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ワカキコースケのブログ(仮)

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試写で見た映画(32)『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』と2冊の本(Ⅱ)

2024-07-18 04:35:55 | 日記



5月から公開の始まったドキュメンタリー映画『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』。その感想の続きです。
http://gewalt-no-mori.com/




長くなったので2回に分けたら、その間に書く仕事が続き、2ヶ月近く中断してしまった。
話の順番は、
1 原案となった本を事前に読んだあとの感想
2 映画を見たときの印象
3 原案本に出てきた本の感想
にしようと考えていて、前回は2番の途中まで書いた。それで、ちょっと気が抜けてしまってもいた。新作のレビューは分けて書く性質のものじゃありませんね。

特に続きを期待されてもいないけど、書いておきたいことをザザッとでも。
もともとは、3番の話を凄くしたかったのだ。


【映画を見て(2)】
試写で見てから約半年。前回の感想が中断してから約2ヶ月。時の篩はなかなかシビアで、もう滅多には『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』のことを思い出さない。
それでも、自分のなかで今もまざまざと蘇るもの、この映画が僕に与えた痕跡は何だろう?

改めて考えてみると、当時の時代状況やセクトの対立関係などをよく理解することは、優先順位の上位ではなかった。革マル派と中核派の違いが精密に分かっていないようでは、この映画をちゃんと見たことにはならない、という気には……どうしてもならなかった。

一応は春頃には、早稲田大学の歴史や校風なども理解しておく必要があるのでは、と考えたりはしていたのである。でも、早稲田のOBじゃなければこの映画のなかの証言のヒダヒダの部分が分からない、なんてことになったらますます、では大学関係者のみの上映会でどうぞという話になるだろう。気付いてしまって途中でやめた。

(ただ、尾崎士郎と浅沼稲次郎と室原知幸は大正時代の早稲田入学と卒業の時期が少しずつ重なることに気付いたのは……ちょっと、いやかなり興奮する発見ではあった。後に『人生劇場』の作者、日本社会党委員長、蜂の巣砦の城主となる若者が同じ時に、同じ大学に通っていたのだ)

そんな風にどんどん削ぎ落とされていくと、試写で見た時からネバッとした印象を持った証言が、僕のなかではいちばん強烈だったことに気付く。
リンチ殺人事件への抗議をきっかけに生まれた新自治会は、徹底した非暴力でいくか、身を守るための武装が必要かで対立するうち疲弊していった。そのうち夏休みに入ったため、新自治会の機能は停まってしまうに至ったという証言。

夏休みに入ったため。夏休み……夏休み!?である。
それまでの激しく強い言葉「闘争」「暴力」「武装」「テロ」「鉄パイプ」と、「夏休み」の落差。ブラックジョークとして聞けば相当に辛辣だし、内部の論理がいかにたやすく人間を視野狭窄にしていくかを、これほど痛烈に表現している言葉の落差もそうはない。僕はおそらく、ここにいちばん戦慄したのだ。

しかし、当事者だった樋田毅は、血なまぐさいキャンパスの状況のなかで全治1ヶ月の重症になるほど殴られ、しかしキャンパスから一歩出れば平和な街の日常が待っていることとのズレに苦しんだと、映画のなかで明かしている。
そういう学生にとっては「夏休み」は、冷静になるための有益な停滞時間だった。大学のなか=自分の所属する環境だけが世界ではない、ということだ。そして、秋に入っても大学のなかと世界が直結したままの者達はますます党派対立を激しくし、新たな死者を出してしまう。

当初はあまりに映画のなかで語られていることと乖離しているため、グロテスクにさえ聞こえた「夏休み」というキーワードが、実は当時の学生達に示された、唯一まっとうな価値観だったことに、僕は半年たってようやく気付いた。
夏休みは、アルバイトするなり旅行するなり、とにかく大学の=いつもの環境の外で何かやったほうがいい。これはいつの時代の学生だって同じことでしょう。

多少飛躍してこじつけさせてもらえば、代島治彦の一連の証言ドキュメンタリーも、大人になってから始めた〈夏休み(あるいは冬休み)の自由研究〉の趣きがある。
お兄さん世代の人達の話をたっぷりと聞きたくてやっている以上は、インタビューばかりでいいのである。代島監督作品はインタビューばかりで映画として工夫がない、なんてもっともらしい評は気にしなくてもいい。だって〈自由研究〉なんだから。

後半、仕事部屋か自宅の書斎に座って、目の前で友人を殴り殺された時の記憶を訥々と思い起こす人がいる。そのインタビュ―はインサート映像などによって分割されるのだが、再びその人の話に戻ると、日が落ちたために部屋はすっかり暗くなっている。
『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』の、最も映像面で感動させられる場面だ。それだけじっくりと、辛抱づよく話を聞いている。映像としての効果はその後に付いてきている。この順番なのがいい。

撮影は加藤孝信。僕のブログでは、ちょくちょくタカノブさんの名前が出てくる。別に親しいわけではない。むしろタカノブさんは、僕にそれほど好感は持っていないかもしれない。でも、それとこれは関係がない。それこそ、いい撮影だなあ、と素直に思ったらタカノブさんだった場合が多いとなる順番なのだ。
こういうことは、いわゆる党派性と違うありかたを示すために、わざわざ書いておく。

 

【原案本に出てきた本について】
前回も書いているが、この映画の原案となった『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(2021 文藝春秋)の著者である樋田毅は、本のなかで、キャンパス内暴力の蔓延に対抗する新自治会を立ち上げる過程で、フランス文学者/東京大学教授・渡辺一夫の著書をよく読んだと書いている。
渡辺が紹介する、中世ヨーロッパのユマニスム―宗教戦争の時代に和解と平和を説いたラブレーらによる人文主義に感激して、非暴力の考えの支えとしたという。

