大宅壮一がテレビを一億総白痴化と批判して、もう50年以上がたった。今では、白痴なんて言葉もすっかり使われることはなくなったね。
大宅壮一がテレビを白痴化の根源と批判したのは、放映されている番組が低俗であるということもさることながら、テレビというメディアが、想像力や思考力の低下を招いているとの主張ともいえる。これは、おそらく幼児教育学や発達心理学あたりの研究でも大方のところは実証されていることだろう。ただ、少し考えればわかることだけど、テレビが書籍なんかの文字ツールよりも想像力や思考力を必要としないメディアだというのは、当たり前ちゃあ当たり前のはなしだと思うけどね。
けれど、最近はテレビの視聴時間も昔とくらべて減少しているともきく。おそらく、ネットやケータイを使いこなしている若年層ほどテレビというメディアを見限り始めているんじゃないかしら。
そんななか、私が、今後テレビが生き残る術として主張するのは、ずばりテレビのバリアフリー化である。
すなわち、テレビが想像力や思考力を必要としないということは、それだけ高齢者やハンディキャップを持った人に対してやさしいメディアであるということでもあるのだ。
たとえば、テレビドラマというのは、自閉症者にとっては、実にわかりやすく編集されているという(ニキ・リンコ『俺ルール!』)。画面に映っていることは、すべて意味がある。意味のないことは画面に映らない。だから、視覚認知としては、この上なくわかりやすいということ。ウラを返せば、メディアリテラシーとして議論できる話題でもあるが、それはともかく、自閉っ子からみると、テレビのそういう編集というのは、とてもバリアフリーに違いない。
それから、私がこれはいいなあと思うのは、バラエティやニュースの画面でダラダラっと流れるテロップ。テレビの画面で喋っていることが、一字一句たがわず、えんえんテロップで流れるという、あれ。特にバラエティ番組では、カラーだったり、それらしいフォントを使っているやつも一般的だが、ああいうのはデコテロップというらしい。
あれは、テレビの視覚効果をねらったものだろうけど、はからずも、視覚優位の認知スタイルの人にとっては、とても親切なことだ。音声とテロップと両方で認知できるわけだから。耳が遠くなりはじめた高齢者にもいいことだろう。あれをみてウザッたいと思う人も多いと思うけど、あれはテレビのバリアフリーのスタイルとして有効だろうと思う。
もう、若年層のテレビ離れは、不可避だろう。そうであれば、今後、テレビは人にやさしいバリアフリーメディアとして生き残りをかけるしかないんじゃないかと思うのが、私の主張だ。
けれど、それにしては、肝心の番組の内容がちっともバリアフリーじゃないことが気にかかりますが…。
大宅壮一がテレビを白痴化の根源と批判したのは、放映されている番組が低俗であるということもさることながら、テレビというメディアが、想像力や思考力の低下を招いているとの主張ともいえる。これは、おそらく幼児教育学や発達心理学あたりの研究でも大方のところは実証されていることだろう。ただ、少し考えればわかることだけど、テレビが書籍なんかの文字ツールよりも想像力や思考力を必要としないメディアだというのは、当たり前ちゃあ当たり前のはなしだと思うけどね。
けれど、最近はテレビの視聴時間も昔とくらべて減少しているともきく。おそらく、ネットやケータイを使いこなしている若年層ほどテレビというメディアを見限り始めているんじゃないかしら。
そんななか、私が、今後テレビが生き残る術として主張するのは、ずばりテレビのバリアフリー化である。
すなわち、テレビが想像力や思考力を必要としないということは、それだけ高齢者やハンディキャップを持った人に対してやさしいメディアであるということでもあるのだ。
たとえば、テレビドラマというのは、自閉症者にとっては、実にわかりやすく編集されているという(ニキ・リンコ『俺ルール!』)。画面に映っていることは、すべて意味がある。意味のないことは画面に映らない。だから、視覚認知としては、この上なくわかりやすいということ。ウラを返せば、メディアリテラシーとして議論できる話題でもあるが、それはともかく、自閉っ子からみると、テレビのそういう編集というのは、とてもバリアフリーに違いない。
それから、私がこれはいいなあと思うのは、バラエティやニュースの画面でダラダラっと流れるテロップ。テレビの画面で喋っていることが、一字一句たがわず、えんえんテロップで流れるという、あれ。特にバラエティ番組では、カラーだったり、それらしいフォントを使っているやつも一般的だが、ああいうのはデコテロップというらしい。
あれは、テレビの視覚効果をねらったものだろうけど、はからずも、視覚優位の認知スタイルの人にとっては、とても親切なことだ。音声とテロップと両方で認知できるわけだから。耳が遠くなりはじめた高齢者にもいいことだろう。あれをみてウザッたいと思う人も多いと思うけど、あれはテレビのバリアフリーのスタイルとして有効だろうと思う。
もう、若年層のテレビ離れは、不可避だろう。そうであれば、今後、テレビは人にやさしいバリアフリーメディアとして生き残りをかけるしかないんじゃないかと思うのが、私の主張だ。
けれど、それにしては、肝心の番組の内容がちっともバリアフリーじゃないことが気にかかりますが…。