先日、発達障害者の就労支援を進めているNPOの方から、元教師も参加していますという話を聞いて、衝撃をうけた。
支援をする側ではない。支援される側である。もともと普通学校の教師だったけど、心が折れて教師を辞め、就労を支援するNPOのサービスを受けているということだった。しかも、2人もいるという。2人とも中年のオッサンだという。ついでにいえば、うち一人は妻帯者だという。
心が折れる教師は、今日び何もめずらしくはないし、辞めていく教師も少なからずいる。辞めた教師のなかには、重いうつ症状の者もいるだろう。そうして、心療内科や精神科で診療を受ける中で、発達障害と診断を受けるということなのらしい。
この話は、まだ私の頭のなかで整理されないままである。話を聞いて衝撃を受け、その後は混乱したままの状態だ。
混乱している理由は、こんな感じだ。
1つめ。発達障害者の就労支援であるから、イメージとしては若者をターゲットにしているはずなのに、元教師のオッサンが混じっているということ。
2つめ。恐らくは20年くらい教師をやっていたオッサンが、支援をうけたところで、零細のブルーカラー(古いなあ)の職種で働けるとは思えないこと。そんな割り切りのできる人間なら、そもそも心は折れないだろうと思うのだが。
3つめ。仮にも教師だった人間が、心が折れて精神科を受診して、そうして発達障害という診断を受けて、精神障害者手帳を交付してもらっているということ。精神障害者手帳は、うつ病患者には交付はされない。発達障害であるという診断によって、手帳が交付され福祉サービスを得られる仕組みになっている。しかし、曲がりなりにも教師として20年くらいやってきた人間に、何をいまさら障害者手帳認定なのだろうかと思うし、そういう制度は、おかしいんじゃないかとも思ってしまう。
4つめ。心が折れて教師を辞める人に対して、私は少なからず同情はするけれど、だからといって福祉サービスを受けるのは、どうも制度の使い方が違うんじゃないかということ。20代だったらまだ許容できるが、私のようなオッサンはダメだろう。結婚をして妻もいて、発達障害者の就労支援サービスじゃあないだろう。行くべきはハローワークだろう。
と、いうことが整理されないままでいるのでありました。
支援をする側ではない。支援される側である。もともと普通学校の教師だったけど、心が折れて教師を辞め、就労を支援するNPOのサービスを受けているということだった。しかも、2人もいるという。2人とも中年のオッサンだという。ついでにいえば、うち一人は妻帯者だという。
心が折れる教師は、今日び何もめずらしくはないし、辞めていく教師も少なからずいる。辞めた教師のなかには、重いうつ症状の者もいるだろう。そうして、心療内科や精神科で診療を受ける中で、発達障害と診断を受けるということなのらしい。
この話は、まだ私の頭のなかで整理されないままである。話を聞いて衝撃を受け、その後は混乱したままの状態だ。
混乱している理由は、こんな感じだ。
1つめ。発達障害者の就労支援であるから、イメージとしては若者をターゲットにしているはずなのに、元教師のオッサンが混じっているということ。
2つめ。恐らくは20年くらい教師をやっていたオッサンが、支援をうけたところで、零細のブルーカラー(古いなあ)の職種で働けるとは思えないこと。そんな割り切りのできる人間なら、そもそも心は折れないだろうと思うのだが。
3つめ。仮にも教師だった人間が、心が折れて精神科を受診して、そうして発達障害という診断を受けて、精神障害者手帳を交付してもらっているということ。精神障害者手帳は、うつ病患者には交付はされない。発達障害であるという診断によって、手帳が交付され福祉サービスを得られる仕組みになっている。しかし、曲がりなりにも教師として20年くらいやってきた人間に、何をいまさら障害者手帳認定なのだろうかと思うし、そういう制度は、おかしいんじゃないかとも思ってしまう。
4つめ。心が折れて教師を辞める人に対して、私は少なからず同情はするけれど、だからといって福祉サービスを受けるのは、どうも制度の使い方が違うんじゃないかということ。20代だったらまだ許容できるが、私のようなオッサンはダメだろう。結婚をして妻もいて、発達障害者の就労支援サービスじゃあないだろう。行くべきはハローワークだろう。
と、いうことが整理されないままでいるのでありました。