みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

七草事始めは巳のりの日

2013-01-11 12:57:50 | 日記

31年ほど前に東大阪市の玉櫛にある「公団玉櫛西住宅」に住んでいた。駅は若江岩田か花園を使っていたような…

何故だか記憶が曖昧だ。

玉櫛と言うところの歴史を後に知ったが、玉櫛は玉櫛の荘とも呼ばれ 江戸時代に大和川の流れ換えが行われるまで大和川流域の河川運搬拠点だった。その運搬権と荷役の仕切りをやっていたのがご先祖さん(楠木一党)であった。正確に 言うと母親の出所であり、妹(観阿弥の母)の住居があったのだ。

知らず知らずの内にDNAの呼び声のまま、拙僧は居を玉櫛に構えたのかも知れない。
ロックスターを夢見てアルバイトしていたのは神戸菊水町一丁目にあった「夢野ガソリンスタンド」だった。

菊水町にもご先祖さんユカリの場所が数々あり、スタンド真近の「会下山」は楠木正成公が憤死した場所であるし、楠木正成公を祀る「湊川神社」も灯油配達区域にあった。

先ず、ガソリンスタンドがあった「菊水町」の「菊水」自体が拙僧家や楠木一党の家紋である。

神戸出身のニューオリンズスタイルのブラックボトムプラスバンドをサポートしていたが、彼らの事務所も芦屋市の楠木町で楠木正成公が陣をしいた場所だった。

つまり、拙僧は知らず知らずのうちに DNAユカリの土地や場所を巡っていたのだ。

その場所、場所は訪れる前から良く夢見ていた場所でもあった。


今は工場が林立する東大阪市の玉櫛地区もかっては水運業の要所で、荘園に相応しい土地だったにちがいない。

楠木正成公の居城があった河内の千早赤阪村出身の上赤坂くんが、ナニワエキスプレス時代のローディで、拙僧がマネージャーだったのも不可思議過ぎるエニシである。

上赤坂くんは今やヒビノ音響の名オペレーターとなった。

不可思議、不思議なエニシ(縁)に彩られる「引っ越し場所」

ブログ読者の皆さんも住んでる場所や以前に住んでた所の歴史を紐解くと自分にまつわる不思議なエニシが発見されるかも知れません。

懐かしさに浸りつつ、そんなことを思いつつ、花園駅近くの元三和銀行に行き、凍結口座の解約をする。今は三菱東京UFJ銀行になっている。

駅前には激安・激ウマの店が点在する。揚げたてのコロッケが旨い 持ち帰り専門箱寿司屋のバッテラも美味。オマケに和牛切り落としが100㌘たったの158円 豚より安い。カレーライスの肉にしたら超美味かった

もう、花園や玉櫛に住むことはないが、昔に住んでいた場所がとても心和む場所で、ご先祖さんともゆかりがあり、今の私と不思議に繋がっていたり、ましてや好きになったラグビーの聖地、花園ラグビー場があるとなれば、コレからも度々訪れることになりそうだ。

高速を使わず、帰りは玉櫛→八尾→藤井寺。七草事始めの締めは七草粥じゃなく「かすうどん」の「KASUYA」で「かす大盛うどん」


美味いっす河内のソウルフード「あぶらかす」入り「かすうどん」

事始めの1月7日は 高校ラグビー決勝に誘われて
ゆったりとゆっくりとじんわり、しみじみと味わい、味わい深い事始めとなった。

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