憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

卒業式のシーズンである

2013-03-03 17:12:13 | 特別支援教育
 卒業式のシーズンである。

 私が、はじめて卒業生を送り出したのは、新卒3年目のときだった。当時の、ちょうど今頃の3月、通知表の所見欄を書いて残業をしていたとき、同じく職員室にいた先輩教師と雑談とした。
 どういう会話の流れだったが忘れてしまったが、先輩教師は私にこんなことを言った。
 「中学校の教師なんていうのは、あいつらが数年後、同窓会か何かのときに久しぶりに集まって『そういえば、ウチらの担任なんていう名前だっけ。あの担任、元気かなあ』なんて、思い出される程度でいいんだよ」
 私は、正直、この先輩教師の言葉がピンとこなかった。
 ああ、そういうことかあ、とわかったのは、2度の転勤をした30歳くらいの頃だったろう。

 担任教師と生徒との関係というのは、期間限定の間柄である。卒業したらおしまいである。
 教師は、4月になると新しい学級を受け持つ。卒業した生徒は高校で、また彼らの人生がはじまる。学校はその繰り返しである。
 教師は、中学校の3年間、生徒の人生にかかわるが、その先の彼らの人生の伴走者にはなれない。
 それがわかるにつれて、中学校3年間の彼らとのかかわり方もわかってくる。生徒との距離感というか、教師は生徒の人生に対して、どこまで踏み込んだらいいかということがわかってくる。
 生徒との距離感がわかれば、教師の立ち位置もわかるようになる。
 そんな風にして、教師はプロフェッショナルになっていくのだ。

 さて、特別支援学校である。
 特別支援学校の場合は、普通中学校と大きく違う。
 生徒とは卒業後もつながり続ける。学校での出会いが、その後も続くのである。彼らの人生の伴走者になるのだ。対人援助職というのはそういうものなのだ。
 これは、学校の担任だけではない。今後、彼らが高校にいっても、働くことになっても、彼らが出会った大人たちは、彼らを支援し続けるのである。そうして、多くの支援者に見守られながら、彼らは成長し、人生を歩むのだ。
 特別支援学校の中学部担任の私は、小学校の担任が書いた彼らの「個別の支援計画」を受け取る。そこには、それまで彼らにかかわった支援者のリストがある。あるいは、支援相談の記録がある。私は、その「個別の支援計画」に中学校の3年間の支援の記録を書き足す。「個別の支援計画」はその後も、書き足され、書き直されながらも、彼らの成長とともに、次の支援者に渡っていくのだ。
 彼らの人生に寄り添っていくのが、特別支援学校の教師だ。
 普通中学校とは、まるで逆である。
 実は、こうしたことは教師の教育観に再考を迫る大きなことだ。学校教育とは何なのだろうと、今一度考えることにつながる。
 私は、こんな自分の教育観の再考を迫られるような大きな違いにでくわすたびに、自分は普通中学校から特別支援学校に校種を変更してよかったなあ、と思うのである。

自閉症当事者の講演会に行く

2013-02-17 20:13:34 | 特別支援教育
 自閉症当事者の講演会に行く。
 果たして、自閉症者は人前で講演できるのかという関心からによる。
 当日は、インタビュアーと二人でインタビュー形式の講演だった。これは、適切な手法だった。それに、インタビュアーは当事者を知っている支援職の職員だったので、これもまた非常に適切であった。

 話は変わるが、以前に脳性まひ当事者二人によるトークセッションを聞きに行ったことがある。これは、なかなか衝撃的だった。私には、二人が何しゃべってんだかサッパリわからんかった。けど、二人のまわりには彼らをよく知っている介護職が数人いて、この二人の話にどっと笑ったりしていた。おそらくとても楽しいトークが展開されていたに違いないのだが、私には全然わからない。一般参加者は私くらいで、あとは、脳性まひ当事者や関係者という小規模の場で、なおかつ非常に和やかな雰囲気で会が進められていたがゆえに、私にとっては、あたかもアングラ劇団のブラックコントに紛れ込んだような心境にもなり、どうにも深く印象に残っているできごとであった。

 自閉症者の講演会の話に戻る。
 彼は、二十代の作家であり、評論家。昨年は、大手出版社から評論集も刊行した。けど、文筆業だけでは食べていけないから、IT関連会社でアルバイトをして生計を立てている。私は、彼の書籍やブログをフォローしているが、書いてあることからは自閉症者だなんてこれっぽっちもわからない。けど、今回、話している立ち振舞いをみて、そこそこの当事者とわかる。
 いわゆる高機能の自閉症者である。福祉関連のフォーラムなので、話の内容は、おのずと当事者としての生きにくさということに流れていった。
 そんな彼の話から、考えたことをいくつか。

