明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ランダムな居酒屋談義、どうせ雑談なのよ(その11)気持ちの若さを再び取り戻す!

2020-12-02 15:13:32 | 今日の話題

1、呼気オミックス解析システム
これ、東北大学と島津製作所との共同研究で開発された検査方法らしい。これが新型コロナ感染の有無を調べる画期的な方法で、半年以内に薬事承認申請するという。自然呼気からコロナなどの感染症に限らず、循環器疾患・呼吸器疾患・代謝性疾患などの病気にも使えるという「世界初の発明」というから凄い。とは言うものの、日本発のコロナ薬アビガンが失速消滅して米英製薬会社のワクチンにコロ負けしたり、ガソリン車からハイブリッドへの流れが世界のEVブームに取って代わられたりと、「日本発」という響きにはいつも不安がつきまとう。この検査システムもPCRに比べると画期的で、今すぐ欲しいとなるにしても、結局はワクチンや治療薬の開発には勝てないような気がする。やっぱ、本丸を攻めないと勝利は得られないと思う。以前に、コロナRNAに速攻くっつくタンパク質を日本の研究者が発見した、とかいうニュースがあったが、こっちの方がコロナ対策に革命的な効果を発揮すると思うのだが、その後のニュースは音沙汰だ。何れにしても、「日本発」という新薬の開発が待たれる今日此頃ではある。今一、政府が GO TO なんちゃらで炎上の真っ最中と、新薬どころじゃないというのが気がかりだが。ところで、今ふと思ったが、呼気から病気を発見するなら「犬の匂い感知能力」でも行けるんじゃないか?。そう言えばイギリスの空港でコロナ探知犬が採用された、とかニュースで言ってたっけ。あれ、どうなったのかなぁ・・・。

2、猫は犬に近づきつつある
私が子供の頃は、犬は番犬として家を不審者から守るのが役目だった。猫はそういう明確な役割がなかったのか、ペットとして飼っていた家は少なかったと思う。それが近年、猫好きが爆発的に増えた。増えた理由は、私は猫が「犬化している」のじゃないかと思っている。猫は元々、犬よりも人間と近い顔をしているし、身体が小さくて「人間の赤ちゃん」に近いという、愛玩動物の要素を完璧に備えていた。それが野性を捨てて人間に慣れ、コミュニケーションを取るように「変化」してきてから爆発的に人気が出てきたのである。猫は犬に比べて鼻・口が小さく、顔が丸くて目が大きい「赤ちゃん顔」をしているから人気も鰻登りに上がっている。それに体格が子供でも扱いやすくて動作が愛くるしいとくれば、YouTube の動画などでも大人気にならない方がおかしい。多分、昭和の頃はこれ程ではなかったと思うが、今や、言うことを聞かないガキなどよりよっぽど可愛い「ペットの王様」に成り上がってしまった。私も YouTube などを見ていると無性に飼いたい衝動に駆られるが、最後まで面倒を見る自信はないので残念だが諦めている。猫は今でこそ大人気だが、実は進化の過程で「子犬の可愛いところ」だけを学習した、「人間を手懐ける戦略」の勝利なのである、考えてるなぁ〜。だがこの先「人間の最良の友」の座までも奪う気はなさそうだから、あくまでペットとしての楽な生活に甘んじるつもりなのかも。まあ、野原で羊を追っかけたり、雪の中で橇を引いたり、夜中に外で夜警をしたりと、何かと人間の役に立つというのは犬にしてみれば「苛酷な仕事」である。そう言えば牛も馬も働いてるし、豚もせっせと食べられちゃうし、可愛がられるだけで役に立たない動物なんて「こんな楽な役回り」は猫だけだ。猫さん、随分上手くやったもんだよな?

3、全員ノーヘル?
こないだ中国のニュースを見ていたら、内容は有り得ないような交通違反の映像だった。が、何より私が驚いたのは、走ってるバイクに乗っていた人が全員「ノーヘル」だったことである。中国ってこんなだったの?、とビックリした。場所が何処だったかは忘れたが、国によって安全意識がこんなにも違うんだと、妙に感心したものである。しかしバイクでノーヘルは自殺行為だろう。自転車ですらヘルメットの重要性が叫ばれているというのに、バイクじゃイチコロは確実だ。国が何かの理由で規制していないのだろうが、インドなどでも確かにこういう光景は目にしたような。やっぱ人数が多いと、多少の事故は問題にもならないのかも。そう言えば私も若い頃は利根川沿いの356線で、対面通行の道路を走る長距離バス2台を、バイクで一気に追い越したりと危険な運転を繰り返していたっけ。当然、白バイに早速捕まって、ひたすら謝って許してもらったことがあった。千葉は信号が殆どないので、休日にはよくバイクで走りに行っていたのである。取手の手前で6号を降り、ループを回って利根川水郷ラインに入る道は私のお気に入りのルートの一つであった。利根川の堤防下の一本道をずっと走っていく道で、夏は川風が気持ちよく汗を乾かしてくれ、反対側に目を向けると、一段低くなっている田んぼが一面に広がって、実に爽快この上ない。私は毎週のようにこの道を走って滑川の何とかいう神社のところを右折し、県道79号に入って横芝へ抜けるルートをバイクで走っていた。後年、車の免許を取ってからは愛車のスズキカルタスに乗り、車のめったに通らないこの田舎道を激走していたのである。走ることがとにかく楽しかった頃だった。。4号の下道を仙台・青森から竜飛岬を巡って日本海沿いを戻って来たり、中央道で岡谷から敦賀・舞鶴を通って出雲まで行ったりと、随分日本中を走り回った。能登半島一周もして帰りに永平寺にも行ったっけ。その当時、私はまだ若かったし、事故るなんてことは考えたこともなかったのだ。ところが年を取って来ると、自転車に乗るのも「転んだらどうしよう」と考えたりして躊躇するから、人間って不思議なものである。中国で未だにバイクがノーヘルで OK というのも、国が若いって証拠なんだろうね、羨ましい限りだ。

