空観方程式

「色」と「空」の一体化によって可視化され、相互作用で共感・共鳴が生じ、新たなる思いや生命力が実体化される。

無分別の分別

2022年09月06日 | スクラップブック
弁証法で使われた図を利用して、それを
量子システムにも当てはめてみて、
電子の重ね合わせの状態を示す。


正、反の良い方を選択するのではなく、
高次元の新たな解決法を生み出す。
正、反にはいずれにも偏ることがない。



重ね合わせの状態

量子である電子は自転していて、
上向きスピンと下向きスピンがある。
双方が一体化している状態が
重ね合わせといわれる。
そのような重ね合わせの姿は
見ることができないが、
重ね合わせやスピンとの関係により
磁性という性質が現れ、
その姿を我々に見せてくれる。




同様に
電子そのものの姿も
粒子でもあり波でもある状態で、
大きさの概念のない
重ね合わせの状態となっている。
そのような重ね合わせの姿も
見ることができない。
さて、止揚システムに比べて、
量子の重ね合わせは動的である。



ところで仏教においても
而二不二(ニニフニ)といわれる教えの中で、
対立項目の
「表と裏」から、紙の姿が表現されている。
ここでも
弁証法で使われた図を利用してみると、



ここでは「表も裏」も一体であって、
そもそも分別することが虚妄であるという。
確かに
表ばかりの紙や、裏ばかりの紙は存在しない。



利他の実践
仏教で知られる「慈悲と知恵」も、
救いたいという気持ち(慈悲)と
救う方法(知恵)、
要は分別することなく、
どちらの心も併せ持つことが大切だ。
それが二元一体化での「而二不二」だ。
慈悲だけの仏教もないし、
知恵(智慧)だけの仏教もない。
双方が一体となって、はじめて
意味のある仏教となる。

しかし、ここで終わってしまっては
単なる願望や道徳領域であるから、
今一度、実践に向けて半歩進めてみよう。





人は進化によって選択・排除の
分別能力を獲得したが、
それと引き換えに
苦悩し、争うようになった。



どうすればよいか

量子の世界の
眼には見えないが、
重ね合わせ状態の自覚。
例えば電子スピンの重ね合わせ状態から
眼に見える実体が生まれてくる。

一方
「空」の般若心経の世界にも、
「感じることしかできないが
存在しているもの」佐々木閑
というのがあった。
より高次元の世界が
我らが感じられないところにある。
というものだ。

全てが平等につながり合い、
一体となって溶け合っている世界。
眼には見えないが新たなものが
常に生み出している世界
新しい自分にリセットしてくれる世界。

慈悲と知恵が無分別となった世界から
新たな回り舞台が出現し、その上で
自分にとっての意味ある人生、即ち
自分の中に直感が生まれ、
人生をどのように演じるかが問われる。

重ね合せも空も無分別(日本的霊性)も
エネルギーのように眼には見えないが、
存在するものである。
そこから眼に見える実在が生まれてくる。
それは人間には変えられない法則で
そこから生まれてくるものと
折り合いながら生きるしかない。

(無分別の分別)



そして、
エントロピー増大の法則の中で、
生命が採用している「分解と合成」の
動的平衡状態に注目する。

「動的平衡」から構想する
“能動的破壊”で生まれる組織の持続性
生きるために、壊し続ける
38億年続く生命の営みに見る持続性
福島伸一参照





「空」と「色」との分別、即ち
変えられないものと変えられるものとの
自覚ができれば、変えられるものでの
動的平衡状態の応用によって、特別
無分別にこだわる必要はなかろう。


例えば紙の裏と表での分別では
裏と表の分別はそのままで、
裏があるから表もあるということで、



同じく例えば
自分と他人との分別においては
自と他の分別はそのままで、
他人を少しだけ先回りさせる。



例えば生と死の分別において、
生と死の分別はそのままで、
死(分解)の方を先回りさせる。



映画:武士の一分より
「必死すなわち生くるなり」
「武士の一分が立てばよく、勝つ必要はない。」

死を覚悟(分解)するとは、
全力で生きようとする(合成)こと。

「死を意識するときは、人は自身の生を意識する」
即ち、生と死の分別はそのままで、
死(分解)の方を少しだけ先回りさせる生き方。



その他の
合成より分解の方を先回りさせるやりかた。

外なるもの(分解)に思いを馳せる。
つまり、夜は寝るため(分解)にあり、
朝はもう一度生きる(合成)ためにある。

手漕ぎボートを漕ぐ様に、後ろ向きで
周りの景色を観ながら(分解)、
目的地に向かって進める。(合成)

はからいのない、報いのない
ありったけの自分を捧げてみて、(分解)
そして
ワクワクするものから初めてみる。(合成)

過去に悩まず,未来に期待せず(分解)、
現在に生きる。(合成)

少しずつ手放して(分解)、
自由になる。(合成)

正義の女神
目隠しして平等の適用(分解)、
バランスでの折り合いと実行(合成)
(変えられることと変えられないことの折り合い)


利休
不完全なままで(分解)、生きて(合成)いける。
不完全な方が(分解)、可能性がある(合成)。

利休
柔(分解)よく剛(合成)を制す
ピラミッドは剛主体のために風化する。



華道
華をたむけ(分解)、そして活ける(合成)

西行
身を捨ててこそ(分解)身をも助けめ(合成)

親鸞
無義(分解)の義(合成)

鈴木大拙
無分別(分解)の分別(合成)

あるがままを捨ててこそ(分解)
あるがままとなる。(合成)



「あるがままになる」あるいは
「執着をなくす」というものは
それが執着となってしまう。
ここでは分解よりも
合成の方が先回りしているので、
自然に実現されているものとはならない。


人間の願望は
自己都合によって変わるもので
哲学者西田幾多郎は
善の研究の中でも、
「人生の真相とは知識と情意が一体化する
以前のものであって、
自然に実現されている存在をいう」とある。
人間の願望ではなく自律的に実現されている
ものである。



「慈悲と知恵」においても、
而ニ不ニのように、
知識と情意を一致させる前に、
自律的に実現させる真の実在は
いかなるものかを明らかにすべく・・・


眼には見えないが
重ね合わせの状態が存在している。
無分別の状態が存在している。
空の状態も存在している。
これら存在の自覚が
真の実在のように見える。
そこから自律的に実態が出現し、
実現させる。




善の研究



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