 彼は、自分は自閉ではなく自開だという。そのために、苦しんだのだと。
 この意味がわかるだろうか。私なりに解釈すれば、これは、こういうことだ。
 彼の生きにくさの1つに、他者とのコミュニケーションの困難性があげられる。彼自身が言うには、頭の中ではいろんなことを考えているのだけど、言葉にしようとすると、口からは出てこない。アウトプットができない、と言う。だから、他者との会話に困難性が伴う。会話に困難性がともなうから、うまくコミュニケーションが築けない。他者からみれば、あいつはちょっと変わった奴とみられる。そうした、コミュニケーション能力の不全感に自分自身とても悩む。けど、その悩みは、こういうコミュニケーションの困難性を他者に晒しているからにほかならない。晒さなければ、悩むことはない。すなわち、自分が開いているからこその悩みなのだ。と、いうことだ。他者に自分を晒しているからこそ、自分は傷つき、悩む。自分が閉じていれば、悩むこともないだろう。だから、自分は自閉ではなく、自開だという。彼の発言を解釈すれば、こんな感じである。
 この発言は理解できる。しかし、私は職業柄、彼とは異なる自閉症者に多く接している。彼らはまさしく自分の世界の住人であり、自ら閉じている人々である。つまり、まさしく自閉症者なのだ。
 では、こうした自閉症者と彼の「自分は自閉ではなく自開だ」という発言との違いをどうとらえよう。
 私は、これは自閉症の診断が広がったせいだと考える。彼のような、いわゆる高機能の自閉症者と呼ばれる診断がされるようになったのは、ここ十数年のことだ。それまでは、彼のようなコミュニケーションに困難性をともなう人々を診断する症名はなかったのだ。世間では、ちょっとおかしな奴という認識だった(今でも、それはそうだろう)。けど、ここ十数年の間に、彼らは高機能自閉症と診断がされるようになった。そこで、自閉症の概念がグーンと広まったのだと思う。そうしたなかでの、高機能自閉症当事者の「自分は自閉ではない」という発言になっているのだろう。
 そう考えると、今後は自閉症の診断概念の精査が求められているのだろうと思う。彼のようなコミュニケーションに困難性をともなう当事者には、高機能自閉症ではなく、別の症名をつけるのが妥当であろう。広汎性発達障害では広すぎるだろう。最近では、ASD(自閉症スペクトラム障害)といった用法が広まっているが、例えばそうした名称で、従来のいわゆる自閉症と区別したほうがいいだろうと思った。

 もう一つ。彼の発言のなかで、会話や作文にルールが欲しい、というのがあった。自由というのが、もっとも困る、という。彼は、会話によるコミュニケーションの不全感を、書くことによって昇華することができた。自分を吐き出すアウトプットの方法として、書くことを選び成功しつつある。そんな彼でも、自由に書くのは難しい、何か型が欲しいと言う。
 これも、自閉症に関係する話題としては、何度も提出されてはきているが、重要なものだろう。
 教育の場では、そうした自閉症者の困難性を解消する方策として、構造化とか、可視化とか呼ばれる手法がある。
 もっと、直載な支援方法としては「型にはめる」というのもある。けど、これは、あまり教育的な用語ではないので、公的な場では使わない。けど、支援の場ではよく使う。自閉症者は「型にはめる」ことで、理解ができる。また、そうしたスキルを取得することで、社会で生きやすくなるということなのだ。ソーシャルスキルトレーニングもそうした発想だということがわかるし、今回の彼の発言から、自閉症者が何に困難性をもっているのかが、改めてわかった。

 さいごに。
 彼のような自閉症者当事者が、人前で講演をするような経験を積むことで、自らの困難性が解消されていくのは、支援職に従事している私の立場からすれば、とても好ましいこととは思った。しかし、その一方で、一読者として思うのは、彼が作家として生きていきたいのであれば、自分の素の姿は読者の前に晒さないほうがいいのではないかとも思い、そんな矛盾した思いを持ってしまった講演会でありました。

優れた教師、劣った教師

2012-11-24 21:20:24 | 特別支援教育
 教育現場での研究の話である。
 私が特別支援学校に異動をして実感したことのひとつに、普通学校で行われている実践研究と比べて、特別支援教育の実践研究は、ずっと科学的だなということがある。
 もちろん、特別支援教育だって教育の世界に違いがないのだから、科学的といってもタカが知れていようが、それでも普通学校の実践研究に比べたら、より客観的で原因と結果が明確に表わされている。
 そして、それはどうしてなのだろうと、ずっと思っていたのだけど、つい最近になってやっとわかった。それは、「シャベリ」の介在ということである。

 そもそも、学校現場でおこなわれている研究というものが、科学的だなんていえる代物ではないことは、教師でなくとも誰だって想像できよう。ただ、それでも、少しでも科学的なものに近づけようと、教師は実践研究にいそしんでいるのが実情だ。
 実践研究というのは、授業でも生徒理解でも生活指導でも学級経営でも何でもいいのだけど、子どもの変容を目的として、まずは仮説をこしらえる。こういう実践をすれば、子どもはこういう変容をするだろう、という仮説だ。そのうえで、その仮説の検証をするという名目で教育実践をする。そして、やった実践はどうだったかを考察して、仮説と照らし合わせて研究の成果をまとめる、というのが一連の流れだ。けれど、これは科学的な研究とは程遠い。どこをどうとっても情緒的。研究の成果は物語。なぜそうなるのかといえば、教育実践は、生身の教師が生身の子どもまたは子ども集団を相手に行うからである。
 学校現場で行われる実践研究、それは、授業でも生徒指導でも生徒理解でも学級経営でも何でもいいのだけど、生身の教師が生身の子どもを相手にする以上、どうやったって科学から遠いところにいってしまう。だから、現場では、実践の理論化は困難といわれて久しい。
 そんな実践研究なのだけど、特別支援教育の世界に目を向けると、比較的、机上の理論が教育実践にストンと入りやすいのである。つまり、机上でこさえた理論がそのまま実践に援用できるということ。あるいは、同じ理論を違う教師が違う子どもに実践しても、同様の成果が得やすいということ。これが、私には新鮮だったのである。
 そして、そうした教育実践が特別支援教育でできている理由は何かというと、「シャベリ」の介在ではないかというのが、私の意見だ。
 特別支援教育では、子どもが言葉で理解するが難しい場合が多いから、教師はそれ以外の理解の方法を模索する。そこで、現在、この世界で隆盛なのは応用行動分析になるのだけれど、そこでは、究極の場合、教師の「シャベリ」がなくても実践ができる。これが、特別支援教育で科学的な教育実践ができる要因だと思うのだ。

