明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

(火)文化:読書の勧め(6)永井荷風

2021-02-23 21:51:32 | 芸術・読書・外国語

私は元来、小説は読まないたちである。もともとフィクションは好きじゃないのだ。唯一刑事アクション物はたまに読むが、それも英語の勉強を兼ねて「洋書」を読む程度である。ジョン・グリシャムやジェームス・パターソンなどは、往時私の通勤時の愛読書であった。最初に洋書にはまったのは、ジョン・グリシャムの「法律事務所」である。それから洋書の面白さにのめり込み、随分と色んな作家を読み漁った。中でもデビッド・バルダッチの「目撃」はマジ面白くて、最後の100頁ぐらいは一気に読み切った程である。ちなみに英語の本と言ってもこの手のエンタテイメント系は筋書きが大体予想できるので、それほど苦労することもなく読めてしまうのだ。だから私はこういう本を読むときは、一切辞書を引かないことにしている。確かに辞書を引けば字句の正確な訳は得られると思うけれど、多少すっ飛ばしても「大筋で間違うこと」は殆ど無い。それで辞書を引かないスタイルがすっかり身に付いたというわけだ。それに電車の中で洋書を読んでいると、ちょっと優越感に浸れる(時々外人が英語で何か聞いてくるので困るが、ヘッドフォンをして聞こえないふりでやり過ごすことにしている)。パトリシア・コーンウェルの「検屍官」シリーズも面白かったが、こちらは読み進めるうちに何だか怖くなってきて、途中で止めて、その翌日読むことにした記憶がある。フィクションなのに入れ込み過ぎだと言われそうだが、英語で描写されると妙に緊迫感が伝わってくるから不思議である。他にもマイケル・クライトンやディーン・クーンツなど、神田駿河台下の書泉グランデの洋書売り場でよく買っていた。最近は東京駅八重洲ブックセンターがお気に入りである。今はバルダッチの「FALLEN」を読んでいるが、今年はブログにかかりっきりなので中々読むスピードが上がらない。というか年を取って急激に読書スピードが落ちたように思う。これ、何かヤバイんじゃないかって不安に思ったりするが、癌にでもなっていたらどうしよう・・・。まあ心配してもしょうがないから、ゆっくりじっくり読むことにしよう。

こないだ日曜日に久し振りに柏駅モディのジュンク堂に寄ったら、買う予定になかった永井荷風の「随筆集」が目に留まり、面白そうなので上下1440円をお買い上げした。戦後の小説家では大学時代に森鴎外と永井荷風の全集を買ったきりで、それ以降小説は一切買っていない。二人共洋行帰りの作家だが漱石もそうだから、この当時はそれ程特別なことでは無いのかも知れない。島崎藤村や北原白秋や石川啄木などの詩人に、谷崎潤一郎とか志賀直哉とか芥川龍之介のほか、宮沢賢治・川端康成・太宰治など、名のある作家は殆ど全部「読まずに生きてきた」のだから、私の人生は小説とは縁がなかったのだろう。小学校で森鴎外の「安寿と厨子王」を読んで以来、ポロポロと読み齧るぐらいで殆ど誰の作品も読まずに過ごし、外国文学もドストエフスキーの「罪と罰」を大学時代に一晩で読み切ったのが私の読書歴では最後だったと思う。私はどちらかと言うと、小説より「詩歌」の方に興味があった。大学二年の頃、真夏にクーラーの効いた新宿図書館に通っては、ゲエテやギリシャ詩歌集などを筆写したりして一端の詩人気取りになり、ボオドレエルやランボーやマラルメなどを読み耽っていた夢膨らむ時期があったのである。今となっては懐かしい思い出だが、年をとっても詩人になるというのは永遠の夢として心に持ち続けたい(流石、永遠の夢追い人め!)。そのうち大学のオーケストラ部に入って人がやっていないビオラパートをこなし、ベートーベンのピアノコンチェルト4番やブラームスの交響曲3番、シューベルトの9番グレート(今は8番というらしいが)など演奏して、それなりに芸術に親しんだ学生生活を送っていた。というか、全く人生設計も無く、ぼんやりと青春を過ごしていたのである。

