ワカキコースケのブログ(仮)

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なぜかいきなりオフコースの『We are』をマジで聴き直すの巻

2015-03-28 08:03:58 | 日記


去年の晩秋に、このブログで「唐突だが、甲斐バンドについて語るの巻~『この夜にさよなら』を中心に~」を書いた。
その第2弾です。〈当時は女子どもに大人気だったものだから、音楽通の男性にゴキブリのごとく嫌われ、現在に至っても全く批評の対象にならないグループのアルバムを虚心で聴きなおす〉シリーズ。定期的にこういう、なんの得にもならない散文を書きたくなる。

音楽通の男性は大半がアマノジャクであることを誇りとしている。そこで、甲斐バンドやオフコースを真面目に冷静に吟味するという、もう一ひねりの意外性によって、さらに裏をかいてやろう、と狙ったわけでもない。

単純に、最近中古レコード屋の100円コーナーで見つけて、四半世紀振りぐらいに聴いたら、思いのほか良かったのだ。
「ミーハーと言われようと、いいものはいいのだ!」式の、ファンのひいきの引き倒し以外の文章が、もうちょっとあってもいいだろうと考えた。


アルバムの話の前に、ざざっと、オフコースのヒストリーについて、リアルタイムを思い出しながら整理してみます。
僕は、第3期の途中まではほぼ全部聴いている。中学生の頃、オフコースの存在は絶対だった。


【プレ期】

[1964年]
小田和正、鈴木康博ら高校の同級生4人で結成。大学進学後も、メンバーは3人になるなど変動しつつ、アマチュア活動を続けフォークの大会に出場。

[1970年]
「ジ・オフ・コース」名義で、シングル「群衆の中で」でデビュー。ただし、曲は職業作詞家の作品。

【第1期】

[1972年]
名義から「ジ・」を取り、小田(キーボード)、鈴木(ギター)の2人編成となる。

[1973年]
ファースト・アルバム『オフ・コース1/僕のおくりもの』発売。

※2人組の時は、小田の内省的・心象風景的な作品と、鈴木の(当時のフォーク歌手らしい)人生論的な作品が交互に、が特長的。時にはその個性が混じり、入れ替わるところもあったので、サイモン&ガーファンクルみたい、と素朴に感じていた。いずれにせよ、秋や冬の曇り空がよく似合う、寂しくて、しかしベタッとしたところのない音楽だった。

[1975年]
シングル「眠れぬ夜」がスマッシュヒット。
[1976年]
レコーディングとコンサートに、大間ジロー(ドラムス)、清水仁(ベース)、松尾一彦(ギター)が固定して参加するようになる。バンドのサウンドに、だんだんなってくる。
[1977年]
名義が「オフ・コース」から「オフコース」に。


【第2期】

[1979年]
正式に5人メンバーになる。
シングル「さよなら」がオリコン2位の大ヒット。一躍、全国区の存在になる。

※当然のように、僕がオフコースの存在を知ったのは「さよなら」から。ただし小学6年生には、出会いも別れもへったくれもないので、ラジオでかかると、さびしい気分になるからイヤだなー……としか思わなかった。でも、それまでの歌謡曲はもちろん、当時大人気のグループ、アリス、ゴダイゴとも感触の違う人たち、だとだけは分かった。

[1980年]
アルバム『We are』、初のオリコン1位を獲得。
[1981年]
シングル「I LOVE YOU」、アルバム『over』発売。
[1982年]
日本武道館、連続10日間公演。

※78年のアリスの武道館3日間公演に続き、ニューミュージック(ロック系の音楽に親しんだ歌謡曲以降の演者とマーケット)が大型動員を成功させた先駆例。当時、事件のような扱いで新聞記事になっていたのを覚えている。

シングル「言葉にできない」「YES-YES-YES」、アルバム『I LOVE YOU』
TBSで特番『NEXT』放送。

武道館の最終日を撮ったフィルムコンサートOff Course Consert 1982.6.30全国上映開始。(北海道にも来た。ポスター貼りなどを手伝ったのが、店の手伝い以外では人生初のアルバイト)

※1982年はもう、オフコースを中心に世界は回っていたんじゃないか、という気さえする。中学校のなかで人気投票をしたら、優等生から不良、体育会系から文系まで取り込めるノーブルな幅の魅力によって、1位は間違いなくサザン、松山千春、近藤マッチ、聖子、明菜を抑えてオフコースだっただろう。(僕も勘違いしかける時があるのだが、リアルタイムをよくよく思い出すと、達郎、大滝、RC、中島みゆき、ユーミン、浜田省吾が中学生のところまで“来る”のは、もう、ほんのちょい後だ)

