私、希少がんP-net患者です

1996年に膵臓手術時は病名も不明。
膵内分泌腫瘍は10万人に一人の希少がん。
通称名 P-net(ピーネット)

自分なりに・・・

2018年02月26日 | 日記

先月、母の遺した愛犬が亡くなったのですが、彼の生き方はとても素晴らしかったんです。
肝臓に腫瘍があり病気がわかった時点で手術できる状態を過ぎていました。
昨年末にはもう覚悟しておいた方が良いと言われていたのですが、1月21日まで生き抜いてくれました。

私は一人暮らしですので毎日4匹のわんこらを散歩に連れて行くのですが
母の愛犬だった彼は最期まで自分の足で立っておしっこをしてました。
もう足元もおぼつかないのに散歩に行くとうんちもしました。

そのたびに私は感動させられました。

小さな体でお腹の腫瘍が大きくなって重く動きずらいのに踏ん張って歩きました。
いつものコースをパトロールするようににおいをかいで歩きました。

翌日は歩く距離が短くなりました。
それでもいつもクンクンとにおいをかぐ場所におろすといつものようにおしっこして自分のにおいをつけるのです。

日増しに弱ってきてしまい、私は籠に乗せて外の空気に触れるだけでも違うと思って散歩しました。
そういう事に反応する彼の瞳はとても力があり最期の最期まで奇蹟を信じ続けることができたんです。

最期の日。
誰も今日が最期になるなんてわかりません。

私はまたきっと明日の朝はいつものように始まる。と思っていたのですが
ソファーに横たわり寝息を立てていた彼のそばに行くととても弱々しく見えた瞬間があり
寝ている姿勢からぐーんと前足を延ばして横にいる私に視線を投げかけてくれて
そこで大きく呼吸をして息を引き取ってしまったのです。

まるで私に話しかけてくれたように感じられました。
何かを伝えてくれたのです。

母が可愛がっていた子です。
母が亡くなり丸3年、我が家の一員となり毎日私と一緒の布団で寝ました。
元々いる先住犬たちは寝る時は個々のハウスでと躾けたので最初の頃は不慣れな感じがありましたが
夜、寝る時に寝息が聞こえるという事の心地よさ。
失って気が付くことのひとつです。
夫を亡くしてすぐに母の入退院が続いたので忙しさがあって寂しさに気が付かなかったのですが
母が亡くなりいよいよ私一人の暮らしになったとき、この子がいてくれたことにとても感謝しました。

私の不調の時も一緒の布団で見ていた彼は母が心配してくれていたまんま 私を心配し続けてくれていたのではないでしょうか?
それで最期の時に、私に向けて心配してるということを訴えかけてくれたのだと思うのです。
そのくらいの強い意志を感じる別れでした。

亡くなると虹の橋を渡る。という話があります。
空の上の虹の橋には先に亡くなった家族たちが待っていてくれるそうです。

私は虹の橋には少し遅れていく事になるけど
待っていてくれる夫や母や愛犬たちにたくさんお土産話を持っていきたいと考えるようになってきました。
明るく楽しいお話を再会したときに話せるように
私は私なりに生き抜いてみたい! と思うんです。