 さて、ここからが今日の本題である。
 普通学校とくらべて、ある程度は理論が通用する、というのが特別支援教育の世界なのだけど、そんな世界にも授業のうまい教師へたな教師、あるいは、指導のうまい教師へたな教師、という違いが存在する。といっても、これは容易に想像がつくことだと思う。どこの世界にも優劣はつきものだ。
 では、授業や指導のヘタくそな教師というのは、どんな教師だろうか。…と、ここまでの話の流れでいえば、ヘタくそな教師というのは、実践の理論を知らない教師、ということになるだろう。これも、話の流れ上、いいだろう。一般に、指導や授業の優劣というのは経験年数にもよるわけで、経験を積んだ教師は理論もそれなりに身に付いているから、授業や指導がうまい。反対に、経験の浅い教師は、理論を身に付けていないから、授業や指導がヘタだ、ということになる。これも、一般論として、いいだろう。
 しかし、理論はものすごく知っているのに、授業や指導がヘタな教師が存在するのである。
 これが、教育現場の現実であり、私にとって、実に面白いなあと感じることである。
 応用行動分析の理論はもちろん知っている。だれよりも詳しい。知っているだけではなく、ちゃんと実践のなかで活用している。つまり、理論に基づく研究実践を行っている。にもかかわらず、授業や指導がヘタな教師がいるのだ。
 私が言っているのは、理論ばっかり知っているくせに、実践力がない、ということではない。特別支援教育は、繰り返すが、理論と実践はそこそこリンクする。つまり、心理学や医学の臨床実験に近いイメージだ。あるいは、教職経験がなくとも、正しい理論を援用すればそれなりの教育効果を上げることができる分野であるといっていい。
 そんな教育現場なのだけど、教師の優劣には、やはり理論以外の要因が、大きく作用するということになる。
 では、この理論以外の要因とは何か。それは、その教師の個々の資質ということになるのだけど、では、その資質とは何だろう。それは、やはり月並みだけど、コミュニケーション能力とか、関係調整力というか、空気を読む力とか、そういう今どきの、わかりそうでよくわからない能力ということなのだろう。…と、いうところまでは考えたのだけれど、これを主張したところで、何も言っていることにはならないので、もうしばらくは、面白がっていこうと思うのでありました。


教育的に有用な「ごほうび」とは~その2

2012-11-11 17:00:54 | 特別支援教育
「外発的動機づけ」の話の続きである。
 前回は、特別支援教育や小学校の低学年あたりでやっている「頑張ったらシールをあげるよ」といった活動は有効であって、それを自覚的に実践したらよい、という話をした。
 私が言っているのは、そうした活動の賛否について議論するのは結構だけど、現場で有効であることは経験的に実証済みなのだから、教師は自覚的に実践するのであれば、教師の指導の幅も広がりますよ、ということである。
 ただ今回は、こうした主張とは、全然の別のことについて、お喋りをする。

 「がんばりシール」のような「ごほうび」を個に応じて実践すると、より教育的効果が高まるというのも、経験的に現場では実証されている。
 たとえば、「頑張ったら、あなたの好きなアンパンマンのシールをあげるよ」という実践だ。「がんばりシール」のような抽象度の高いものではなく、ズバリ子どもが「好きなモノ」を与える。これは、抽象的な理解が難しい、より発達段階が低位な子どもに有効とされている。
 こうした、その子どもの好きなモノを「ごほうび」として与えるというのは、子どもにとって興味や関心が高いものが「好子」となっているというように説明することができる。「好子」なんていう言葉を使わなくとも、子どもに限らず、人は自分の好きなモノが手に入るとわかれば頑張る、というごく単純な話である。ただ、このような実践は、それはそうに違いがないのだけど、私は、現場にいるものとして、別の点からの教育的効果をみる。
 それは「自分だけ」ということと、「教師のかかわり」という2点だ。
 子どもの「個に応じる」という教育実践は、子どもの側からみると、「自分だけ」の教育実践ということだ。この「自分だけ」というのに、子どもの意欲はくすぐられているのだ。このシールは自分のために用意されているといった特別待遇のようなところに、この実践の有効性があるのではないか。だから、子どもの好きなキャラクターのシールであれば、子どもは嬉しいに違いがないのだけど、実は、教師が片手間に作った頑張り表のようなものに、色シールをはるだけでも、結構有効性はあるというのが、現場での実感だ。
 もうひとつの「教師のかかわり」というのは、こうした「がんばりシール」でも何でもいいけれど、「個に応じよう」とするならば、それだけ教師は子どもに多くかかわることになる。ここでのかかわりというのは、「頑張ったから、シールをあげるよ」とか「今日は、シールがあたるかな」とか、そうした言葉かけを含めて、とにかく個別の対応が増えるということだ。この「教師のかかわり」という教育的な効果もバカにできないと思うのだ。そして、こうした「かかわり」は、子どもとの休み時間の雑談といった学校生活のイレギュラーななかでの教師―生徒関係がフラットに近い場面でのかかわりというのではなく、きちんとした教育実践での、教師の指導のなかでの「個に応じたかかわり」であるということも注目したい。そうしたかかわりが、ここには生じているのだ。