※「I LOVE YOU」の間奏には、ジョン・レノン射殺報道のニュースを英語で読み上げるナレーションが入る。一般の人も多数参加してのコーラスは「ヘイ・ジュード」そっくり。それに『NEXT』は『マジカル・ミステリー・ツアー』をヒントにしている……といった情報と評判によって、ザ・ビートルズとも同時にドカドカ出会わなくてはならなかった。ヘタしたら、今より忙しかった。

※ただ、人気があったから、だけでそんなにはハマれない。オフコースの歌は、なんというか、恋愛に対してマジメだった。おずおずとした、傷つきやすい、臆病なところを率直に形にしていた。田舎の中学生が素直に心を寄せやすかった。

当時、学校で唯一バンドを組む先輩(この人のヒーローはザ・スターリンの遠藤ミチロウ)を慕って、弟分よろしく、よくケツをくっついて歩いていたのだが、ある日、僕と同じクラスの子が好きだと打ち明けられた。その子は、僕が好きな子だった。ゴジラのイラストが進研ゼミの会報に載ったのを見つけて「うまいね」と声をかけてくれた子。目の前が暗くなった。
それを言えないまま、先輩の電話番号を伝えたり、2人が放課後に会えるよう段取ったりした。「うまくいかなかった」と先輩に電話で鼻水声を出された翌朝、「かわいそうだ、もう一回会ってやってくれよ」とつい頼んでしまった。その子は「あんたなんか大嫌い!」と急に大声を出し、朝のホームルーム前の教室で泣き出した。

……うわー、久々に思い出した。自分、中学の時からダメだったんだ。でまあ、こういうダメ男子には、「女々しい」とも言われた小田さんの切ない恋の歌の塩梅が、ピッタリだったのです。「今夜お前を抱きしめて~」位に直截な歌詞をうたう人は、生々しすぎる&まだまだ共感しようがない、ので遠かった。


【第3期】

[1983年]
鈴木が脱退。4人メンバーになる。
[1984年]
アルバム『The Best Year of My Life』

※この後は、端折ります。4人になってからは、きらびやかな当時流行りの(大仰な)ロックサウンドが中心になり、それはそれで安定した人気を保っていたが、僕はしずかにフェードアウトした。1989年の解散を知った時も、心はほとんど動かなかった。

ソロになってからの小田の「ラブ・ストーリーは突然に」(91)を初めて耳にした時は、小田さんは遂にヤキが回ってしまった……と本気で思った。かつてみんなに愛された繊細さを、厚化粧で自分で塗りつぶしていると感じた。現在に至るまで、この曲をアタマからオシマイまで通して聴いたことが1度も無い。それがアレヨアレヨとミリオンセラーになっていく。前はオフコース好きだった、と、人に言えなくなったのはこの頃からだ。
その後、J-POPの総帥みたいな立場になってから以降は、ほぼ近づいていない。

今は、ふたたび求められるのなら、今度は自分からしっかり時代と寝てみせようと覚悟を決めたプロ根性、理解はできるのだが。

ふう。ここまで思い出して、ようやく、今回聴いたアルバムの話に。


『We are』オフコース

LP/1980/東芝EMI


傑作、と、とりあえず僕は言い切る。けっこう、びっくりした。

これはさすがに音楽評論家全員が無視はできないだろう、と『レコード・コレクターズ増刊 日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100 1960-1989』(2010 ミュージック・マガジン)を引っ張り出してよくよく確認したが、『We are』だけでなく、オフコースのどのアルバムも選外だった。まあ、だからといって文句はありません。

前述したように、小田・鈴木と実質は一緒に活動してきた3人のサポートメンバーが、ジャケット写真に顔を出す正式なメンバーになり、セルフプロデュースの『Three and Two』(79)を発表、続いて「さよなら」が大ヒットした後の、2枚組ライブ盤を挟んで勢いにメチャメチャ乗っていた時のアルバム。

僕が一番好きなアルバムは、この『Three and Two』だ。それまでは試し試し、な印象があったロック寄りのサウンドが、はっきり、これで行こう、と打ち出されている。小田さんとヤッさんが軸なのは変わりないが、グループの音になっている。CDで買い直して、未だにヘビーローテーション。だから、僕の日本ロック/フォークのオールタイム・ベスト10枚には入るだろう。

