ワカキコースケのブログ(仮)

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レーニンとジョンとバエズと~聴くメンタリーVol.Ⅲのリスト

2017-02-05 23:18:19 | 日記


また、ブログに蜘蛛の巣(60日更新しないと立ち上がる広告)が生えていた。

イベントの告知もしなかったのに、セットリストの報告はブログで上げる。すっかり活用法がおかしくなっている。個人事業(フリーランス)の発信用に始めたのだから、いろんなものの見聞を、さっさと書くクセがつくようになればいいんだけど。

そう、クセというか、自分の中の回路の問題ね。
実は僕は、けっこうなメモ魔で、中学2年から見た映画は全部、感想をノートに書いていた。30代の後半ごろから、たまに評や記事を書く仕事をもらうようになり、アウトプットとのバランスが取れなくなったので、あきらめたのだが。読んだ本と聴いたレコードについては、今でも感想メモを必ず付けている。

これをいちいちアップすれば、たちまち、コンスタントに相当量の記事をアップする凄腕ブロガーになれるのだが。
感想はあくまで、人には見せない個人練習(部屋でやるバットや竹刀の素振りのようなもの)という考え方がすっかり自分の中に根付いていて、なかなか、公開練習に踏み切れない。

(あとで触れますが)最近、レーニンについて、にわか勉強した。ビギナーのガイド役になってくれたのは、『世界の名著52 レーニン』(1966・中央公論社)に収録の、江口朴郎「レーニンと現代の課題」。
江口朴郎先生がスイスイ説く、革命におけるボリシェヴィキの功罪(指導力に優れ、しかし少数精鋭主義が禍根を残した)のどこがどう面白く、ためになったのか、書き留めておくだけで6000字近くになった。
メモとはいえ、ここまで書けばさすがに公開しないと勿体ないよなー、という気もするし、人に見せないのが粋なわけじゃん、とも思う。なやましいところです。

さて! 昨日、2017年2月4日。東中野・ポレポレ坐での「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー atポレポレ坐 Vol.Ⅲ」が無事、終わりました。http://webneo.org/archives/41377



集客には、まだまだ、まだまだ課題があります。「興味ある」とわざわざ声をかけてくださった人ですら、まだ、3割もお客様に出来ていないのが現状。
当日になって仕事が長びいた、風邪をひいてしまった、という人は、それはもう、仕方ないのです。アテにしていた人が来られないのが増えると痛い、というこちらの事情そのものが、問題なのですね。母数を増やせていないのですから。

ではどうするか。えー……がんばります。聴くメンタリーを。切り口を変えて、映画の上映付きにしようとか、そういうわけにもいきません。

Vol.Ⅲでかけた盤の、セットリストと内容です。

『座鬼太鼓座(1977・ビクター)
A-1「大太鼓」

節分→鬼のお面で入場→鬼といえば鬼太鼓座?……多少は強引でしたが、威勢のいい演奏が鬼おどりによく合ったので。

佐渡の芸能集団・鬼太鼓座の演奏を収録したこのLPは、たまたま、数年前に買っていたもの。ちょうど今、彼らを題材にした1981年のドキュメンタリー映画『ざ・鬼太鼓座』が劇場初公開中なので、少しは有効利用できたかな。

ついでに。僕はこの映画、1989年の東京国際映画祭で見ている。
当時はギンギラギンのカイエ派かぶれ、シネマテーク青年だったもので、「加藤泰の未公開作、加藤泰の幻の作品……!」と握りこぶしを固めて見すぎてしまい、ずいぶん中身を取りこぼした気がする。気軽に再見したいです。


『園遊会 昭和四十七年~五十三年春』(1978・CBSソニー)
A-4「昭和四十八年春」



前回、評判が良かったので『園遊会』を再び。昭和四十八年春の、

・坪井忠二 東京大学名誉教授(地震学)
・今西錦司 岐阜大学学長(霊長類学)
・渡辺文子 教母(宮城県立さわらび学園)
・本田晋 剥製製作
・市丸 歌手

のブロックをまとめて聴いてもらった。
大学のえらい先生が相手だと淡々と「あ、そう」のみにとどまる陛下が、剥製ひとすじ本田さんにはあからさまに食いつきがよくなる“ロイヤル・タモリ倶楽部”振りについては、連載である程度、起こしています。
http://webneo.org/archives/41260/4


『LENIN SPEECHES RECORDED 1919-1921』(1959・※ロシア語のレーベル)
A-5「ソヴィエト権力とは何か?」
A-2「第三共産主義インターナショナル」