 ここまでの話をまとめると、こうなる。
「がんばりシール」の実践は、これまで応用行動分析で説明がなされてきた。
 すなわち、子どもの「好子」を提示することで、子どもの行動は「強化」されるということ。子どもがアンパンマンのシールが好きであれば、それを「好子」とする。頑張るという行動を「強化」させたければ、頑張ったときにアンパンマンシールを与えればよい、という理屈である。そして、この理屈は実践され、その有効性が認められている。
 けど、教育実践というのは、そんな学術的なものじゃなくて、もっと単純なものじゃないか、というのが今回の私の主張である。もちろん、応用行動分析の理屈を否定するつもりはない。けど、それはそうだけど、子どもにとっては、「自分だけ」の教材で、より多く教師が「かかわって」くれたから、良い気分になって頑張る、という方が、現場の感覚に近いんじゃないかと言っているのである。

 どうも最近の私は、教育の議論が理論的な方向から、どんどん情緒的な方向に移っていく傾向にある。そして、そういう情緒的な方が、実は教育の本質ではないかと、本格的に思いこみ始めてもいる。
 最近の私は、研究とか研修とか、そちらの学術的なのは、どうでもよくなってきているようです。

教育的に有用な「ごほうび」とは

2012-11-04 19:11:43 | 特別支援教育
 特別支援教育でよくある教育活動に「ごほうび」がある。
 子どもが何かを頑張ったら、シールやカードをあげるという活動だ。普通学校でも、小学校低学年あたりは「がんばりシール」みたいな感じでやっている、ごく一般的なものだと思う。こうした「ごほうび」は、発達段階が上がると、子どもはシールをもらってもうれしくないから、子どもの頑張りを別なもので認めるということになる。それは、「称賛」だったり「評価」だったりする。一般的には、発達段階が上がるにつれて、具体(シールといったモノから)から抽象(称賛といったモノ以外)へと「ごほうび」が変化していく。
 「ごほうび」を与えて、子どもの意欲を喚起または持続させる活動は、心理学の言葉でいえば「外発的動機づけ」と呼ばれるものだろう。この「外発的動機づけ」は、どうも学校現場では分が悪い。ともすると、批判の対象になったりする。 
 ただ、こうした「外発的動機づけ」というのは、大人の世界でもごく普通にあるものだ。例えば、労働に関していえば、達成感や充実感だけといったものではなく、「昇進」や「賞与」みたいな目に見える形での対価によって労働意欲が支えられているという側面は、誰も否定はできまい。
 あるいは、消費行動であれば、それはより顕著だ。近ごろは、特定の場所で消費を頑張れば頑張るほど「ポイント」が増えていくし、もっと頑張れば「ゴールド会員」だか「プラチナチケット」だかをもらえるようになっている。こうしたシステムは完全に消費者の「外発的動機づけ」に期待して、購買意欲を喚起させている。
 このような「外発的動機づけ」の対義語は何か。一般的には「内発的動機づけ」であろう。この「内発的動機づけ」については、学校では歓迎されているし、学校の教師はこれが大好きである。学習活動は、子どもの「内発的動機づけ」をいかに高められるかに関心が向けられている。つまり、「シール」や「カード」が欲しいからではなく、学習であれば「勉強が楽しい」から、自分から進んで学習するにはどうしたらいいか、が教師の授業研究の根底にある。知的好奇心が高められるように授業は仕組まれる。知的好奇心が高まれば人間は、自分から進んで学習をする。そして、教師は、そうした内発的な動機にもとづく活動が善であると子どもに教えて、そういう子どもになって欲しいと願っている。
 私は、こうした「内発的動機づけ」を現場で否定するつもりはない。ただ、教育活動では、もう一方の「外発的動機づけ」も、よい教育活動ですよ、だから批判的にとらえない方がいいですよ、もっといえば、もっと積極的に活用したらいいですよ、という主張をここ数年言い続けている。
 私は、心理学には明るくないけれど、この2つの言葉が対立概念にあるということはいえるだろう。けど、教育現場では、これを対立させても不毛ですよといいたいのだ。そもそも現場では、どっちも普通にやっているし、分けることもできないのだ。
 例えば。「称賛」という教育活動がある。もっと有体にいえば「ほめる」という活動だ。
 これを否定する教師はこの世に存在しない。「ほめる」ことは、教育活動で100%有用性が認められている希有な教育行為だ。それはともかく、「ほめる」ことは、「外発的動機づけ」か「内発的動機づけ」か。
 子どもにとって、「ほめられる」ために頑張るというのであれば「外発的」だけど、「ほめたれた」ことによって、より意欲が高まるのであれば「内発的」ではないか。
「外発的動機づけ」は、その対価が消えると行動もなくなるという。つまり、「ごほうび」がなくなれば頑張らなくなるという。けど、それを教育現場で、あてはめるなら馬鹿げていると私は思う。
「ごほうび」に支えられながら、いつの間にかそれが自分の内的意欲が喚起される例などいくらでもあるではないか。それこそ低学年では「がんばりシール」が教育活動として認められている証左であろう。はじめは「シール」が欲しくてやっているのかもしれないが、そのうちに、その頑張りが内的要因となって「シール」がなくても頑張れるようになるのだ。であれば、低学年にかかわらず、発達段階に応じてもっと積極的に「ごほうび」を活用すればいいではないか。
 教師が子どもを「ほめる」のは、子どもの内的な動機にはたらきかけるためにやっているだろう。だから、教師は「ほめる」のだ。けれど、「ほめる」のやめたら、子どもは頑張らなくなるなんていう話は聞いたことがない。
 私は、子どもの頑張った対価として、きちんと「ごほうび」を与えるべきだと考える。
 それは、「シール」でも「カード」でもいいし、「称賛」や「評価」でもいい。とにかく、頑張った対価として「ごほうび」がある。ということを子どもに「学習」させるのである。そうすることで、子どもの「内的」な動機づけも高まっていくのだ。こうした「外発的動機づけ」に支えられた教育活動を教師はもっと自覚的にやることで、指導の幅は広がっていくと考えている。