なのに『We are』以降は、さっぱり買い直していなかった。リアルタイムでは、ここから急に、微妙にとっつきにくい雰囲気になった、と思っていた。実はそこがキモだった、と今回久々に聴き、クレジットとレコーディングデータを見て、よく分かった。

端的に言うと、ミキシング(歌や演奏のバランスの最終調整およびOKテイクの編集)を、アメリカで行うようになった。
依頼した相手は、ビル・シュネー。代表作多数の人。特に、スティーリー・ダンの『彩(エイジャ)』(77)、『ガウチョ』(80)。とんでもない。スティーリー・ダンやった人が音の仕上げだったんだ。

ニューヨークの業界のVIPが参加している。だからどうだ、オフコースはいいんだぞ、なんて単純なことは言いません。
なぜなら、『Three and Two』も素晴らしい。ビル・シュネーが入ったからオフコースの音は急によくなった、ではないからだ。『Three and Two』のエンジニアは蜂屋量夫(りょうじ)。サディスティック・ミカ・バンド『黒船』(74)を手掛け、オフコースの後には寺尾聰『Reflections』(81)でミリオンセラー……という、これまた国内ではトップクラスの人。

蜂屋は『Three and Two』で、オフコースのこれまでの魅力であり最大の武器であるコーラスと、バンドのダイナミズムを等しく同居させ得ている。フォーク畑の人たちがロック寄りになる時の宿命的ぎこちなさを、オフコースがうまくクリアしているのには、蜂屋の貢献は大きいだろう。

さらにこの頃のオフコースは、小田と鈴木を中心に、スタジオで長い時間をかけて音を合わせ、コードを決め、アレンジを組み立てる方法をとっていた。強力なプロデューサーにイニシアチブを取られるのではなく、自分たちで音を作っていた。要するに、本物のバンドだった。
(『over』でのレコーディングのようすは、NHK教育で1982年に放送された若い広場『オフコースの世界』で見ることかできる)

これだけは、ロック精神論の男たちに「オフコースなんて、ナヨナヨしている、くだらない奴ら」といつまでもミスリードされているわけにはいかない、特筆しなきゃいけないことだ。

その上で、『We are』。

「時に愛は」(小田)
ベース、ドラムがしっかり重い。ブルース成分があるんだから、びっくり。ギター・ソロはかなりの比重。コーラスも厚い。5人のバンドとしての安定感がすごく強調されている。

しかし、これだけ音の重さを前に出しているのに、どこかヒンヤリした雰囲気がある。『Three and Two』のアグレッシブな、はつらつさを大事にしている感じからすると、音の構造が緻密なのだ。緻密を重ねて、結果シンプルにしている。そこらへんが、ああ、スティーリー・ダンっぽいとなる。フェイゲン&ベッカーの、あの気持ちよくも沈静的な音世界。こっちに通じるなら、中学生の時、急にとっつきにくくなった、と感じるのは無理もない。

その上で、小田さんの詞らしい、離れることもあった女性との、辛抱強い愛。

「僕等の時代」(小田)
これは2人時代らしい、素朴な雰囲気のサウンドだ。キーボードがメイン。
しかし、かなり男っぽい歌詞。婉曲なようだが、実は前世代との断絶、70年代への訣別を直球で歌っている。ここを当時、男で汲み取ろうとする者がおそらく、ほとんどいなかった。そこがオフコースの不幸。

「おまえもひとり」(鈴木)
詞は鈴木ヤッさんと清水仁の共作。仁のベースがよく唸っている。この人のベースは手数が多い気がするし、UKの湿り気がある。
ヤッさんらしい、友達をいさめる説教ソング。おなじみの路線が、このアルバムではややハマりにくくなっていることに気づく。

『We are』と次作の『over』のタイトルを並べると、We are over.こういう形で、解散の可能性が示唆されていた、という説は後で知った。鈴木はすでにこの頃、脱退の意思を持ち、小田はそれを聞かされてはいたらしい。

1982年に出た写真集Off Course―1969~1982』(新興楽譜出版)に、

「俺達(3人)が正式にメンバーになった時、小田さんは相変わらず素っ気なくて、ヤッさんはいろいろ気配りしてくれた。だからメンバーにすると希望したのは、ヤッさんなのかと思っていた。後で、実はそうしようと言ったのは小田さんで、ヤッさんは消極的だったと知り、驚いた」