労働者がペトログラードに集まり、帝政打倒を叫んだのが1917年2月23日。都の帝政を守っていた兵士が一気に労働者側に寝返る反乱が起きたのは27日。革命家が考え、期待していたよりも早く、しかも突発的にロシアの「二月革命」が実現してから、100周年ということで。

前回まで受付嬢をやってもらった外語大のミカさん(今回は残念、海外へ)に紹介してもらい、日本とロシアのハーフの女子大生さんに翻訳をお願いした。翻訳を配布資料にして、レーニン自身が吹き込んだ演説を聴いてもらう。絵ヅラ的には、代々木系も最近はやらないんじゃないかって位にコテコテの勉強会だった。

聴くメンタリーは、自分に興味が無い分野でも、珍しくてなおかつ廉価(「レア物」と珍重すらされていないもの)であれば、とりあえず気にする。このレーニン演説レコはまさにその典型だったが、買った以上は多少なりとも、レーニンのにわか勉強をしとかないといけなくなる。
で、にわか勉強すると、どうも、レーニンの言っていること、および彼の理論のベースであるマルクス主義は、単に「左翼」と決めつけて敬遠するのは勿体ない気がした。もっと普遍的な考え方ではないか、という話をさせてもらった。


『シェイヴド・フィッシュ~ジョン・レノンの軌跡』
(1975・東芝EMI)
B-1「イマジン」

ジョン・レノンの、初めてのベスト盤より。聴くメンタリーなのになぜか音楽で、しかも大ネタ過ぎて誰もどうしようとか思わない曲。

多くの労働者と農民が搾取する少数を倒し、民主主義革命の成功させた時、我々は社会主義への道を歩き出すことができる、と熱く説くレーニンの著作を少しずつ読むと、ところどころでどうしても、「イマジン」の歌詞っぽい……と感じた。当時のジョンなら、“子どもでも歌えるマルクス主義”を裏テーマに仕込んだ曲作りを、やっていかねない、と思った。
それで、「イマジン」の歌詞をマルクス主義風に訳し直し、レコードをかけながら演説するパフォーマンスをさせてもらった。

「Imagine all the people」を、「想像したまえ、世界の人民諸君!」なんて。ある意味ではオレ、そこらのパンクスよりもパンクだったぜ!

……さすがに、賛否両論あった。「意訳を通して作品に内在するメッセージを抽出する批評的試み」と言えば言えるのだが。まあ、(あーあ、なんか思いついちゃったのね)ということで、スミマセン。


『日本の郷愁 失われゆくものの詩二 四季の野鳥たち(不明・リーダースダイジェスト)
A-1



ここは実質、トイレ・タイム、ドリンク注文タイム。今回は自然音が少ないので、前回に引き続き、カワガラス、ヒバリ、ウグイスの鳴き声を聴いてもらった。春も、もう近いですからね。


『クール・アイランド』クスコ(1982・ユピテル)
A-2「アントラクティック・コンティネント」
A-3「ペンギン・ダンス」



ここより、バラエティ・コーナー。
氷山の写真のジャケットをお見せして、これぞ大自然の聴くメンタリー!と煽った上で聴いてもらった、米独混成のよく分からない音楽グループによる、北極と南極のイメージ・アルバム。50円だったのでホイホイ買ったら、喜多郎をうすーくした、平凡な楽曲集だったやつ。笑ってもらったので、よかった。

会場では特に言う気にもなれなかったが、このクスコって連中、調べると他にも南の島、インカ文明などをテーマにしたレコードを出しているらしい。テキトーだなあ。
かつての細野晴臣(中沢新一と対談したりしてた頃)がワールド・ミュージックにアプローチする方法論として唱えた〈観光音楽〉の一環、と好意的に捉えようはある……んだけど。

あ、ただ、フラハティのあれ、『極北のナヌーク』の上映に合わせると、ピッタリ似合いそうなのは面白い。

さらに、ついでになるが。
サイレント映画の上映会を個人がやる時は、どうせなら、いつまでも柳下美恵さんにばかり頼らず、場面に合ったレコードをかける“活動プレイ”があってもいいのに、と思っている。誰も考えつかないなら、一度、試しに自分でやってみたいな。
例えば、伊藤大輔の『忠次旅日記』なら、落魄無念の忠次の表情や、漂泊する一家のロングショットに、ずぶずぶのデルタ・ブルースや初期のライ・クーダーを当てる、みたいなことです。


『宝塚グランド・ロマン/ベルサイユのばら(不明・東宝)
冒頭の場内アナウンス

レコードに発売年のクレジットは無いのだが、1974年の、伝説的な初演を完全収録した盤。
場内アナウンスのみ、聴いてもらった。ザワザワした場内に、ジリリリ……と開演ベルが鳴る。そのフンイキがね、良くって。今、舞台を収録したビデオが発売されても、カットされることが多く、意外と記録として残らない部分だと思うので。