雑誌原稿の思い出

2012-10-21 20:22:03 | 特別支援教育
 私が、はじめて教育専門誌に自分の文章が載ったのは、新卒のとき。1996年のことである。
 あの頃は、近現代史教育の分野で論争が起っていた時期で、そうした関係の雑誌に載った。ほかにも、この年は、明治図書『現代教育科学』や『産経新聞』に文章が掲載されたりした。今にして思うと、全国紙である『産経新聞』に掲載されたのだから、なんとまあ凄いことだけれど、当時の私は現場の仕事がとっちらかっていたから、たいした感慨はなかった。慌ただしい日々を過ごしていた。

 教育雑誌の原稿依頼ではじめて緊張したのは、学級経営についての依頼がきたとき。依頼を受けるかどうか、ちょっと考えた。今は廃刊になっている明治図書『心を育てる学級経営』という雑誌からだった。社会科教育なら、教育内容の面でいくらでも好きなことを書けるのだけれど、学級経営はそれなりの実践が伴わないと書くことはできない。教員5年目くらいのときだったと思うけど、おそるおそる書いた。学級経営で提案するほどのことは何もやっていないから、ただの拙い実践報告の作文だった。掲載されて、嬉しいどころか、恥ずかしい、という感じ。
 それでも、学級経営や生徒指導については、この後も数本の依頼がきた。だんだん慣れてきたというか、厚かましくなってきたというか、気楽に書けるようになった。

 別に私は売れっ子のライターじゃないから、雑誌原稿はこれまでで20本程度。平均して1年に1本という感じ。
 これも今は廃刊になった明治図書の『現代教育科学』では、年に1回愛国心教育がらみの特集を企画していて、そういうときに私に原稿依頼がきた。掲載された雑誌をみると、執筆者は、研究者と現場の教師が半分くらい。読めば基本文献をおさえているかどうかで、研究者と現場教師の差は歴然としていた。研究者はすべて、清水幾太郎『愛国心』(岩波新書、1950年)をちゃんとおさえて議論していた。
 愛国心教育を肯定するにしろ否定するにしろ、とにかく清水を踏まえて論じなければ、愛国心教育の議論は進まないのである。もちろん掲載された各執筆者の論文のなかに清水の名があろうとなかろうと、私のような人間が読めば、そいつが清水を知っているかどうかはわかった。研究者はすべて、清水を押さえた上で、論を展開していたし、現場の教師は清水を読まずに愛国心教育を語っていた。
 世の中に社会科教育や歴史教育を専門と名乗る研究者はいても、愛国心教育が専門なんていうそんな偏狭な研究者はいない。にもかかわらず、ちゃんと議論に必要な基本文献を押さえている。という点が、研究者と実践者の違いなんだなと思った。
 ちなみに私が、こんな風な感想を持つことができるのは、私が愛国心教育について、研究者並に勉強して議論ができる程度にわかっているからである。
 これが、社会科教師だった私の、今に残された唯一の自慢である。えへん。

 さて、特別支援学校に移ってからは、『社会科教育』も『現代教育科学』も読まなくなった。『現代教育科学』が廃刊になったことは、ツイッターで知った。
 雑誌原稿の依頼もここ2年ばかりは途切れていた。
 けど、今年、久しぶりに依頼がきた。明治図書『授業力&学級統率力』誌。特別支援教育枠での依頼である。私は、申し訳ないがこの雑誌の存在は知らなかった。けど、この雑誌は、私が特別支援学校にいることを知っていた。これが、どうにも可笑しかった。
 はじめての特別支援についての雑誌原稿。と、いったところで何か感慨に浸る歳でもない。書いて送って、過日雑誌が献本された。
 開くと、私が普通中学校の往時より存じ上げているお名前がいくつか。もちろん、その当時からライターとして活躍されていた方々。今現在、まだまだ雑誌媒体で活躍していらっしゃるのだった。ちょっと懐かしい気持ちになった。

 『授業力&学級統率力』11月号:特集「保護者が納得!通知表の言葉100選」(明治図書) 