大意ではそういう意味のインタビューが載っていたことを、思い出す。

ここらへんのグループの難しさ、全てケース・バイ・ケースだろうけど、分かる気はするよね。特に小田さんとヤッさんは高校からの同級生。違うメンバーが入って、という時の。

だからといって、ヤッさんは投げてはいない。仁と作詞を共作したりして、5人のオフコースの努力をしている。でも……、正直、「歴史は夜つくられる」「SAVE THE LOVE」のスケールの大きさで小田さんの世界と拮抗し、『Three and Two』を名盤にしたのと比べると、ヤッさんの曲はそんなに強くない。『We are』がすごくいいのに、もう一越え、すぐに最高作と言いずらいのは、それもある。

「あなたより大切なこと」(小田)
小田さんが、この時点では、らしくないことに挑戦している。歌詞はストレートで浅い。それをリフレインにして、ベースとドラムがよく跳ねている。つまり、サウンドのほうが主役。キーボード(初期シンセサイザー)のソロも、ゴダイゴのミッキー吉野みたいに、めまぐるしくも派手。小田さんが、それぞれバンド経験のある3人からロックを吸収する過程の曲。

また、いわゆるライヴ向きの曲、とも言える。ハコが大きくなったことに応じたものを作ろう、が意図ならよく分かる。

「いくつもの星の下で」(鈴木)
ヤッさんの曲の主人公はこの前から、同一のキャラクターみたいなところがある。友達に説教しつつ、いつも片思い、の純情で不器用な男。(名曲「ランナウェイ」のような例外もあるけど)。

ここでようやく思いは遂げられた、と感じさせつつ、これも詞をよく聞くと、せつない求愛なのだった。ストリングスが鳴り、70年代後半AORの良さ。

「一億の夜を越えて」(鈴木)
B面1曲目も、ヤッさん。安部(あんべ)光俊が作詞。ああ、そういう人はいた。ヤッさんがプロデュースしていた人(現在も活動中)。

しかし、作詞作曲に外部の人が入る例は、最初期を除けば他にはここまで無いのでは。ほとんど鈴木さんのソロ。コーラスにも、小田さんは加わっていないのでは。フクザツ……。

「せつなくて」(松尾)
松尾がソロを取る曲の最初。ビートルズにおけるジョージのポジションのスタートだ。昔から、ジワジワといい、と感じていた。今も、全く同じ感じ。つまり、いい曲だ。
仁のベースがやはり活き活きとよく爆ぜている。シュネーは、曲ごとに楽器の主役を据えて音の構造を決定している節がある。だから、シンプルなのに一本調子にならない。
こっちは、小田さんのコーラスなんだよな……。

「Yes-No」(小田)
「さよなら」ほどではないが、これも当時、そこそこヒットしたと思う。

「好きな人はいるの?/こたえたくないなら
きこえない/ふりをすればいい」

2人時代と比べたらサウンドはガラッと力強くなり、カラフルになりつつ、やはり、今一歩、踏み込めない男の歌。小田さんの描く恋は、溺れられない人の、臆病な恋だ。もともとは建築家になるかどうか悩んだ、ガキの頃から音楽一筋!と言い切れなかった人の、冷静さ、明晰、それゆえの。

70年代の半ばごろ、心象風景ばかりの歌詞だから、もう少し情景描写も入れろとディレクターに言われて……と小田さんが語るのが印象的だったのは「情熱大陸」だった。(井上真央が取材するコンセプトのやつ。もうずいぶん前の気がするが、確認すると2012年の放送だった)

それでも、

「ああ時は音を立てずに/ふたりつつんで流れてゆく」

波でも夜でもなく、時。心象ここに極まれり。そのぶん、古くなりにくい。

「私の願い」(小田)
「Yes-No」の元気の良さのあと、演奏の音数をギリギリまで絞った、静かなこれ。
今の小田さんのソロはほぼ聞いていないが、CMソングになっているものは耳にする。この曲の延長線上なのだろうか。

「君が笑うと/ただわけもなく
僕はうれしくて
ことば切なく/とぎれて切れる」

これまた、不器用な男、「好き」って言う前に「お前の好きってホントか」と自問してしまうタイプの、おずおずとしたじれったい恋だ。自分は棚にあげて言うが、五代くんみたいだなあ。

去年だったか、友人のライター皆川ちかさんとあれこれダベっていたら、ちかさんが急に、

「あ、分かった。『めぞん一刻』に女性読者が多いのは、登場する男性キャラクター全員が女性に優しいからですよ。マッチョな男はひとりも出てこないでしょ。あのパンチパーマのキャバレーの店長ですら、フェミニスト。そうだ、だからですよ!」

