憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

連休中に読んだ本あれこれ

2011-05-05 21:03:35 | その他
 今年の連休は、開校記念日がはさまったりして、私の場合はなんと7連休でした。
 家族でお出かけした日もありましたが、といっても、海外旅行に行くわけでもなく、あるいは東北にボランティアに行くなどと殊勝なことをするわけもなく、大半をTVの前とPCの前で過ごしておりました。
 そんな連休でしたが、買い溜めていた本もそこそこ読めましたので、ここでご紹介。

○西村賢太『苦役列車』(新潮社、2011年)、『小銭をかぞえる』(文春文庫、2011年)

 山田詠美が芥川賞の選評で「あまりにもキュート」と評した修辞を楽しみながら読む。この芥川賞作家の作品は、ダメ男の自虐小説として共感したり哄笑したりして楽しむ読者が多いのであろうが、私小説だろうがフィクションだろうが、小説としてのストーリーはたいしたことはない。
 楽しむべきは、大げさに時代がかった文体だったり、そこだけ現代的な女性の会話体だったり、似つかわしくない奇妙な修辞だったりというところだろうと思う。旧かな遣いが似合う文章のトーンに、ところどころに現代的な言葉遣いが意識的に織り込まれているといった、独特の文体にこそ魅力があると思うのであるが。
 だから、氏はただの風俗好きなダメ男ではなく、もちろんダメ男には違いないが、こと文学に対しては非常にストイックなのだろうと思う。氏が私淑しているという藤澤清造ほかの近代文学に詳しければ、氏の会話体が誰の影響を受けているとか、そんなことも楽しめるのだろうけど、そこまでの教養が私にはあるはずもなく、だいたい氏が芥川賞をとらなければ、氏の小説を読むなんていう機会もあるはずもなかったのである。普段から純文学を楽しむ読書趣味は私にはないのだ。
 氏の作風はとりあえず上記の2冊で、私のなかでは諒解した。今度、近いうちに氏の作品は映画化やドラマ化されるだろうから、そのときにまた違う作品を読むかもしれない。

○上原隆『友がみな我よりえらく見える日は』(幻冬舎アウトロー文庫、1999年)、『にじんだ星をかぞえて』(2009年、朝日文庫)、『胸の中にて鳴る音あり』(2011年、文春文庫)

 もう10年以上前から刊行され、そこそこ売れていたのに、私はこの連休まで氏の名前すら知らなかった。そうか、そうか、こうしたコラムを書き続けている人がいるのかと、ちょっと嬉しくなった。
 ジャンルとしてはルポルタージュとなるのだろうけど、市井の人々の辛かったり悲しかったりしたことをルポして、それを軽めのコラムにしているという感じか。日本のボブ・グリーンとか言われているらしいが、ボブ・グリーンを知らなければ、何のことかわかりゃしない。「他人の不幸は蜜の味」などといった俗的な次元をすっかり超越している著者の人柄というか誠実さというか、そんなところが最大の魅力なのだと思う。
 コラム形式の短い紙幅で、読後に深い共感を与える文章というのは、なかなか書けるものじゃあない。今回こうやって、だーっと読み通してみて、そんな筆致に達するまでの著者の努力の跡も読み取れた。取り上げる題材も、著者の人柄も、文章の技術も、どれもこれも、ああいいなあと、しみじみ思うのは、間違いなく私が年をとったせいだろう。

○穂村弘、春日武彦『人生問題集』(角川書店、2009年)

 これは再読。世の中の尺度でみて、自分は「ちょっと変」だ、と自覚している歌人穂村と医師春日のオッサン2人の対談集。この2人は、元祖草食系の代表格といっていいかもしれない。そう考えると、この2人が売れているというのも、やっぱり時代性なのかとも思う。
 こうやって名声を得たからからこそ、自分のヘタレさというか、変さ加減を堂々とカミングアウトできるわけだが、それにしたって、ここまで平気で晒していることに、ちょっとした爽快感をおぼえる。
 私が思う、彼らの「ちょっと変」という「ちょっと」さというのは、2人とも一定期間、世の中で給料を貰って仕事をしていたということ。穂村は会社員だったし、春日は勤務医だった。一応、普通の社会人として生きてこれたのだから、「とても変」ではなく、「ちょっと変」なわけだ。
 対談のなかで穂村が、企業に勤めていた頃、自分の行動が同僚にとっては驚愕に値するものだったけど、物書きになったら、そういう目に遭わなくなった、と述べていたのが、私にはもっとも印象的だった。妙に納得してしまったという感じ。一般人ならドン引きすることでも、物書きの世界なら、普通にアリということなのだろう。
 私は、物書きの世界は知らないけど、穂村の話に私はリアリティを感じてしまった。
 教員世界も、物書き程じゃないけど、そういうことってあるのかもしれないなあ、なんて思う。
 そして、5月に入って息苦しくなりはじめているであろう一定数の教師というのは、そもそも教員世界の空気に合わないせいじゃないのか、なんてことを、先に紹介した上原が描いている、さまざまな人間社会と関連させて、しばらくぼんやり考えていた。

○穂村弘『短歌の友人』(河出書房新社、2007年)

 別に穂村弘がヘタレで、そんな歌に共感する人が多いから売れているわけではなく、深い知性のある人物であるということを、この歌論を紹介することで表明しておく。こちらも再読。この本で穂村は第19回伊藤整文学賞を受賞した。
 現在、穂村は若手歌人のカリスマとなっているわけなのだが、それはそれで納得のいく歌論集。現在の若手歌人の歌をこれほど的確に論じているのは、40代以上の歌人(氏は1962年生まれ)のなかで、氏の他にはいない。他のベテラン歌人の若手歌人に対する論評を見よ。彼等は、若手の歌を全く批評できていないではないか。ある者は、「短歌以前」と切り捨て、ある者は「わからない」と立ち往生し、ある者は論評の俎上にすらあげない。
 そんななかで、穂村のような現代短歌の論評はまさしく希有。現在の歌壇というのは、旧来の結社での活動と中心とする世界と、ネットなどを発表の場とする歌人達とのそれぞれの世界が、穂村を介して接続されているといっていいだろう。
 最近では、完全に若手もベテランも、現代短歌の評論については穂村の論評からの引用がすこぶる多い。こうした全方位的に信頼されている状況というのも面白いと思う。

○岡田尊司『境界性パーソナリティ障害』(幻冬舎新書)『アスペルガー症候群』(同)『人格障害の時代』(平凡社新書)

 少しは仕事に関係するのも読んでおこうということで、岡田の3冊。やっぱり岡田の本は読みやすい。新書なのだから、一般読者向けにわかりやすく書くというのは、とても大事なこと。ただ、猛烈な勢いで書き進めている感じがして、やや論述は乱暴かなという印象。けれど、大枠で見てトンデモ本というわけでもないだろうから、入門書として読むには適している。

 他にも、仕事にかかわるのもいくつか読みましたが、今回、これといった収穫はありませんでした。
 今年の連休に関して言えば、特別支援学校の教員が読む本としては、やや偏向していたかもしれませんね。