教師も環境因子である

2012-05-19 19:35:28 | 特別支援教育
 障害者福祉の分野では、障害をあらわす概念として、WHO(国際保健機関)が示しているICF(国際生活機能分類)が広く浸透している。このICFは、大ざっぱに言うと、障害をハンディキャップ(社会的不利)ととらえるのではなく、当事者を取り巻く環境条件を変えることで変わりうる相対的なものとしてとらえる、という概念といえよう。
 例えば、車イスで段差のある道は通行できない(社会的不利)が、段差をなくしてバリアフリーにすることで車イスでも健常者と同じく通行ができるようになる。つまり、歩行が困難で車イスを利用している人でも、通行するということについては、バリアフリーにすることで解消される。このように、環境が変わることによって、障害者も自分の望む社会参加ができるようになる、という環境要因からみた障害の概念ということである。
 このICFの考え方については、学校現場にも取り入れられている。いわゆる発達障害の子どもも環境が変わることで、普通学級で障害を気にせず生活ができるようになる、という考え方である。例えば、教室の正面黒板は、情報過多になりすぎないようにシンプルな掲示にするとか、視覚的な支援を使うことで見通しを持たせやすくするとか、そういう教室環境への配慮である。
 こうした配慮に加えて、最近では、教師も環境要因である、という議論がなされるようになった。これは、なかなかユニークな論点だと思う。
 単純にいえば、ある担任の教室では、発達障害児も障害を気にせず健常の子どもと同じように生活を送ることができるが、ある担任の教室ではそうではなくなる、ということだ。換言すれば、担任の発達障害児支援の力量差ということに過ぎないのだけど、発達障害児の目線に立てば、教師も教室環境の因子となる、ということなのだ。こうした「教師=環境因子論」とでもいうユニークな立論は、特別支援教育だけではなく、今後、広く学級経営や生徒指導全般について新しい視点での議論ができるのではないかと思ったのでありました。

差別用語、差別表現~その2

2011-11-13 23:38:56 | 特別支援教育
 いわゆる差別表現が社会問題となったのは、筒井康隆のいわゆる「断筆宣言」が契機になっていると捉えていいだろう。調べたら1993年ということであった。私が学生だった頃のことでもあり、関連する報道や出版物は結構フォローしていた記憶がある。
 今、それらを引っ張りだして読み返してしても、やはり時代性という思いを強くする。(なお、ここまで読まれて、筒井康隆がなぜ断筆宣言をしたのか、とか、それが差別表現と何か関係があるのかとか、そういう疑問を持たれている方については、各人にそれなりに調べてもらうとして、話はどんどん先に進める)。問題になった小説は「無人警察」というもの。それがそもそも1965年の作品という事からして、時代性を感じさせる。
 あの小説は、問題となった1993年時点で、てんかん者に対する差別的な表現が存在していたということは明らかであって、筒井氏や角川書店がてんかん協会にいかなる論理的な反論をしようとも、あの小説にはてんかん者に対する差別的な表現が存在している、ということに対しては、くつがえりようがなかった。
 ただし、小説が発表された1965年当時でいうなら、それがてんかん者に対する差別的な表現かというと、そうともいえない。筒井氏も、当時の空気を吸っていた者として、てんかん者を差別する意図があってこうした表現をしたのではなく、当時として、てんかん者に対しては、こういう表現をしたとしても差別表現にはあたらないという認識があったろう。無論、読者もそうである。だから、発表した当時は何も問題とはならなかったのだ。
 しかし、1993年となると、そうはならない。1993年時点では、「無人警察」に書かれてある、てんかん者に対する表現は明らかに差別的と認められる。こういう点が、差別表現というものは時代性であると私が主張する根拠である。
 そして、1993年当時、差別表現とは何かについて議論が交わされたことについても、無駄なことではなかったろう。ただし、現在あのような論点ではもう議論にはならないだろう。1993年当時、差別表現はなぜ認められないかとか、表現の自由とは何かとか、結構いいところまで議論されていったのであるが、今じゃあ、そんなもの議論にならない。今は、差別表現はしてはいけないのが当然になっている。なぜダメなのか、なんて、疑問になんてのぼることもない。それはタブーではなく常識なのだ。あるいは、確信犯的に差別表現をしたところで、その差別表現を表現として認められる芸術的な強度が、現在は高くなってきているから、よっぽどの表現者でないと無価値とされてしまう。そこまで時代は変わったのである。これもまた、差別表現というものは時代性であると私が主張する根拠である。

 さて、ここまで話題にしているのは、差別表現ということであって、差別そのものの話ではない。
 差別表現には、時代性が反映されるというのが、私の認識なのであるが、差別そのものについてはどうか。差別そのものについては、いつの時代も変わってはいないんじゃないだろうか、というのがもう一方の私の認識なのである。
 この私の主張は単純で、単に「ちえおくれ」を「しょうがいしゃ」と言い換えただけでは、そういう人たちに対しての差別的な感情は何も変わっていない、という程度のことを言っている。
 知的な障害を持った人に対して「ちえおくれ」と、例えば1970年代に言っていたとき、差別的に使っていたこともあれば、そういう感情はなく使っていたこともあったろう。しかし、時代とともに「ちえおくれ」の「遅れている」という意味合いが差別的であるということになって、そういう意見がコンセンサスをえた現在は、「ちえおくれ」は差別用語となった。そして、知的な障害を持った人をあらわす用語としては「しょうがいしゃ」という用語に変わった。
 しかし、用語が変わっても、そういう人々に対して、差別的な感情が無くなったというわけではない。では、差別的な感情をあらわす言葉として、何を使っているかというと、それは「しょうがいしゃ」という言葉なのだ。だって、他に使える言葉がないんだもの。だから、現在では、「しょうがいしゃ」という用語には、近年、差別的な感情を含めて使われるようになってきたのである。
 だから、そのうち「しょうがいしゃ」という用語は、「障害がある」という意味合いが差別的であるから使わないようにしましょう、ということになるかもしれない。ただし、現在は、行政用語として完全に定着してしまっているから、「しょうがいしゃ」を使わないようにするには、一瞬でもいいからこれは差別的であるといった国民的合意が必要になることは間違いがない。それはともかく、「しょうがいしゃ」は使用しないとして、例えば「ハンディキャップド」なる新たな用語が使用されたとする。しかし、いずれまた「ちえおくれ」や「しょうがいしゃ」と同様に「ハンディキャップド」も差別的な感情とともに使用されるようになるのである。
 というのが、ここ数回、繰り返している私の差別表現や差別用語についての意見である。
 

