卒業式のシーズンである。
私が、はじめて卒業生を送り出したのは、新卒3年目のときだった。当時の、ちょうど今頃の3月、通知表の所見欄を書いて残業をしていたとき、同じく職員室にいた先輩教師と雑談とした。
どういう会話の流れだったが忘れてしまったが、先輩教師は私にこんなことを言った。
「中学校の教師なんていうのは、あいつらが数年後、同窓会か何かのときに久しぶりに集まって『そういえば、ウチらの担任なんていう名前だっけ。あの担任、元気かなあ』なんて、思い出される程度でいいんだよ」
私は、正直、この先輩教師の言葉がピンとこなかった。
ああ、そういうことかあ、とわかったのは、2度の転勤をした30歳くらいの頃だったろう。
担任教師と生徒との関係というのは、期間限定の間柄である。卒業したらおしまいである。
教師は、4月になると新しい学級を受け持つ。卒業した生徒は高校で、また彼らの人生がはじまる。学校はその繰り返しである。
教師は、中学校の3年間、生徒の人生にかかわるが、その先の彼らの人生の伴走者にはなれない。
それがわかるにつれて、中学校3年間の彼らとのかかわり方もわかってくる。生徒との距離感というか、教師は生徒の人生に対して、どこまで踏み込んだらいいかということがわかってくる。
生徒との距離感がわかれば、教師の立ち位置もわかるようになる。
そんな風にして、教師はプロフェッショナルになっていくのだ。
さて、特別支援学校である。
特別支援学校の場合は、普通中学校と大きく違う。
生徒とは卒業後もつながり続ける。学校での出会いが、その後も続くのである。彼らの人生の伴走者になるのだ。対人援助職というのはそういうものなのだ。
これは、学校の担任だけではない。今後、彼らが高校にいっても、働くことになっても、彼らが出会った大人たちは、彼らを支援し続けるのである。そうして、多くの支援者に見守られながら、彼らは成長し、人生を歩むのだ。
特別支援学校の中学部担任の私は、小学校の担任が書いた彼らの「個別の支援計画」を受け取る。そこには、それまで彼らにかかわった支援者のリストがある。あるいは、支援相談の記録がある。私は、その「個別の支援計画」に中学校の3年間の支援の記録を書き足す。「個別の支援計画」はその後も、書き足され、書き直されながらも、彼らの成長とともに、次の支援者に渡っていくのだ。
彼らの人生に寄り添っていくのが、特別支援学校の教師だ。
普通中学校とは、まるで逆である。
実は、こうしたことは教師の教育観に再考を迫る大きなことだ。学校教育とは何なのだろうと、今一度考えることにつながる。
私は、こんな自分の教育観の再考を迫られるような大きな違いにでくわすたびに、自分は普通中学校から特別支援学校に校種を変更してよかったなあ、と思うのである。
私が、はじめて卒業生を送り出したのは、新卒3年目のときだった。当時の、ちょうど今頃の3月、通知表の所見欄を書いて残業をしていたとき、同じく職員室にいた先輩教師と雑談とした。
どういう会話の流れだったが忘れてしまったが、先輩教師は私にこんなことを言った。
「中学校の教師なんていうのは、あいつらが数年後、同窓会か何かのときに久しぶりに集まって『そういえば、ウチらの担任なんていう名前だっけ。あの担任、元気かなあ』なんて、思い出される程度でいいんだよ」
私は、正直、この先輩教師の言葉がピンとこなかった。
ああ、そういうことかあ、とわかったのは、2度の転勤をした30歳くらいの頃だったろう。
担任教師と生徒との関係というのは、期間限定の間柄である。卒業したらおしまいである。
教師は、4月になると新しい学級を受け持つ。卒業した生徒は高校で、また彼らの人生がはじまる。学校はその繰り返しである。
教師は、中学校の3年間、生徒の人生にかかわるが、その先の彼らの人生の伴走者にはなれない。
それがわかるにつれて、中学校3年間の彼らとのかかわり方もわかってくる。生徒との距離感というか、教師は生徒の人生に対して、どこまで踏み込んだらいいかということがわかってくる。
生徒との距離感がわかれば、教師の立ち位置もわかるようになる。
そんな風にして、教師はプロフェッショナルになっていくのだ。
さて、特別支援学校である。
特別支援学校の場合は、普通中学校と大きく違う。
生徒とは卒業後もつながり続ける。学校での出会いが、その後も続くのである。彼らの人生の伴走者になるのだ。対人援助職というのはそういうものなのだ。
これは、学校の担任だけではない。今後、彼らが高校にいっても、働くことになっても、彼らが出会った大人たちは、彼らを支援し続けるのである。そうして、多くの支援者に見守られながら、彼らは成長し、人生を歩むのだ。
特別支援学校の中学部担任の私は、小学校の担任が書いた彼らの「個別の支援計画」を受け取る。そこには、それまで彼らにかかわった支援者のリストがある。あるいは、支援相談の記録がある。私は、その「個別の支援計画」に中学校の3年間の支援の記録を書き足す。「個別の支援計画」はその後も、書き足され、書き直されながらも、彼らの成長とともに、次の支援者に渡っていくのだ。
彼らの人生に寄り添っていくのが、特別支援学校の教師だ。
普通中学校とは、まるで逆である。
実は、こうしたことは教師の教育観に再考を迫る大きなことだ。学校教育とは何なのだろうと、今一度考えることにつながる。
私は、こんな自分の教育観の再考を迫られるような大きな違いにでくわすたびに、自分は普通中学校から特別支援学校に校種を変更してよかったなあ、と思うのである。