「カルピスソノシート/声のアルバム お兄さま編」(1965・カルピス)
「外人落語“ガマの油”」
「ウルトラ珍奇いびき選」
「大トラ小トラ収容所」

歴史的人物の貴重な声を収録した「お父さま編」、美智子さまの婚約会見などを収録した「お母さま編」など、5枚組のソノシートから、ユーモラスな音を集めた「お兄さま編」を。

聴くメンタリーの参考にさせてもらいまくりの、高円寺円盤・田口史人さんの著書『レコードと暮らし』(2015・夏葉社)によると、「宣伝用に配布されたレコードの中で最も有名」な盤。

いびきのレコードが聴きたい、と先輩の奥さまにリクエストされてしまい、弱っていたのだが、ここにあってホッとした。ただし、藤村有弘がおもしろおかしいナレーションで(そうだ、『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョを演じた人、と言えばよかった)、変わったいびきを楽しく紹介するのだが、実は咽頭部や食道の病気の患者のサンプル、という笑えないオチがついてしまう。

その分、予定にはなく、間違えてかけた、日本留学中のパキスタン人による「ガマの油」が、ウケが良かったのは、ささやかなケガの功名でした。

今回、一番笑いを取ったのが「大トラ小トラ収容所」。警視庁鳥居坂保護所、通称トラ箱で、泥酔紳士たちがオダをあげたり歌ったりする声を収録したもの。
オッサンしょーがねーなー、という感想しか出てこない、確かに罪なく笑って聴けるレコードだ。
ただ、権利みたいのはどうクリアしていたのか。そもそも、許諾も得ていないんじゃないか、と謎だらけの録音ではある。


『空襲下の北ベトナム〈現地録音でつづる北爆の記録〉(1968・日本コロムビア)
A-1「ハノイ空襲」
A-2「歌いながらはた織る娘」
A-9「兵士たちと談笑するホー・チ・ミン大統領」

なんにせよ現場録音モノは面白いですよねフフフ……とつなげる振りして、後半は、楽しいとは真逆の現場録音モノを。
後にベトちゃんドクちゃんの独占取材などで知られる日本電波ニュース社。そこからの特派員が1967年にハノイで録音し、本多勝一が解説を書いた、ガチで北ベトナム側にコミットした聴くメンタリーだ。

空襲サイレンが鳴り、飛行音と爆撃音が響き、音が遠ざかり、しばらく無音に近くなったと思ったら、突如、爆発音と、対空の銃声音が轟く。
特派員が、おそらく防空壕から動けないまま録音機を回していたノーカットの音声を、7分近く、黙って聴いてもらった。

実は昨日から今日の段階で、一番反響が大きかった盤で、特に女性からは複数、「あまりにもリアルに身体に響いてしまった」など、ヴィヴィッドな感想をいただいた。レコードだから耳で聴いて想像するしかない分、喚起されるものはキツいのである。
僕が「シリアの人は、アレッポの市民は、こんな音の下にいたんでしょうね……」などと、水を向けるまでもないことだった。

北ベトナムの建国の父、ホーおじさんの声は、前半のレーニンとの関連で。
海外で学んでいた青年ホー・チ・ミンが、フランス共産党に入党し、初めて政治活動に身を投じたのは、1919年。
いみじくも、レーニンが第三共産主義インターナショナル、つまり各国の共産党が支援し合うコミンテルンを結成したのと同じ年なのだ。

こういうつながり―ホー青年がパリで見た自由の夢と、晩年の祖国での泥だらけの戦い―に気付くと、その途端に僕の中で、NHK大河ドラマ『獅子の時代』で使われた、ダウン・タウン・ファイティング・ブキウギ・バンドの「OUR HISTORY AGAIN―時の彼方に―」が流れ出す。明治になっても薩長に抗い続けた、銑次(菅原文太)のテーマ。もう、そういう身体のつくりになっている。
それでね、ちょっとでもね、ホーおじさんの声を聴いといてもらいたかった。

ロシア革命はあくまでロシアだけのことでなく、ヨーロッパ、ひいては世界のプロレタリアートに権利を与える革命のスタートである。これがレーニンの考え方だった。レーニンの死後、スターリンは(超かみくだいて言えば)〈結局はうまくいったのは我々だけなんだから、東側諸国はソヴィエトの指示に従っておればよいのだ路線〉を進め、いろいろと、いろいろと、曲がってしまうことになる。
そんな中でベトナムは、プロレタリアート解放と、民族解放が切り離せない、独自の戦い方をすることになった。ここらへんは改めて勉強し、この『空襲下の北ベトナム』は連載で詳しく紹介したいと思っている。


