昨夜、二逮夜があったMさんちのNおばあさんから、白菜と大根をもらったので白菜炊きにして食べた。拙僧の大きなおなかは白菜でパンパンになった。子供の頃、白菜が大嫌いで(野菜全般かな)おかずや鍋になると「なんで、こんな白い草くわなアカンねん」と憤慨していた。それが、白菜ばかりでも、美味い、美味いとたらふく食べるようになったのは、大人だからか、いやしいからなのか?でも、とりたての白菜は美味かったぁ。
白菜をいただきながらNHKの特集を見ていた。
屋根に乗っかって十数キロも漂い、2日後に自衛隊のイージス艦に発見された新川さんがインタビューされていた。
どんな人が助かったんやろう?幸運な人がおるもんやなぁ~ よっぽど日頃の行いが良いか、何かに護られている人なんだろ?と気になっていた。
はたしてその人は、新川さんという初老のオジサンだった。
ぼくとつとして 東北なまりをおさえながら、出来るだけ キチンと一生懸命、話そうとする姿と人間性に「ええ人が助かって良かった~」と 僧侶らしからぬえこひいきな感情を持ってインタビューに聞き入った。
話しを盛らないし、飾らないし、ひたすらぼくとつとした話しぶりだが、話しの内容は「奇跡」の描写であり、「神」の存在を示し、「愛」が伝わってくるものだった。
音楽の業界で、芸能の世界で、政治の世界で、それらの内幕を悲しいほど知る拙僧にとって、「作為的」な事には いたって敏感である。
しかし、奇跡の新川さんの体験談と感想は全く作為の無い「奇跡の物語」だった。
大津波が新川さんの家を襲った時、彼は奥さんに「屋根に登れば大丈夫」と声かけた。
結婚以来、ずうっと新川さんを信頼し続けて来た奥さんは 彼に続けて二階にあがり、轟々と押し寄せてくる真っ黒な大津波から逃れようとした。
新川さんの腰に巻きついた奥さんの手は 濁流となった黒い津波に力を奪われ 新川さんが気づくと 奥さんの姿は見えなくなっていた。
二階の屋根に登りきった新川さんは恐怖に震えながらも、鉄板で出来た屋根にしがみついた。
いろんなものが、木っ端みじんになるなか、彼の乗っかった「屋根のいかだ」はどんどん沖合に流されていった。
見渡す限り、悪魔的な漆黒の海の中にポツンと1人。
3月の東北沿岸の海はまだまだ寒い。空腹も悲しみも容赦なく襲ってくる。飲み物は偶然持っていた栄養ドリンク2本。
しかし、曇り空から星が瞬く空となったひとりぼっちの夜の寒さは たまらない。
その時、どこからとなく掛け布団が屋根のいかだにたどり着いた。
オマケに濡れていない。何故なんだ?おかしい…ショックのあまりに感覚がおかしいのか? いや違う。本当に乾いた掛け布団が 流れ着いた。
ヘルメットも、いざ何かを書き残すメモ用紙も、屋根のいかだにやってきた。
誰に護られているのだろう?何に導かれて ここにいるのだろう?
自分の状況や津波にのまれた最愛の奥さんの事を考えると、寂しさや悲しみがとめどなく こみ上げてくる。
「絶望」
もう 駄目かも知れない……意識朦朧となっていく
そんな時、何かがやってくる。
何だろう?
ん?光だ! それは見たことも無かった「青い光」だ。
柔らかくて 優しい光。新川さんを慰めるように、癒やすように、青い光が新川さんを取り囲む。
不思議な光に魅入りながら、まどろみながら新川さんは 理解した。
「あぁ、この光は亡くなった家内だ。彼女に違いない」
「私を見守り、導き、勇気づけているのだ、この青い光はっ!」
そう思うと 生きる希望が湧いて来た。
「生きよう!絶対生きよう!生きて、妻が生きた証を、この大津波のことすべてを語り継ごう」
いつの間にか希望を与えた優しい光は どこかに消えた。
「生きよう!」もう、大丈夫だ。
翌朝 まばゆいばかりの朝日が建築材や日常品が散在する海を照らした。
がんばるぞっ!絶対生きるんだ!
しかし、取材のヘリコプターや何処かに急ぐ船舶は新川さんに気づかなかった。
そんなとき、陸地の沿岸で大爆発が起こった。上空高く立ち上がる灰色の煙り。
場所といい、方角といい福島の原発に違いなかった。
「あーっ!放射能大丈夫だべかっ?」
風は海から内陸部へと吹いている。こっちは大丈夫だけど、内陸は大丈夫だろうか?
