大津浪記念碑 高き住居(すまい)は児孫(こまご)に和楽(わらく)、想へ(おもえ)惨禍(さんか)の大津浪(おおつなみ)、此処(ここ)より下に 家を建てるな。
明治二十九年にも、昭和八年にも津波は此処まで来ては全滅し、生存者、僅かに 前に二人後ろに四人のみ 幾歳(いくとせ) 経る(へる)とも要心あれ。
青森県から宮城県に至る三陸海岸各地に約200基も津波記念碑が建てられているそうです
これは先人の悔恨の碑だったのでしょう。
自分たちの子孫のため、二度と同じ事を繰り替えさないため、 ところが 起こってしまった。
これを建てた天国の先人はどんな思いか? これらの碑の話は震災後、新聞や週間誌で紹介されました
この記事を取りあげたのは地元の神奈川県にも同じような歴史の惨禍を証明する物が存在すると思ったから
それも日本人なら誰もが知っている鎌倉の大仏(高徳院)
http://www.kcn-net.org/kamakura/yuigahama/m2daibut.html
鎌倉の大仏は昔、”奈良の大仏”の様な大仏殿の中にあったが、
室町時代の大地震による津波で建物は流されてしまった
鎌倉の大仏は海岸(由比ガ浜より)1キロ弱離れていて
ここまで津波が来たなんて、とすると海岸線の家は全滅?
想像するだけで恐ろしい! 今度の大震災と同じ光景 ?
おそらく過去の歴史と日本の海岸線の地形を分析すれば
危ないところの等高線が出てくるはず
それを公表すれば、海岸線の地価は下がるかもしれないけど
人命には変えられません
”津波のときはてんでんこ”
先人の知恵だけ でなく 高度な解析と情報開示により
愚かな歴史のくりかえしは阻止出来ないものでしょうか!
ps. 先人の教えを守り、助かった集落もあります
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110329-OYT1T00888.htm