『戦争が終わったとき』ジョーン・バエズ(1973・A&M)
A-2「私に励ましの言葉を」
B-1「息子よ、今どこに」



ただでさえ偏っていると思われても仕方ないセレクションになっているので、いっそのダメ押しのようにクライマックスは、バエズの、これこそ、モロの反戦レコードを。
A面はふつうに、よく出来た音楽アルバムなのだが、B面はワントラック丸々、20分以上を使った、北爆下のハノイの録音ルポなのである。『空襲下の北ベトナム』の4年後だ。

今は、ジョーン・バエズも説明が必要な人だ。会場では「ざっくり言うとですね、ボブ・ディランの元カノです!」と言ったのだが、ざっくり過ぎちゃって、やはりさらに言葉を足す必要があった。この盤も、かなり強力なので、改めて連載でつまびらかに紹介したい。
(『ドント・ルック・バック』や『ラスト・ワルツ』などで、なんかちょっと音楽ドキュメンタリー映画の方面でも大物になっちゃっている元カレへの、真摯で強烈なアンサー……という読み方が、グイグイ出来るのである)

ベトナム戦争の最中の、ただでさえCIAから睨まれてそうなバエズのハノイ取材は、教会の牧師の同行者となることで可能になったみたい。
しかし、ここでバエズは、録音に手を付けている。
空襲サイレンが鳴る現場音や現地の人との会話を巧みに編集し、ピアノの伴奏とともに見聞を語る、リーディング・レコードの手法を取り、要所要所で、あの美しい声で「息子よ、今どこに」と歌う。

つまり、サウンド・ルポルタージュでありつつ、現地録音を使った音楽作品でもあるという、なかなか他に例の無い作りなのだ。
バエズはここで、自分はジャーナリストではなく、歌手なのだ、というアイデンティティを賭けている。肉を切らして骨を断つようではないか……と、僕は相当に感じ入ったのだが、相談役の大澤一生は、ドキュメンタリー映画のプロデューサーとしては、引っかかるものがあるそうだ。北爆下の市民の肉声も個人の表現の素材にする。そこにエゴがありやなしや、と。
それも、ナルホド、確かになあ……と思ったので、壇上で紹介させてもらった。意見が割れるドキュメンタリーは作品として健全である、という弁証法的実感に基づいて。

そうそう、「B面を聴くと、A面の曲の歌詞も、ふつうのポップスじゃないのが分かります」と、いつもアシスタントをつとめてくれるこばやしかずきが、打ち合わせの時に気付いたのだった。どれも内省的。もしかしたら、ハノイ取材の反響で作られたのかもしれない。

当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)』ザ・フォーク・クルセダーズ(1968・東芝)
B-1「帰って来たヨッパライ」
B-9「悲しくてやりきれない」

ここより、おしまいのあいさつ。
フォークルが、ただでさえアナーキーな「ヨッパライ」をデビュー当時のザ・ビートルズ風にシャレで編曲・演奏すると、さらにパンキッシュになる。そんなところに、ベトナム戦争下の“気分゛は多分に交じっているのでは……なんてことを、いかにも後付けの理屈で話したが、実際のところは、あいさつの後に「悲しくてやりきれない」を終演BGMにしたかった都合です。

「悲しくて」は、客席との合唱が、なんとも爽やかで。カバーが多いこの名曲の中でも、本人たちによるこのライヴ・バージョンが、特に好きな録音だ。
以上。


ふだんは、左右どっちかに偏るのは苦手、と言っているのだが、自然と、こんなリストになった。
これが、いつ「国民主権」すら政治的偏向発言だと言われかねない、2017年初頭の、僕の“気分”だってことみたい。

ネトウヨさんは意見が凝り固まっていて、人の話をホント聞かない場合が多いので、うんざり。
リベラルなみなさんも、リベラルなのに物言いが断定的・強制的な場合が多く、パヨクと揶揄されてもしょうがないところが。
どっちも……なんてぼやいていること自体が、もうイヤになってきている。生産性が無い。
プロレタリアート同士がいがみ合っている状態を、ブルジョワジーは何よりも歓迎する。なぜならば不満の矛先がこちらに向かないから、と説くマルクス、レーニンの言葉を聞くことは、今、すごく有益じゃないか、と。

結局は、少しずつ譲り合って、仲良くやろうよお、と、いつも言っていることに戻るんですが。 



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