松永和紀blog

科学情報の提供、時々私事

義父の死と物質循環

2008-11-20 02:36:01 | Weblog
 入院中だった義父が先週木曜日に亡くなって、この4~5日間、夫の実家で「お嫁さん」をしていた。松永というのは私の旧姓なので、プライベートでは名前からして違う。さらに、喪服を着て夫よりも一歩下がって付き従うとか、エプロンをしておさんどんをする、というような生活。
 義父を失った哀しみはあるのだが、私の普段の生活とあまりにも違うので、なんだかコスプレをしているような気分だった。そんなことを言うと、お姑さんから怒られますね。

 夫の実家は富山にあり、いろいろな風習が興味深かった。もっとも驚いたのは、亡くなってから初七日まで、お坊さんが毎日家に着てお経をあげてくださる、という習わしだ。説教もして下さる。その内容にびっくりした。

 「体の大部分は水分なので、燃やされることで蒸発しますよ。今日の雨の中に、その水分が混じっているかもしれません。体の中にあった炭素は、二酸化炭素になって空気中に戻っていきますよ。人の体を作っている物質は、生きている間は次々に交換されているのです。お骨は、たまたま死ぬ間際に体として持っていて、焼いた後も残った物に過ぎません」。
 お坊さんはそう言うのだ。とにかく、驚いた。なんだか、科学読み物を読んでいるようではありませんか!
 
 聞いていたのは義母と義弟と私たち夫婦の計4人。たった4人に、お坊さんが真剣にこういう話をしてくださる。そして、死ぬと体も心もなくなるが、心は残された者たちの胸の内に刻まれるという。故人が残してくれた心の記憶を大切にして、残された人は生きなさい、と言うのが説教の内容だった。

 私の日々の生活はまったくの無宗教なのだが、日本の宗教の厚みを感じた。地方にはまだこういう生活が残っているのだ。