それで自分もぜひ読んでみたいとなり、該当する本を古書店で手に入れた。

『寛容について』渡辺一夫
1972年 筑摩叢書



この本自体は『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』のなかでは出てこない。結果的には映画の予習復習とは離れた読書になったが、凄くありがたかった。
タイトルでもう、切実に読みたくなっていたのである。SNSが、正しい意見を持つ人同士ほど激しく罵り合う場になり、これは一体なんなのだ、となってしまう春だったので。

カンタンに説明をすると『寛容について』は、筑摩書房から出た『渡辺一夫著作集』全12巻(1970-1972)から主な文を選び、一冊にまとめた圧縮版だ。音盤でいえばサンプラーみたいなものだが、僕のようにフランスの歴史や文学に疎い者には、これだけで十二分に濃厚な読み応えだった。

そんななかで特に目当てだった、1951年に書かれた文章「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか?」について紹介しておきたい。
ルビが付いているので、正確には「寛容(トレランス)は自らを守るために不寛容(アントレランス)に対して不寛容(アントレラン)になるべきか?」。

寛容が自らを守るために、不寛容を打倒すると称して不寛容になった実例がしばしばある。あるけどもそれは悲しい例であって、「これを原則として是認肯定する気持は僕にはないのである」と渡辺は冒頭から書く。
渡辺の結論は「極めて簡単」で、「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容たるべきではない」。その原則があれば、不寛容の横行はなくならなくても、その力を衰えさせることができる、と続く。

アンチ・エスタブリッシュメントの生理が強いほうな僕でも、今は、先達の言葉が聞きたいとよく思う。迷える仔羊を引っ張り、導いてくれるような強い言葉ではなく(そういうのが欲しい人のためにポピュリストは颯爽と現れるわけですが)、結論を急ぎたくない気持ちを肯定してくれる言葉。

なので渡辺一夫が、「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容たるべきではない」と宣言し、しかし「寛容は不寛容に対して常に無力で、敗れ去るもの」と言い切り、それでも寛容の武器は「ただ説得と自己反省しかないのである」と続けるのに、僕はいたく感動した。

寛容が不寛容に勝つ道や術を、全く教えてくれないんです。しかも、寛容チームに入ったら必敗の日々が待っていますよとすら言っている。世の中の売れる本と真逆。
つまり、こんなに信用できる文章はなかなかない。

文はさらに、ヨーロッパにおける不寛容の歴史を掘り下げていく。
ヨーロッパ中心に見る世界史は、キリスト教のローマ社会への憎悪から始まった歴史となる。やがてそのキリスト教のなかで、新教徒と旧教徒の激烈な争いが起こる。その長い不寛容の時代を反省し始めた時期がルネサンス期ではないか、というあたりは、よく分かっていないなりに物凄く興味深く、いずれ勉強する機会を持ちたいなと思う。

そう、あの、ズバリ「(宗教上の)不寛容」というタイトルの『イントレランス』(1916)は、サン・バルテルミ(聖バルトロメオ)の虐殺を主要エピソードのひとつにしていた。この事件は『寛容について』全体を通じて、「人類史の汚点」として何度も登場する。

「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか?」は、他にも、胸に刻んでおきたい言葉がわずか17頁の間に次々と出てくる。
「ローマ社会がキリスト教に不寛容であった時、殉教者が生まれる。殉教者は、相手の強力な武器となる」
「追いつめられた人間が、どれほど猜疑心に駆られ、やさしい心根を失うか」
「モンテーニュ曰く(『エセー』の1巻目)、自分と異なった思想を持つ相手を抹殺することは、むしろその思想を活かすことになる」
「不寛容に不寛容で報復するのは、寛容の自殺であり、不寛容を肥大させる。相手の不寛容をさらにけわしくする」
「不寛容のほうが、早く、烈しく、勇ましい。男らしい。寛容のほうが、時間がかかり、難しく、卑怯で女々しく見える。不寛容のほうが魅力的なのだ」

ただし。ここが一番重要で、一番難しい。
「誰でも寛容は口にできる。佐藤栄作もゲシュタポの長官も寛容を説いた。本当に寛容に近づける人とは、自己批判を自らすることができる人」

『寛容について』は、ラブレー、エラスムス、モンテーニュのようなルネサンス期のユマニスト(ヒューマニストの語源)、あるいはユマニストに影響を受けた思想家の考えを教えてくれる本だが、さらに時代をくだった後のトーマス・マンは、ユマニストが絶対に清廉で正しいと言い切れるわけでもないよ、と釘をさしているらしい。
なぜなら、ユマニストには「狂信主義を全て憎む潔癖さ」や「清濁あわせ呑むことへの嫌悪」という欠点があると。

トーマス・マンのこの注意を読んで、ドキッとなる人がいたら、その人は心のしなやかな、素晴らしい人だと思う。
僕も少しでもそうありたいので、なおさら自己反省、自己検討は忘れないようにしたい。

さて、『寛容について』を手に取った春から季節は変わり、夏になった。世の中は寛容を再び取り戻せているだろうか。
うーむ、という感じである。
これから〈新しい中世〉が世界規模でやってくること、新教徒と旧教徒の戦争が別の形で始まることは、可能性として考えておかなくてはならない。
いずれそうなったら……せめて僕は、『寛容について』をまた開こう。そしてこの本を読むきっかけを与えてくれた『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』が2024年に公開されていた価値が、公開当時よりも大きくなっていることも、少し考え直してみようと思う。

 


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