私、希少がんP-net患者です

1996年に膵臓手術時は病名も不明。
膵内分泌腫瘍は10万人に一人の希少がん。
通称名 P-net(ピーネット)

一滴の血液ですい臓がんが判明。

2013年09月26日 | 日記
神戸新聞の記事です。

こんなに医学が進んでるんですね~
すい臓は沈黙の臓器で異常があってもその原因がすい臓だと判断されるまでにいくつもの検査が必要だった時代が長くありました。
その間に手遅れでなくなる命も多くあったのですがこの血液検査が導入されるようになれば初期の判断も出来ると書いてあります。
こういう検査を一般検診に含められる日がそう遠くない事を願います。

同病患者さん集まりますよ!

2013年09月18日 | 日記
前の記事のコメント欄、お母様がこの病気だという娘さんからのコメントが2人から続きました。
インターネットで情報を探してらっしゃる方も多いのでしょう。
昔に比べると随分多くなった膵内分泌腫瘍に関した情報の量。
文字がいっぱいで読み進めることが大変な私のような者にとっては実際顔を見て話せる患者会の場は貴重です。

それが東京、飯田橋で9月22日にも予定されていますよ!
ブックマークにもある しまうまねっと をご覧下さい。


関東近県にお住まいの方、患者さんご本人でもご家族やご友人でも参加できますよ~
ご都合のつく方は是非ご参加下さいね!!

些細なこと、だけどもしかして・・・

2013年09月15日 | 日記
さっき何気なく見ていたテレビでタレントさんが富士山周辺を歩いている場面。
ふと思い出したのは19年くらい前のこと、
主人の転勤が決まり家族まるごと引越すことを決めた時期に富士方面で親子キャンプに参加したことがありました。
当時、子供たちは小学校三年生で女の子の割に活発で外遊びが大好きだったので親子で参加できる企画に申し込んだのです。
私は30歳くらいで、まだ膵内分泌腫瘍などという病気にも無縁なはずの夏でした。
娘達が活発なのは私や主人の影響もあって家族揃って元気もりもりだったんです。

でも、何故か私は現地でかなり体調が悪くなり大型バスで到着したキャンプ場で一人寝込んでしまっていました。
その時は疲れが出たんだろう…ということくらいしか考えられずとにかく横になっているしかできなかったんです。
キャンプに参加して子供たちは外のテント宿泊、親は男女別に相部屋での宿泊。
みんながそれぞれに役割を分担して確か三日間の行程でかなりの人数が参加した大規模なキャンプでした。

そんな楽しいはずの場所についてすぐに発熱。
子供たちとは居場所が違うし、主人も男の人の役割があって別行動。
大勢の初対面のお母さんたちの中で私一人だけ到着早々のダウン。
結局丸一日眠り続けてしまいました。

滅多に風邪もひかないで頑丈そのものだと思っていた私があのような場所でか弱くダウンしたこと。
性格上、ほかの人に迷惑かけて寝てるよりも、ちょっと無理してでもやるべきことをしようとする私が起きられませんでした。
今思い出すと病気の前触れだったとしか思えないんです。

確かに疲れてはいました。
引越準備もしながらキャンプの用意もして出かけてきたわけですから多少は疲れていたでしょう
けれどもあの不調は後にすい臓に腫瘍が見つかる私の体の何かのサインだったと思えて仕方ないのです。

このことを思い出して考えていたら他にもいろいろ思い当たることがありました。
小さな頃から食後の腹痛が癖のようになっていて、食事をして数分すると脇腹が差し込むように痛くなったのです。
それがなぜなのかはわかりません。数分座っておとなしくしていれば痛みがなくなるのです。
家族で食事をして私一人だけがいつも食後の腹痛に悩まされていました。

また、それとは別によくお腹を下していました。
お腹が痛くなると胃の辺りが冷たくなっていて下痢です。
家族が同じものを食べているのに私だけ下痢・・・
でも、下してしまえばもうケロッとしているのですから親もそれほど心配することもなかったのだろうと思います。

あとは、中学~高校のころ、休みの日はとても長く寝る癖がついてしまい
目が覚めたら夕方だったなんていうこともよくあったのですが
そういう時の目覚め方が、腹痛でした。
痛むのは今思えばすい臓のあたり、当時はお腹が痛いとだけ思っていました。
死んだように眠り続け夕方になって起きてきてお腹が痛いと手でさすってるんです。
母は私を「眠り姫」と呼びました。
眠り姫は王子様のキスではなく、自分の腹の痛みに目を覚ますのでありました。

富士キャンプから約二年後に激しい腹痛で緊急入院しすい臓の異常が見つかったのですが
すい臓の腫瘍がいつからできてこんなに大きくなったのか・・・
手術前に腫瘍を小さくする薬を使ったのに大きさは握り拳サイズ。
生まれた時から持っていたのかもしれない。
何かのタイミングで芽が出たのかもしれない。
今は分からないけれど医学が進んでもっと解明されてくれることを大いに期待しています。

いつもの通院

2013年09月09日 | 日記
私はすい臓を手術して後に糖尿病となり
飲み薬での対応も限界との判断でインシュリン注射をしています。
最近やっと自分のペースが見えてきたような感じです。

通院は糖尿病外来に毎月一回通っており
毎回、採血、採尿、先生との面談、薬を処方していただいて終わり。

今私が通っている病院は個人病院の少し大きな入院も急患対応できる所なのですが
肝心の糖尿病外来の担当医は毎年○○大学病院から派遣されてくる先生が週に一回だけ。
もう何年も前からその大学病院との連携で糖尿の担当医が来ている状況で毎年先生が交代される。

最初の頃、担当の先生とのコミュニケーションをとりたいと考えていた頃、すぐに交代されてしまうことに不満があったのですが
大きな病院にかかるよりも時間がかからないというのが大きな魅力でもう何年も同じ病院で糖尿病のコントロールを受けている。

でも、こちらの病院は大きな病院とちょっとちがって地元の多くの老人施設の患者さんが多く来院しているんです。
病院と施設の提携なのでしょう・・・
周辺には老人施設がとてもたくさんあります。老人社会とも言える昨今、こういう病院の役目というものも大きいのだろうと思います。

けれども・・・
毎月行くたびに目にするご老人の数々・・・ かなり弱ってらっしゃる方もいてストレッチャーで廊下が混雑するときもあります。
静かに横になってる方がおおいけれども中には大声で叫び声をあげながらガタガタと体を揺らす人もいて正直言ってびっくりしてしまいます。
自分の気持ちが落ちているときにそういう場所でただジーッとしているだけでも
何かが引き金になって私が壊れるんじゃないか?と思ってしまうことがあります。

年齢の重ね方・・・ 
弱っていくのが当たり前・・・
私は自分の将来像をそこには見つけたくなくて逃げ出しそうになる時もあるんです。

病院を替えることも考えましたが以前希望する病院の先生から近くにある病院で見てもらってくださいと言われてしまったこともあり
それ以来そのことにパワーを使わないように、考えないようにしてきました。

今日も外来受診の日だったので行ってきましたが心穏やかに待っていられる環境ではなく・・・
救急で施設から運ばれてきたご老人が採血するのを拒否して泣き叫ぶ横で何を考えて待てばいいのでしょう

風邪などでただ一時の通院でなら忘れられるのですが毎月通う場所となると気が重くなるのも当然ではないのかしら