勿論そういう学生に相応しく、実際は卒業したらごくごく普通のサラリーマンになり、コンパやキャバレーにうつつを抜かす社会人生活を送り、可もなく不可もない人生を送るところだった。それがどういう訳か「NECのコンピュータ」を自費で買い込んでBASICプログラミングに熱中した辺りから急に人生が花開いて、時代のデジタル化の波にも後押しされ、その後は定年で年金受給者になるまで「殆ど誰からも文句言われないで仕事を任される」自由気ままな生活を送ることが出来た。つまり、私以外にコンピュータを使える人材がいなかったのである。私はデジタルの知識はそれほどなかったが、商品の在庫管理にデータベースのノウハウを活用するアイディアにかけては、今でも「一流」だと思っている。まあそれはそれとして、その傍ら「読書」は一番の趣味となり、50代も過ぎた辺りから「生涯の愛読書」も生まれてきたのである。

ちなみに私の愛読書は
1、堀田善衛「定家嵯峨野明月記・上下」・・・平安時代に生きるとは
2、堀内民一「大和万葉旅行」・・・心の原風景を尋ね歩く旅日記
3、小松英雄「徒然草抜書」・・・古典の読み方を一から教えてもらう本
4、古田武彦「邪馬台国はなかった」・・・古代史の隠された真実を暴く
5、山本七平「空気の研究」・・・日本人的思考の非論理性を考える
6、「大鏡」・・・歴史の事実の面白さを追体験する
7、「平家物語1ー4」・・・平家の栄華を哀惜する一大オペラ
8、「法然上人絵伝:上下」・・・古今第一の宗教改革者の伝記を読む
9、「中国名詩選・中」・・・詩人とは何かを教わる
10、メルシエ「十八世紀パリ生活誌上下」・・・西洋の驚くべき風物詩

だいたい以上だ。見事に「現在の私」を形成している本ばかりである。いずれも「考えることだらけ」の名著である。

今は古代史研究に邁進する毎日だが、この方面の研究は遅々として進まない。と言って、気長に構えるには私の人生は余りにも時間がない。読書も年間20冊も読めれば良いほうだと思っている。何とか文庫一冊300頁ぐらいを3日で読めないものだろうか。

という訳で、読書スピード・アップ大改革作戦を考えてみた。
a. テレビは朝のニュース以外は見ないようにする・・・時間を無駄にしない
b. 布団に入ってからラジオを聴かないですぐ寝る・・・睡眠をしっかり取る
c. ゴルフ練習は週2回まで・・・適度に運動して体力を確保
d. 毎日ドトールかエクセルシオーネに行って、100頁読むまで帰らない・・・読書は日課にすべし
以上である。

どうせ皆んな三日坊主になるだろうが、何れか一つでも改善できたならだいぶ読書量が増えるのではないかと期待している。とにかく「どうでもいい時間潰し」が多すぎたのだ。去年はコロナ禍でまるまる棒に振ったから、今年はせめて「本を読む」ことで埋め合わせしたいものである。まずは手始めに肩慣らしとして「永井荷風」を読むことにする。永井荷風は作家の中では「私のテイストに合った」人という印象がある。きっと同じような性格ではないかと思うのだ。その私の直感が当たっているかどうかは、この「荷風随筆集」を読んで確かめたい。チラッと数ページ読んだ限りでは「うむうむ」と同感するところが多々あった。はたして読み終わる頃には荷風の印象がどう変わっているか。2月中には読み終わりたいから、これから「しゃかりき」になって読む所存である。もし上手く読了できたなら、その時は当ブログで報告するからご期待あれ。


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