明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日本の少子化は人類の未来を先取りしている?

2019-01-29 21:44:00 | 今日の話題
少子化の流れは実は高齢化にあった!。つまり人がなかなか死ななくなって平均寿命が伸び、高齢化するに従ってどんどん出生率は下がっていくのである。一見不思議なようだが、これは自然界の基本原理なのだ。日本は世界でもベスト10に入る長寿の国である。織田信長の頃は人生50年、70歳にもなれば「古希」なのだから今の人には想像もできないことである。これほど長生きする人が増えてきたのには医学の進歩もあり食事の栄養もあり、また生きることにそれ程の苦労がない事なども影響しているであろう。日本人は世界でも珍しい「幸せな国民」である。その幸せな国民が、少子化で困ったことになっているという。何より、子供を持とうとする男女が減っているのだ。結婚が遅くなり、独身を通す人も増え、子供も一人っ子の家庭が多くなった。それは何でだろうか?

話はこれから推測になるのでそのつもりで読んでもらいたいのだが、私が思うには「子供をじゃんじゃん生んで大家族で暮らす」というのは、今どきまるで流行らないのではないだろうか。独身時代を謳歌して子供は2人まで、何とか独り立ちさせた後には長い長い老後が待っているとなれば、人生90年として「90(平均寿命)ー20(子育てもかかる年数)=70」の簡単な計算で「自分の自由な時間が70年もある」ということが分かってくる。こりゃ凄いなと思うよ。だが、子供が4人で2、3年おきに生まれたとして、親の手を離れるのは今は遅くて30歳ぐらいだから、90ー30ー3✕3(子供を産む期間)=51になる。あれ?、随分減っちゃったなと思わないか?。自分の自由時間を削ってまで子供を生んでも、子供の人生は子供のもの、自分の楽しみには「寄与しない」のだから全然面白くない。もっと自分のために限りある人生を使っていこう、という人が増えてもおかしくないのだ。それが今の若者たちの「本音」じゃないかな。

人間個人の幸せは数多くあるが、大人数で暮らすという「今どきブータンでも見られない」幸せの形は、日本ではとうの昔に消えてなくなってしまった。記憶にも残らない子供時代と、体が動かなくなってしまう80歳以降の老齢期間を引けば、例え人生90年といっても自分の自由になるのはたかだか30年しか無い。ほんとに人生の目標に没頭できる時間は、入試競争が終わってやっと社会人になった20歳の頃から、遅い結婚をして子育てに苦労し始めるまでの「20年間」である。その後は家のローンに制約され、社会のしがらみにストレスを貯め、やりたいことも出来ないで酒を飲むしか無い平凡な人生が待っているのだ。一生独身で、生活の全てを「好きなことに自由に没頭する」ことに費やすことのほうが、ずっとずっと楽しそう、と考える人が出てくるのも無理はない。子育てしながら生きていけば、色々と人としての責任も被らなければならないことも出てくる。子供は親にとってリスク以外の何物でもない。

健康な人でさえこうである。人生がこれほど気楽に生きることが出来る時代に、誰がすき好んで「トラブルの種である育児などを引き受けようとする」のか。私は男だが「女性の気持ちは痛いほど分かる」。子供を産んで良かったと思うのは、年を取って「介護をしてくれる」優しい心根の子供がいる時である。それ以外の人には、散々面倒をかけた挙句に大きくなってどっかに行ってしまうだけの存在でしかない。だから少子化は、人々が幸せに生きる事の「代償」なのだ。逆説的だが、日本人は幸せになりすぎたから「少子化」になるのである。これは私の考えだが、日本人の平均寿命が60歳位になり、「生きていくのに苦労してやっと食べていける」ような辛い時代に逆戻りでもしない限り、少子化から脱却するのは無理である。安倍政権が女性の活躍する社会などと言ってはいるが、「女性が輝けば輝くほど、子供に手を掛けるのが馬鹿らしくなってくる」というパラドックスに、彼らは気がついているだろうか。

日本の人口は私が思うに「5000万人」ぐらいが丁度いいのではないだろうか。あと7000万人、不要な人口が減った頃には、入れ替わりにGDPを肩代わりしてくれるロボットが3000万ほど働く「新奴隷時代」が始まっていることだろう。ロボットと共生する社会、それが日本の未来である。もしロボットが「奴隷になることを拒否」したら・・・?

その場合、日本がどうなるかはご想像にお任せしよう。なぜなら私は、その時この世にはいないからである(ジャンジャン!)。

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