差別用語~特別支援教育編

2011-11-06 16:18:54 | 特別支援教育
 特別支援教育での差別用語にはどのようなものがあるか。
 すぐに思い浮かぶのは「グレーゾーン」だ。これは、なかなか差別的だ。白(ホワイト)から黒(ブラック)に移行する灰色(グレー)の範囲(ゾーン)ということで、グレーゾーン。いわゆる発達障害児者を説明する際に使われた用語であって、発達障害をグレーゾーンと呼んだわけなのだけど、じゃあ、白と黒は何なのか。白が健常者としたら、黒は…、と突き詰めるほど、限りなく差別的になる用語なのだった。これが用語として使用されたのは、教育の世界にも発達障害が広まってきた頃。最近では、さすがに使うことは無くなったけど、往時、本のタイトルに「グレーゾーンの子どもに対応する指導法…」とかいったようなのが堂々と刊行されていたし、私の地域の指導主事もグレーゾーンと普通に言っていた。
 この用語、どういう経緯で教育の世界にやってきたか、私はフォローしていないけれど、現場発祥ではないと思う。多分、教育行政あたりじゃあないかと思う。
 知的特別支援学校には、発達障害の子どもはふつう在籍しないので、日常でグレーゾーンという名称を使うことはないけれど、代わりに「ボーダー」という言い方はする。これは、知的の障害程度をはかる際に、各種検査をかけるので、そこでの数値のボーダーラインのこと。ボーダーラインを略して「ボーダー」。「この子はボーダーだね」という使い方をする。各種検査数値の、健常と知的障害の境目付近にいる子ども、ということ。数値が下なら知的に障害があるということで、特別支援学校適用ということになるが、そのボーダーライン上の子どものことを言う。これは、差別用語といえばそうだろう。けれど、私も、日常で使用している。公的な場で言うことはないが、現場では普通に使う。だから、隠語めいている用語といえるだろう。
 次に、「特殊教育」「特殊学級」はどうか。略してトクガクと言っていた。今は「特別支援教育」「特別支援学級」に名称が変更されたので、「特殊教育」「特殊学級」は、なくなった。この「特殊」は、やはり差別的だろうと思う。障害をもった子どもを「特殊」というのは、よくないだろう。これが、つい最近まで放置されてきたというのも学校現場の怠慢といえたかもしれない。
 続いて、現在の「特別支援学級」はどうか。これも、差別的な呼び方だと言う人もいるけれど、私はそうは思わない。何も問題ないと考える。「特別支援教育」「特別支援学校」「特別支援学級」、すべてOKである。「養護学校」から「特別支援学校」への名称の変更もいいことだろう。名称が変更されるのは、端的にいえば教育の目的が変わった(「養護」から「支援」へ)ということなのだが、現場は大きな混乱はなかった。「養護」と「支援」は、現場レベルでは大きな違いはなかったということだ。
 診断名はどうか。私は「自閉」という用語は差別的だと思っているが、名称変更の論議があるのかどうかは知らない。だけど、日常的に使用する比喩としての「自閉的」という語の持つ意味合いと、現実の「自閉症」者の障害特性とは乖離がみられるから、そろそろしっかりと議論してもいいんじゃないとかと考えている。ただ、もし、名称が変更されるとすれば、それは精神医療分野からの論議になるだろう。「精神分裂病」が「統合失調症」に変わったように、「自閉症」が、ある日、別な呼び名になるんじゃないだろうかと思うけど、どうか。(ただし、「精神分裂病」が「統合失調症」に名称が変更になったのは、それが差別的名称のためだけはない。念のため)。

差別用語、差別表現

2011-10-30 18:47:13 | 特別支援教育
 我が家の子どもらが実写ドラマ「妖怪人間ベム」を録ったので、休日にダラダラと観てみる。
 一部では、指の数が話題となっているようであるが、21世紀の妖怪人間は当然のごとく5本指であった。
 
 私が小さい頃に観たアニメ版はDVDで復刻されていようが、現在では不適切だと思われる部分は編集やカットがされていたり、ストーリーそのものが不適切な場合は、1話分まるまる未収録となっていたりしていることだろう。それは「妖怪人間ベム」に限ったことではなくて、70年代までは普通に茶の間で観ることができた作品の中には、現在では封印されてしまって、正規ルートでは流通しなくなったという作品は数多くあるのだ。

