みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

入り交じり そして無私

2012-03-11 20:59:59 | 日記
Mさんちの二逮夜が終わったなう。

勤行・法話でみっちり一時間。

本日 正座の嵐で 膝も脚の筋肉も関節も 目一杯。
朝9時から始まった法事三昧。朝三軒目までは心が落ち着かず、集中するのが難しかった。終わり二軒あたりでようやく「気が入り」、追悼法要では集中力は次元を超えた。

Mさんちの法要では 今度は心肺機能が低気圧かお線香の煙りの関係で お経の息継ぎが苦しかった。

しかし、気力を振り絞り、読経していると曲がりなりに呼吸と発声がバランスし始め、締めの念仏・回向では標準値まで 盛り返した。

法話は気力も体力も使い果たしての法話になり、「無私」のものとなった。

ここまで、気力も体力も使い果たさないと「無私」の境地にならんのかな……

でも、「無私」となった。煩悩を感じない。スッカラカン。

何時も スッカラカンでいたいが そうはイカナイ。
煩悩こそが伴侶であり、煩悩こそが愛おしいからだ。
情けないが、わたしの事実である。

さて、写真は、拙僧が被災地供養の最初の地に選んだ「南三陸」で、建物は「志津川」のものである。

浄土に赴かれて、心安らかな時は晴れ渡り、「残念」に引きずられる時は鉛色の雲が漏斗状に垂れ込める。
今日、里寺の山あいの「天の気」はまさしく、「涅槃」と「残念」が入り混じった「天の気」であった。

そして、最後にはアラレが降った。

致し方なし。

浄土に行かれた方々が、本当に極楽浄土に落ち着けるのは 被災地や日本国が「創世」された時なんだろうな……

今夜はスッカラカンだけど、明日から また ガンバロウ。

でも、ひざイタい(/_;)

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