絶対生きるんだと決めた今、新川さんの気持ちも頭も冷静になっていた。
時間が経ち、ちびりちびりと飲んでいた栄養ドリンクも無くなった。
寒風が吹き荒ぶ海上では体温も体力もどんどん奪われていく。
しかし、水分だけはとらないと死んでしまう。海水は飲んだら致命的だ。逆に喉が渇いてたまらなくなる。決心して自分の小水を口に含んだ。抵抗感と寒さでかじかむ手ですくい飲むのは至難であった。
おーぃ!おーぃ!呼ぶ声が聞こえる。
見上げると自衛隊のイージス艦が新川さんを目掛けてやってくる。
「こんなときは自衛隊が一番たよりになるわ」
助け上げられた新川さんはゴムボートの中で号泣した。
ただただひたすらに泣いた。
「ありがとうございます」 「ありがとうございます」
何度も感謝した。
助けてくれた自衛隊員に、命を浮かべて助けてくれた屋根の筏に。
そして希望を与えてくれた あの「青い光」に。
今や新川さんは、そのぼくとつとした誠意ある語り口で、大震災の語り部として一生懸命 いつも何処かで話している。
NHKのアナウンサーは「青い光」の話を聞いておきながら、その意味合いを新川さんが話そうとしたとき、カットインもしくはスルーした。
拙僧はスピリチュアリストでも無ければオカルト信奉者でも無い。
しかし、絶望の淵から生還した人たちが伝える「光」の話と その「力」と その「奇跡」を信じる。
「青い光」はある時はマリアさまに見え、絶望の深淵から生還した兵士には聖ジョージや聖ルカに見えただろう。
拙僧がよく認(したた)める「南無阿弥陀仏」の阿弥陀さまは別称「無碍光如来」とも。
限りなく有り難い光の仏さまと訳せばいいのか…
導くのは光だし、不思議な「光」は絶望した人たちを導くのだ。
新川さんがみた「青い光」は きっと「奥さんの愛」だったのだろうと思う。
新川さん、「奇跡」と「希望」を普通に話してくれて「有り難う」
あなたの話しを 色んなところで話していきます。
ところで、ブログ読者の皆さん。「青い光」は「ホタルイカの群れちゃうかー?」なんて突っ込んだらアキマヘンよ
新川さんの本気に入り込むまで、拙僧は「ホタルイカやでぇ」なんて突っ込んでませんから。ハイ
白菜をいただきながらNHKの特集を見ていた。
屋根に乗っかって十数キロも漂い、2日後に自衛隊のイージス艦に発見された新川さんがインタビューされていた。
どんな人が助かったんやろう?幸運な人がおるもんやなぁ~ よっぽど日頃の行いが良いか、何かに護られている人なんだろ?と気になっていた。
はたしてその人は、新川さんという初老のオジサンだった。
ぼくとつとして 東北なまりをおさえながら、出来るだけ キチンと一生懸命、話そうとする姿と人間性に「ええ人が助かって良かった~」と 僧侶らしからぬえこひいきな感情を持ってインタビューに聞き入った。
話しを盛らないし、飾らないし、ひたすらぼくとつとした話しぶりだが、話しの内容は「奇跡」の描写であり、「神」の存在を示し、「愛」が伝わってくるものだった。
音楽の業界で、芸能の世界で、政治の世界で、それらの内幕を悲しいほど知る拙僧にとって、「作為的」な事には いたって敏感である。
しかし、奇跡の新川さんの体験談と感想は全く作為の無い「奇跡の物語」だった。
大津波が新川さんの家を襲った時、彼は奥さんに「屋根に登れば大丈夫」と声かけた。
結婚以来、ずうっと新川さんを信頼し続けて来た奥さんは 彼に続けて二階にあがり、轟々と押し寄せてくる真っ黒な大津波から逃れようとした。
新川さんの腰に巻きついた奥さんの手は 濁流となった黒い津波に力を奪われ 新川さんが気づくと 奥さんの姿は見えなくなっていた。
二階の屋根に登りきった新川さんは恐怖に震えながらも、鉄板で出来た屋根にしがみついた。
いろんなものが、木っ端みじんになるなか、彼の乗っかった「屋根のいかだ」はどんどん沖合に流されていった。
見渡す限り、悪魔的な漆黒の海の中にポツンと1人。
3月の東北沿岸の海はまだまだ寒い。空腹も悲しみも容赦なく襲ってくる。飲み物は偶然持っていた栄養ドリンク2本。
しかし、曇り空から星が瞬く空となったひとりぼっちの夜の寒さは たまらない。
その時、どこからとなく掛け布団が屋根のいかだにたどり着いた。
オマケに濡れていない。何故なんだ?おかしい…ショックのあまりに感覚がおかしいのか? いや違う。本当に乾いた掛け布団が 流れ着いた。
ヘルメットも、いざ何かを書き残すメモ用紙も、屋根のいかだにやってきた。
誰に護られているのだろう?何に導かれて ここにいるのだろう?