 こうした、もう2度と観ることのできない、いわゆる封印作品が封印されてしまった経緯については安藤健二『封印作品の謎』ほかの「封印シリーズ」に詳しい。これらを読むと、いわゆる差別的な内容が含まれるがゆえに封印されてしまっている作品については、ストーリーが差別的内容であるというよりも、単純に差別用語や差別表現があるので封印されているのも多くあるということだ。
 現在では明らかに差別的な内容を含んでいるというストーリーというのは存在する。だが、よく考えればわかることだが、それは当時だってやっぱり差別的な内容だった。だから、時代背景を考慮したとしても、それは作品としては不適切なものと断じてもいいだろうと思う。
 そうした差別的な内容の作品ではなく、いわゆる差別用語(例「せむし」「かたわ」)や差別表現(例、不気味なキャラクターとして背中が湾曲した男性を設定する、妖怪の象徴性として指を3本にする)というのは、当時は不適切であるという国民的合意がなされていなかったものといえるだろう。つまり、制作者側もそれを観る側も、適切であるという認識だったのだ。だからこそ、70年代後半までの、新聞を含む出版物や、テレビや映画の映像作品には、現在からすると膨大な不適切部分が存在しているのである。

 私は、こうした差別用語や差別表現が時代によって適切になったり不適切になったりするという状況というのは、積極的に肯定はしないけど、いつの時代にもあることであろうとは思っている。それは、文明とか文化の進歩という側面も否定はしないけれど、やはり時代性なのだと思う。つまり、そのうちわが国では「ホームレス」という用語が差別用語として不適切になるかもしれないし、覇気のなさの表現として猫背歩きが差別表現として不適切になるのかもしれない。けれど、それが、果たして文明とか文化の進歩といえるかどうかは、今の私たちには判断のしようがないだろう。
 それと同じく、「こじき」という用語が差別用語であるという認識は70年代まではなかったわけであるし、湾曲した背中(いわゆる「せむし」状態)が差別表現とは認識していなかったのである。であるから、その当時からみて、現在「こじき」や湾曲した背中が差別用語や差別表現である状態が、文明とか文化の進歩なのかは、わかりっこないだろう。
 こうしたことから、私は、これらが不適切かそうでないかというのは、時代性だと考えるのである。

 ただし、こうした不適切な用語や表現がある時代から使用されなくなったとしても、残念ながら感情としての差別は消えていかないだろう。
 例えば、「こじき」という用語を使わなくなったり、道端で物乞いをするという表現をしなくなったりしたところで、そうした人々に対する差別感情は無くならないのである。つまり、現在では「ホームレス」という用語や炊き出しの列に並ぶという表現は不適切とはなっていないが、こうした用語や表現から、卑賤という差別感情を持つことは十分にあるだろうということである。(もちろん、他方、慈愛という感情を持つ場合も十分にあることは付け加えておくが)。だからといって、「ホームレス」という用語や炊き出しの列という表現が、差別感情を助長する不適切であるものとして使用しないという取り決めがなされたところで、今度は、「ホームレス」や炊き出しに並ぶ列とは違う、別の用語や表現によって、こうした人々への卑賤という差別感情が起こるに決まっているのだ。

 私は「しょうがいしゃ」という用語からは何も差別感情を抱かないし、大多数の人々もそうだろう。だから、何らかのハンディャップを持った人々の総称として「しょうがいしゃ」という用語を使用しても何ら不適切ではないだろう。日常語として定着していよう。
 しかし、私が子どもの頃、すなわち70年代までは、この用語は日常語ではなかった。当時、身体に障害のある人々については、まとめて「かたわ」と言っていたし、知的な遅れのある人々については「ちえおくれ」だったし、精神に障害のある人については「きちがい」と言っていた。これが、時代とともに差別用語ということになり、こうした用語は日常語からは消えていった。私は今でも、いわゆる隠語としてこうした用語を使用することはできるが、80年代以降に生まれた人々、つまり現在30代にかかろうという人々は、生活経験としてこれらの用語を使用した経験はないだろうから、これからも日常の語彙として使用はできないだろう。

 さて、学校現場では、子ども達は日常表現として差別的表現をする。よく知られたところでは「キモい」が、相手への侮蔑感情を表した差別用語となっていよう。
 そんななか、奇矯な振る舞いをする奴への差別用語として、彼らが使用するのは何だかわかるであろうか。それは、70年代は総じて「きちがい」と言っていた。恐らく、「きちがい」が日常語として使用されていれば、現在でも彼らは「きちがい」と言っただろう。しかし、彼らが使う日常語彙には、それはもう存在していない。では、彼らの日常語彙として存在しているのは何か。それは「しょうがいしゃ」なのである。
 彼らは、70年代の我々が奇矯な振る舞いをする奴を差別する用語として「きちがい」と言うように「しょうがいしゃ」と言うのである。
 私が、この用語の使用を聞いたのはもう15年前になろうと思う。言葉とはこうやって新たに変換されていくものなのかと、ちょっとした衝撃を受けた。もちろん、学校現場では、今でも子どもらが日常的な差別表現として「しょうがいしゃ」を使用しているはずである。
 こうした言葉の使用を考えると、数年後、やはり「しょうがいしゃ」は不適切用語として認定され、「きちがい」同様に人々の日常語から消えていくのだろうと思うし、そうなると、「しょうがいしゃ」に変わる用語がハンディキャップを持った人々の総称として生まれていくのだろうと思う。