4、医療崩壊は国民性か
第三波が来たと騒いでいる頃に、コロナ重症者用ベッドの空きが〇〇床とニュースに出てた。ところがいよいよ医療現場が逼迫してくると「そのうち使える病床は〇〇床しかない」などと事実が明らかになって来たのである。昔よく読んだ「山本七平」の本に出ている日本陸軍の本当にあった話だが、軍の戦備を確認すれば、戦車○両、榴弾砲○門、歩兵銃○丁、等などと威勢のいい数字を並べ、戦意爆上がりだがその実態はというと、実は壊れていて使い物にならないものも数に入れた「水増し数字」だったというのである。東京都の重症患者数が、全国基準と違ってICU数をカウントしていないとか、病床数は足りていてもそれに必要な医療従事者が不足しているので、「使えるベッドは半分」だというのと同じである。バカじゃないの?。見栄えの良い見せかけの数字をメディアに流して、何の意味があるのか。大方、まだ緊急事態を宣言するような状態には至ってない、と言いたいのだろうが、小賢しい小役人の浅知恵である。考えるに日本人は追い込まれると、伝統的にこういう「水増しを報告する体質」のようだ。ああ、いつになったら真摯に国民の幸せを考える政治家が出てくるのか?。こんなことがまかり通っていると、今に国粋主義的運動が起こってこないとも限らない。昭和の2・26事件は、そもそも国民の疲弊を憂いた、純粋な若者が決起したものである。戦争はいつも「正義への義憤」を身にまとって出現する・・・これ私の作った格言です。

5、人それぞれ
私の小学校以来の友人達はそれぞれ皆個性が違っていて、私なぞは最近やっと日本史の先生の「助手」という役柄がピッタリだと思うようになった。名誉や地位や財産に無関心で、それなりに専門の学問には真面目に探求する一面もあるのだが、浮気性で趣味もあれこれと広く浅く手をつける割に、どれも大したことないって感じの「引きこもり男」である。人付き合いは殆ど興味がないので友人は少く、本を読むのが唯一の楽しみでもある(ゴルフと自転車とコンピュータとピアノは別だ)。学究肌と自分では思っているが、端的に言えば「これと言って何も出来ないダメ人間」と烙印を押されそうだ。部屋は自分で片付けられるが、綺麗好きでは全然ない。食べ物には無頓着だが、イヤホンに8万もかける変人だ。もう少し社交的になればと思うのだが、殆ど家にいてテレビが友達だから人が寄り付かない。せっせとブログに投稿などして過ごしているので、少し狷介な性格のようである。SN氏は性格が明るくて話が上手く、威勢のいい肉屋の親父といった風情の外交的な人気者である。小学校の頃から人間関係が得意で、そのまま大手建設関係のやり手営業部長になり活躍、退職後はいまでもゴルフ仲間を掛け持ちしては、楽しく人生を謳歌しているエネルギッシュな男なのだ。ところが意外なことに、この歳で本を良く読んでいるのには感心した。本が読めるということは色んなことに興味があるということだから、まだまだ頭脳明晰の証拠でもある。こういう人を文武両道というのだろう、見習わなければ。一方で、SY氏は寡黙な職人といった風貌がぴったりである。こないだ会社を定年退職したが能力と経験の豊富さを買われて、大型施設の安全検査会社で辣腕を発揮している。その温厚な性格は若い後輩にも慕われていて、仕事への情熱も変わらず持ち続けているというから何とも頼もしい。最近お二人共に孫が出来たみたいで、好々爺に一層の磨きがかかったようで微笑ましい。残るIK氏は大企業の部長まで勤め上げた成功者だが、何だか今思うと野心家の町内会の役員という感じで、えらく羽振りの良い印象だった。定年前に同期の役員レースに負けてからは、ご両親の介護にも疲れたらしく、我々とは疎遠になってしまった。どうも難しい性格のようで、何かというと「バカヤロー」と話を折るのが口癖の男だったが、今は人生の切り替え時なのかも知れないから、そっとしておこうと思っている。はてさて、どうなるのだろうか。まあ、私が言いたいことは非常にシンプルな法則で、人それぞれ、自分の身の丈に合った生活を送り、人生を味わい楽しむことが一番だということだ。それが自然に逆らわない、落ち着いた優雅な生き方に通ずるのではないだろうか。「人それぞれ」、いい言葉である。


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