自分の状況や津波にのまれた最愛の奥さんの事を考えると、寂しさや悲しみがとめどなく こみ上げてくる。
「絶望」
もう 駄目かも知れない……意識朦朧となっていく
そんな時、何かがやってくる。
何だろう?
ん?光だ! それは見たことも無かった「青い光」だ。
柔らかくて 優しい光。新川さんを慰めるように、癒やすように、青い光が新川さんを取り囲む。
不思議な光に魅入りながら、まどろみながら新川さんは 理解した。
「あぁ、この光は亡くなった家内だ。彼女に違いない」
「私を見守り、導き、勇気づけているのだ、この青い光はっ!」
そう思うと 生きる希望が湧いて来た。
「生きよう!絶対生きよう!生きて、妻が生きた証を、この大津波のことすべてを語り継ごう」
いつの間にか希望を与えた優しい光は どこかに消えた。
「生きよう!」もう、大丈夫だ。
翌朝 まばゆいばかりの朝日が建築材や日常品が散在する海を照らした。
がんばるぞっ!絶対生きるんだ!
しかし、取材のヘリコプターや何処かに急ぐ船舶は新川さんに気づかなかった。
そんなとき、陸地の沿岸で大爆発が起こった。上空高く立ち上がる灰色の煙り。
場所といい、方角といい福島の原発に違いなかった。
「あーっ!放射能大丈夫だべかっ?」
風は海から内陸部へと吹いている。こっちは大丈夫だけど、内陸は大丈夫だろうか?
絶対生きるんだと決めた今、新川さんの気持ちも頭も冷静になっていた。
時間が経ち、ちびりちびりと飲んでいた栄養ドリンクも無くなった。
寒風が吹き荒ぶ海上では体温も体力もどんどん奪われていく。
しかし、水分だけはとらないと死んでしまう。海水は飲んだら致命的だ。逆に喉が渇いてたまらなくなる。決心して自分の小水を口に含んだ。抵抗感と寒さでかじかむ手ですくい飲むのは至難であった。
おーぃ!おーぃ!呼ぶ声が聞こえる。
見上げると自衛隊のイージス艦が新川さんを目掛けてやってくる。
「こんなときは自衛隊が一番たよりになるわ」
助け上げられた新川さんはゴムボートの中で号泣した。
ただただひたすらに泣いた。
「ありがとうございます」 「ありがとうございます」
何度も感謝した。
助けてくれた自衛隊員に、命を浮かべて助けてくれた屋根の筏に。
そして希望を与えてくれた あの「青い光」に。
今や新川さんは、そのぼくとつとした誠意ある語り口で、大震災の語り部として一生懸命 いつも何処かで話している。
NHKのアナウンサーは「青い光」の話を聞いておきながら、その意味合いを新川さんが話そうとしたとき、カットインもしくはスルーした。
拙僧はスピリチュアリストでも無ければオカルト信奉者でも無い。
しかし、絶望の淵から生還した人たちが伝える「光」の話と その「力」と その「奇跡」を信じる。
「青い光」はある時はマリアさまに見え、絶望の深淵から生還した兵士には聖ジョージや聖ルカに見えただろう。
拙僧がよく認(したた)める「南無阿弥陀仏」の阿弥陀さまは別称「無碍光如来」とも。
限りなく有り難い光の仏さまと訳せばいいのか…
導くのは光だし、不思議な「光」は絶望した人たちを導くのだ。
新川さんがみた「青い光」は きっと「奥さんの愛」だったのだろうと思う。
新川さん、「奇跡」と「希望」を普通に話してくれて「有り難う」
あなたの話しを 色んなところで話していきます。
ところで、ブログ読者の皆さん。「青い光」は「ホタルイカの群れちゃうかー?」なんて突っ込んだらアキマヘンよ
新川さんの本気に入り込むまで、拙僧は「ホタルイカやでぇ」なんて突っ込んでませんから。ハイ