10月25日
「 目が開いた 」・・と、病院からの知らせ
実に134日振りのことである。
私の顔を見て
「 アッ、お父さん 」 ・・と
どれ程、安堵したことか
明日に希望が持てる・・・そんな想いを懐いての帰り途
千里北公園で観たるコスモス
風に・・・揺れていた
千里の途 4
コスモスは風に揺れていた
第一、 食べること
口から食事を取る
健常者にとっては、当然のこと
而し、悲しいかな・・此の当然のことができない
言語聴覚士・ST は此を助けるのである
セラピスト達の 『 本日のスケジュール 』 への書込みによると
10月1日(土) 11:30~12:30
昼食・・8割摂取しています・・ST
10月2日(日) 11:30~12:30
昼食・・30分で全量摂取しました・・ST
10月3日(月) 11:30~12:30
昼食・・30分で全量摂取しました
本日より夕食も開始です・・ST
一日の大半を眠って暮す生活
意識にせよ、無意識にせよ、装着した経鼻経管を抜かせない為に、
両手にはめたミトン・・・8月31日~10月17日の経鼻経管を取り除くまで使用した
ナースコールする為のリング、手許に置いたものの、練習したにも係らず、
一度も、自分で引張ることはできなかった
『聴かせる』・・此もリハビリの一貫 として購入しCDラジカセ、まだその時期に非ずで
ダメージの大なる腦は、関心を示すまでに回復していなかったのである
高次腦機能障害とやら
そもそも、己が境遇そのものを、まるで理解できないのだから・・・
10月5日(水)
17:30~18:30 夕食
日によっては少し残されることがありますが、順調に食べられています・・ST
10月6日(木)
A107室に移動
11:30~12:30 昼食
7割程度でした・・ST
10月7日(金)
17:30~18:30 夕食
本日は排便が出ていなかったこともあってか、食事がほとんど食べられませんでした
その後、排便あったと聞いています・・ST
10月8日(土)
11:40~13:00 昼食
昨日に続き、食事はすすみませんでした
なんとか説得して半量程度摂取・・ST
10月9日(日)
11:30~12:30 昼食
全量たべられました
10月10日(月)
11:20~12:20 昼食
7割です 唐あげにチャレンジしました かたかった様で少したべられました
10月12日(水)
毎日辛いリハビリの中、
せめてもの楽しみは何かと聞くと、「2番が風呂に入る事で、食事が1番」 との応え
最近は喋ること多く、スタッフ一同も驚いているとの事
もうじき カニューレも取れる
10月13日(木)
17:30~18:30 夕食
40分で9割摂取しました 17日(月) より3食 開始します
10月17日(月)
経鼻経管がはずされ、此により全ての食事を口からとることになった
08:00~09:00 朝食
本日より朝食 ( 3食 ) 開始です 全量摂取できました
10月18日(月)
カンファレンス
覚醒状態に関しては改善を認めており、リハビリに関しても意欲的に励まれる場面が増えてきています
以後は長下肢装具を使用した立位や、歩行訓練を行っていき、
介助量の軽減や自立動作の確認を行い、可能な動作の獲得を目指します
トイレ誘導やシャワー浴の評価を行いながら動作の獲得を目指します
食事に関しては経管栄養からの離脱を図ります
会話量の拡大を認めていますのでコミュニケーションの向上を図っていきます
10月19日(水)
07:30~08:30 朝食
常食評価 ( 焼き鳥、サラダ )
10月20日(木)
長下肢装具 届く
10月23日(日) ※
疲れている様子
明日は、いよいよ ( 気管切開の ) カニューレがとれる
10月24日(月) ※
滔々、カニューレがとれた
開いた穴はじきに塞がるという
そこから水や、ばい菌は入らないのか
それもこれも、取り越し苦労も喜びの中
そして次は、眼が開くこと
第二 目が明いた
10月25日(火)
くも膜下出血発生までは、主にコンタクトレンズを使用していた倅
目が空いたとしても、コンタクトレンズの使用は適うまい
そこで、八尾のアパートの整理品の中にあったフレームメガネを、
目が開いた時の為と、入院ベッドの枕元に措いていたものの、
多分、用を足さないものであらう
而し、目を開くことも適わない状態で、メガネなど造れる筈もない
それならば・・と、推測で度を1つ増したものを注文したのである
そのメガネ、本日夕方、出来上がる
明日の面会に届けてやることができる・・と
そこへ
「目が明いた」
・・と、まさにタイムリーな病院からの知らせ
此の日をどれだけ待ったことであらうか
而し、喜んだは私や妻だけではなかった
「 目が見える様になれば 」
・・は、全てのスタッフたちの共通の想いであった。
リハビリにあたって、目から得る情報は重要不可欠なもので、
『見えない』 と、謂うことが、とてつもなく大きな障害であった。
だから、彼等は常々、口惜しい想いをしていたのである
だからこそ、全てのスタッフが喜んだ
そして、此れからのリハビリに希望を抱いたのである
10月26日(水)
私は、胸を躍らせ、新調のメガネを持って、千里の途を奔った
いつもより軽やかに、病棟への階段を上った
倅は談話室に居た
私を見るなり、
「 アッ、おとうさん 」
此が、開眼第一声
胸のすく想いをしたのである。
『 おじちゃん 』
姪 ( 4才 ) からプレゼントされた似顔絵を観て涙ぐむ
一つ、
峠を越した
されど
・・・リンク→ 後顧の憂い (九) ・ 千里の途5 長身女性・PT に、つづく