏡は
邪悪なものを退けるための祭祀として
出現したものであるとされている。
出土した鏡や剣には「邪悪なものを
寄せつけない力がある」との
ストーリーによって埋葬されたとされる。

そもそもホモサピエンスにとって、
死体をごみのようには扱えないから
何らかの儀式が必要となったのと同じである。
要は
人間の進化によって獲得した分別によって
生じた苦悩や悲しみに対し、
そこを乗り越えるための必要なものであって、
いわば想像上の秩序である。

特に、生と死の二項対立は人間にとって
避けることのできない状態だ。
「JPCZ」と同様のように、
生と死の二項対立が一体化することにより、
普遍的で尚且つ体系的に理論化され、
新たに生まれた物語が宗教であると
言える。




光があれば影(闇)ができる。
正義があれば悪ができる。
夢と現実とが一体となることで
物語ができる。
やがて
闇や悪による苦悩から解放されるために
宗教や権威主義思想が生まれる。

夢(理想)と現実という二項対立(色)。
現実だけでは解決できない、納得できない、
そこから
夢(想像上)という理想の物語とが
一体となること(空というエネルギー)で
将来への安定が生まれ(新たな色が)
獲得される。



しかし
思想上の概念のみにこだわっては、
思想と豊かさとが一体となることで現れる
新たなエネルギーに乏しく、
現実社会での自由(多様性)が制限される。
要は人間の分別である二項対立においては
片方だけにこだわらないことだ。
片方のみにこだわれば
新たな状態は出現してこない。
いつまでたっても
解決することができないので
苦難の道を歩み破綻する。

例えば闇のみにこだわってしまうと、
どうせ死ぬのに人間はなぜ生きるのか?
から抜け出せなくなり
物語が生まれずに苦難の道が続いてしまう。
一旦リセット(空観)して
苦悩との折り合いも必要なのである。

要は分別と共存することでも不安から
解放される。
その場その場で自分のできることを
行う。
出来る時に行い、出来ない時には
行わない。
あるがままでもいいし、
あるがままでなくてもいい、
親鸞のいう「無義の義」である。
また西行も言う、
「身を捨ることこそが己を救う道でしょう」
一旦、全部捨てたことだと思えば、
かえって元気が出るものだ。





[参考]
奈良富雄丸山古墳:
(コラム産経ニュース)2023/1/30
盾の防御性と鏡の神秘性とが一体化して
被葬者を邪悪なものから守る
「辟邪(へきじゃ)」の観念が生まれた。
大阪大学の福永伸哉 教授



コメント

二項対立によって生まれるもの

2023年01月14日 | スクラップブック
対立する二つの概念要素が
重ね合わせの状態となることで
新たな状態が生まれてくる。
一つだけの概念要素では、
融通性に欠け、思想が硬直した状態となり
選択性やバランス性においても劣る。 
何より新たなる概念は生まれてこないので、
問題の解決に乏しい。
そもそも硬直した思想の下では、
人間の自由も大きく制限されてしまう。

物理的な現象においても
電子は波でもあり粒子でもあるということで
多面的であって、象徴的である。
それによって様々な現象に対して
融通性に富んだ解釈が可能となる。また、
左や右のスピンがあって、それらが
一体化された重ね合わせ状態になると、
電子のスピンは無くなるわけではないが
消えてしまう。

さて、人間は一人では生きられないが、
集団行動によって一体感が有られ、
(それだけ自由も制限されるものの)
迷いや苦悩からも解放される。
場合によっては安全も強化される。
それは、人間の進化の面でも現れていて、
集団の大きさに依存していることが
知られている。
つまり、大きな集団であるほうが
より大きく進化している。
ホモサピエンスでの大きな集団脳は
人間の進歩の源泉だ。
ホモサピエンスとネアンデルタールには
言葉や火を使うこと(知能)には違いがないが、
ホモサピエンスでは、より大きな集団であったため、
それだけ相対的に大きく進化した形跡がある。



それは一人の天才に依存するのではなく、
複数の思考の重ね合わせによって
新たなものが次々と現れてくるからだ。
即ち試行錯誤を繰り返すことにより、
新たな道具を実現してきたことによる。
改良やアイデアといった自分以外に対する
(天才一人による思考より)
興味からくる多様性である。
多様性により技術革新が生まれるからだ。

同様に近代においても
革命などによって成立した集団、特に
一つの思想のみによって成立した国家では、
歴史を振り返れば
悲惨な道のりを歩んでいるように見える。
我が国においても、
幕末には尊皇攘夷の思想が登場したが、
それにこだわることなく、経済と一体での
政治を進めた結果、明治維新と呼ばれる
発展を遂げた。
然るに、昭和初期になって再び尊皇攘夷の
思想一色に染まってしまった結果、
悲惨な歩みをたどることとなった。

コメント