とひとりで感心し出してポカンとなったのだが。確かにそうだ。そうして、高橋留美子のあの漫画の連載開始とこのアルバムの発売は、1980年の秋。ほぼ同時期なのだった。

「きかせて」(小田)
このアルバムがもともと地味な印象だったのは、この曲で終るから。『Three and Two』などのように、B面のクライマックスでは盛り上げ、そしてコーダ的な小品で締めるプログレッシブな構成が、オフコースのアルバムらしさなところがあったので、これで終ると尻切れトンボな印象が。

ところが、よくよく聴くとこれは、この時点でのオフコースの、楽曲面ではベスト。これもブルース(黒人のモロでなく、白人が咀嚼して都会的なサウンドにした後の、な意味でだが)がベースにあり、スティーリー・ダンっぽさ満点。
そう思わせるだけの、5人の演奏(仲良くそうできた、非常に珍しい存在であり、時期)。リズム隊が相当なものなのだ。なぜか評価されないけれど、仁と大間ジローって実は凄い。

そして、物足りなかった小田と鈴木のコーラスが、この曲ではたっぷり。
自分たちのセルフプロデュースと演奏に、相当な自信があったから、この曲で終れたのだろうと思う。同時に、ここが5人としてのピークなのも今では知っているから、過渡期の緊張感かとも思う。

ウーム。こうなると、『over』も聴きなおしてみないことには。
ファンの方でここまで読んでくださる方がいたら、持ってないのか!と叱られそうなオチです。


 


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8 コメント

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きかせて (オフコースファン)
2015-12-03 15:39:36
>その子は「あんたなんか大嫌い!」と急に大声を出し、朝のホームルーム前の教室で泣き出した。


好きだったんですね、その子。
ワカキコースケさんのことが。
それなのに、どうでもいい先輩と付き合ってやってくれなんて言われて、泣いちゃったと。

「きかせて」
すごく好きな曲です。
オフコースの中でベスト10に入るぐらい。
もしかしたらベスト3にも入るかも。
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Unknown (ワカキコースケ)
2015-12-04 11:08:23
コメントいただくの、久しぶり。ありがとうございますー。

どうなんでしょうね……タイムマシンにおねがいしたいです。
「きかせて」がベスト3に入るなんて、す、すごい感度のひとだな、と思いました!
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『over』の記事もお願いします (pxs06053)
2016-06-06 11:04:59
記事、楽しく拝見させていただきました。
最近、"we are"" over"のリマスタ盤を購入、30年ぶりぐらいで聴いています。
"over"の記事もお待ちしております。
ちなみに私も”きかせて”は好きです。
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Unknown (ワカキコースケ)
2016-06-07 01:14:49
pxsさま、コメントありがとうございます!そうか、リマスターが出たんですね。『over』聴き直す、よいチャンスかなー。
30年ぶりぐらいで…という長ーい時間をかけての新鮮さ、よく分かります!
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きかせて (Unknown)
2017-02-19 19:06:57
初めまして。勇気を出して、コメントさせて頂きます🙋
昨秋からずっとオフコースを聴いていますが、私の中では、きかせて がオフコースのベストワンです。不動です。2位が哀しいくらい、3位は現時点で、哀しき街(小田和正作詞、松尾一彦がボーカル)です。
きかせては、聴いても聴いても飽きず、ずっとずっと聴いていたくなる麻薬のような曲です、私にとって。ですから、お詳しい解説と分析を味わって読ませて頂きました。
小田さん、きかせてを歌ってくれないかなあ。と切望する今日この頃です(笑)。
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Unknown (ワカキコースケ)
2017-02-19 20:59:07
個人1位「きかせて」
2位「哀しいくらい」
3位「哀しき街」

うわー、なんていい順番でしょう!自分の中のこまやか~なところを大切にされてる方なんですね。

もしクラスの女子に、この順番で好きって子がいたら。「お、おまえ……オトナだな……」とまぶしかっただろうなあ。ステキです。

コメントありがとうございます!
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私の願い (ゴンザレス)
2017-12-10 16:00:12
✖︎言葉せつなくとぎれて切れる
○言葉せつなくとぎれて消える
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Unknown (Unknown)
2019-11-29 23:27:05
松尾一彦さんのオフコース初ボーカルは
「せつなくて」ではなく「この海に誓って」ではないでしょうか。
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